渋谷駅の周辺を歩くと、高層ビル、神社、坂道、細く曲がる遊歩道、古い橋の親柱が短い距離の中に現れます。これらは別々の風景ではなく、渋谷川が刻んだ谷、鉄道の集中、川の暗渠化、そして現在の再開発が重なってできた街の層です。
この散歩では、渋谷駅西口のSHIBU NIWAから渋谷ヒカリエ、宮益坂、金王八幡宮、渋谷川へ進み、後半は宮下公園から旧渋谷川の流路をたどって穏田橋、参道橋、原宿橋へ向かいます。高い場所から谷を眺め、最後は水面の消えた川を足元で探すルートです。
渋谷は「谷」と川からできた街
渋谷駅は武蔵野台地を川が削った谷底にあります。現在は建物と道路に囲まれて地形が分かりにくくなっていますが、宮益坂や道玄坂を下った先に駅があり、南側には渋谷川が流れています。渋谷区も旧渋谷川遊歩道を渋谷川の暗渠として案内しており、川の流路は現在の街路にも残っています。
江戸時代の穏田周辺には水車のある水辺が広がっていました。葛飾北斎の『冨嶽三十六景 隠田の水車』には、水車を動かす流れと、その向こうに富士山が描かれています。現在の神宮前・原宿周辺が、水と農の風景を持つ土地だったことを伝える作品です。

暗渠の基本や、橋跡・蛇行する道から消えた川を見つける方法は、「暗渠まるわかりガイド」でも詳しく紹介しています。古地図と現在の地形を見比べたい場合は、「古地図まるわかりガイド」が役立ちます。
1885年の渋谷駅開業から巨大ターミナルへ
渋谷に鉄道駅ができたのは1885年です。日本鉄道が赤羽―品川間を開業した際、現在の渋谷駅より南側、新南口付近に駅が置かれました。1907年には玉川電気鉄道、1911年には東京市電が渋谷駅前へ入り、1920年に国鉄渋谷駅が現在地へ移転します。
その後、1927年に東横線、1933年に井の頭線、1938年に現在の東京メトロ銀座線へつながる東京高速鉄道が加わり、谷底の駅へ鉄道と人が集中しました。現在の複雑な渋谷駅は、地形の制約がある場所に異なる時代の交通網が重なってきた結果でもあります。
SHIBU NIWAから見る、渋谷駅西口の更新
散歩の出発点は、渋谷フクラス17階のSHIBU NIWAです。現在の東急プラザ渋谷が入る渋谷フクラスは、旧東急プラザ渋谷を含む街区の再開発で誕生しました。
この場所では1965年に渋谷東急ビルが開業し、のちに東急プラザ渋谷となりました。建て替え後、2019年に新しい東急プラザ渋谷が渋谷フクラス内で開業しています。高所から駅を眺めると、線路、国道246号、駅前広場、高層ビルが谷へ集まる構造をつかみやすくなります。
渋谷ヒカリエ|東急文化会館から続く「文化の拠点」
渋谷ヒカリエの場所には、1956年に東急文化会館が開業しました。4つの映画館とプラネタリウムなどを備えた複合施設で、渋谷の戦後文化を象徴する存在でした。駅舎と歩道橋で結ぶことで、鉄道や渋谷川に分断されていた駅周辺の人の流れを変えた点も重要です。

東急文化会館の跡地では2000年代に再開発が進み、2012年に渋谷ヒカリエが開業しました。現在の渋谷駅周辺再開発の先行プロジェクトです。渋谷では、建物を更新するたびに歩行者デッキや地下動線も組み替え、谷を越えて人を移動させる仕組みがつくられてきました。
宮益坂と御嶽神社|江戸の街道が残る東西軸
ヒカリエから宮益坂へ上がります。宮益坂は、坂の途中にある御嶽神社にちなむ名称で、それ以前は富士見坂と呼ばれていました。道玄坂と宮益坂を結ぶ道筋は大山街道の一部として栄え、江戸から西へ向かう人や物が行き交いました。
現在は宮益坂地区の再開発が進められ、御嶽神社も再整備の対象に含まれています。東急が公表している計画では、宮益坂地区第一種市街地再開発事業は2031年度の竣工・開業を予定しています。江戸の街道と神社が残る場所で、次の都市更新が同時に進んでいます。
金王八幡宮|中世の渋谷氏をたどる
金王八幡宮の社伝では、寛治6年(1092)の鎮座と伝えられています。境内一帯は中世の渋谷氏の居館と結び付けて語られてきた場所で、現在の巨大ターミナルよりはるか以前の渋谷を知る手掛かりになります。

公式由緒には渋谷金王丸常光の伝承が残り、境内には江戸時代初期の建築様式を伝える社殿や金王桜があります。渋谷という地名の由来には複数説がありますが、渋谷氏の存在がこの地域の中世史を考える中心になることは確かです。
時間に余裕があれば渋谷氷川神社にも足を延ばせます。渋谷区指定文化財の「氷川大明神并宝泉寺縁起絵」は、かつての下渋谷村・下豊沢村の鎮守と地域の歴史を伝える史料です。
金王橋広場と渋谷川|暗渠と開渠の境目を見る
金王八幡宮から谷へ下り、金王橋広場を経て渋谷ストリーム方面へ向かうと、渋谷川が地上に姿を見せます。上流の暗渠区間を歩いたあとに水面を見ると、一本の川が都市の都合に合わせて地上と地下を行き来してきたことが実感できます。

渋谷駅周辺の再開発では、河川空間の再生と東横線旧線路跡を利用した歩行空間の整備も進められました。高層ビルだけを見ると分かりにくい再開発の特徴が、川沿いでははっきり見えます。
宮下公園|戦後の地上公園から屋上公園へ
後半は宮下公園周辺から旧渋谷川を北へたどります。宮下公園は1953年に開設され、1966年に東京初の屋上公園として整備されました。地上の道路・駐車場と公園を立体的に重ねる発想は、土地の限られた渋谷らしい都市利用です。

2020年の再整備で現在の宮下公園になりました。近くに残る宮下橋の名は、暗渠化される前の渋谷川に橋が架かっていた記憶を伝えています。渋谷区立図書館の資料では、宮下橋は以前「町裏橋」と呼ばれ、1928年の宮下町成立後に現在の名へ変わったとされています。
渋谷川はなぜ暗渠になったのか
戦後の渋谷では人口と交通量が増え、道路、下水道、河川を一体で組み替える必要が高まりました。東京都の河川整備計画では、昭和36年(1961)から昭和45年(1970)にかけて、稲荷橋より上流の渋谷川が下水道整備に伴って暗渠化された経緯が示されています。
現在のキャットストリート周辺では水面は見えませんが、曲線を描く道、橋の親柱、橋名板が旧河道の位置を伝えています。暗渠化後も、川がつくった道筋は街の形として残りました。
穏田橋・参道橋・原宿橋|橋跡から川を読む
旧渋谷川沿いには、穏田橋、参道橋、原宿橋などの名残があります。穏田橋では1955年12月の架け替え時の親柱が残り、川が地上を流れていた時代の具体的な年代を確認できます。

参道橋は、1920年の明治神宮鎮座と表参道の成立に関係する橋です。原宿橋では1934年の架け替え時の親柱が残ります。現在のファッションストリートの足元に橋の遺構が残っているため、川の位置を現地で追いやすい区間です。
橋跡を中心に原宿側から渋谷ストリームまで旧河道を詳しく歩く場合は、「キャットストリートの歴史|旧渋谷川・暗渠・橋跡を原宿から渋谷へ歩く」で、各地点を写真とともに紹介しています。
再開発は2034年度まで続く
渋谷駅周辺の再開発は完成していません。東急が2026年時点で示している計画では、2030年度に渋谷駅と多層の歩行者ネットワークが概成し、2031年度に渋谷スクランブルスクエア第II期が完成、2034年度にハチ公広場を含む駅街区全体の完成を予定しています。
1885年に谷底へ小さな駅が置かれてから、渋谷は鉄道を増やし、川を地下へ移し、建物と歩行動線を立体化してきました。現在の工事も、その延長にあります。東京各地の再開発を比較したい場合は、「東京の再開発10地区」で渋谷を含む主要地区の変化をまとめています。
散歩ルートを一続きで見る
前半は高所から谷の地形と再開発を見て、宮益坂から中世の渋谷へ入り、金王橋広場で渋谷川へ戻ります。後半は宮下公園から旧渋谷川を北へたどり、橋跡を手掛かりに原宿方面へ進みます。
- SHIBU NIWA
- 渋谷ヒカリエ
- 宮益御嶽神社
- 金王八幡宮
- 渋谷氷川神社
- 鎌倉道と伝わる道筋
- 金王橋広場・渋谷川
- 宮下公園・宮下橋
- 穏田橋
- 参道橋跡
- 原宿橋親柱
- 国立競技場前広場
よくある質問
渋谷川の暗渠は地下で見られますか?
通常の散歩で地下の水路を見ることはできません。地上では、旧河道に沿う曲線、橋名板、親柱、低い地形を手掛かりに流路をたどれます。稲荷橋より下流では渋谷川が地上に現れ、渋谷ストリーム沿いで水面を見ることができます。
渋谷の歴史を見るなら、どこが一番分かりやすいですか?
都市史なら渋谷ヒカリエと渋谷ストリーム、中世史なら金王八幡宮、川の歴史なら宮下橋から穏田橋・参道橋・原宿橋の区間が分かりやすい場所です。短時間なら、この3つのテーマから一つ選ぶと街の変化を追いやすくなります。
キャットストリートは渋谷川だったのですか?
現在キャットストリートと呼ばれる遊歩道の一部は、旧渋谷川の流路に沿っています。渋谷区も宮下公園付近から表参道方面へ続く旧渋谷川遊歩道を渋谷川の暗渠として案内しています。
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