


木場(きば)
江戸の材木商は日本橋付近に集まっていて材木河岸を形成していた。1657年の明暦の大火の被害が甚大であったことから幕府は神社仏閣や大名屋敷などを郊外に移転させるなど江戸の町を大改造する計画を立てた。この中で材木河岸を墨田川の対岸にある深川に移転させることになり材木商たちに命令を下した。当時の日本では建築物はほぼ全て木造であり、橋や船、道具なども木でできていた。このため大量の木材を必要としており、材木商人たちの中には巨万の富を築いた者も多かったので深川の街は大変発展したという。
明治維新以降になると、木場の沖合いの埋め立てが進み、木場は内陸となり海が姿を消してしまった。 1910年(明治43年)8月には、明治43年の大水害に見舞われ、住戸が冠水した。 1915年(大正4年)7月23日、木材業者らが設立した木場銀行が破綻。木材商42業者が倒産した。 1969年(昭和44年)、沖合の埋立地に新しい貯木場「新木場」が建設されたため、従来の貯木場は埋め立てられて跡地に木場公園が作られた。木場公園内の池で、浮かべた木材に乗る伝統芸「木場の角乗(かくのり)」が貯木場としての歴史を現代に伝えている。
住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、木場3-3-9の地点で63万3000円/m2となっている。
古石場(ふるいしば)
古石場一丁目から古石場三丁目がある。江戸時代に埋め立てられた埋立地である。深川海辺新田飛地古石場、久左衛門新田飛地古石場、亀戸村飛地古石場を1891年(明治24年)に統合して深川古石場が新設されている。江戸幕府の石置場が置かれていた。
住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、古石場1-10-5の地点で64万2000円/m2となっている。
牡丹(ぼたん)
牡丹一丁目から三丁目がある。付近で牡丹を栽培する農家が多かったため牡丹町とつけられたという説と、現在の錦糸町駅付近にあった牡丹園の職人が多く住んでいたため牡丹町とつけられたという説とがある。ここも江戸時代に埋め立てられた土地。
今回のルート
以下のリンクはGoogleマップのリンクです。マップの保存をしていれば説明がみれます。マップの保存についてはこちら。
- 洲﨑神社(木場)
1700年(元禄13年)に創建された。当時の海岸線は当社付近にあり、水の神として弁才天を祀ることになった。隆光の協力の下、桂昌院の守り本尊で、弘法大師空海作といわれる弁才天像を祀った。当時は「洲﨑弁天社」という名称だった。江戸時代は風光明媚な場所だったため、観光名所としても繁栄した。 - 深川ギャザリアガーデンコート
フジクラ(旧藤倉電線 / 深川工場)跡地にオフィスビルを中心とした複合施設をフジクラ開発が手掛ける。株式会社フジクラ(英:Fujikura Ltd.)は、東京都江東区に本社を置く光ファイバーや電線、ワイヤーハーネス等を製造する大手非鉄金属メーカーである。日経平均株価およびJPX日経インデックス400の構成銘柄の一つ。電線御三家(住友電工・古河電工・フジクラ)の一角。 光ケーブルの接続で必要な「光ファイバ融着接続機」で世界首位。携帯電話・デジタルカメラ等に使われる「フレキシブルプリント基板」で世界3位。光ファイバーでは世界上位(国内首位)。1885年創業。創業者は藤倉善八(1843-1901)は下野安蘇郡植野村大字船津川字沼端21番地(現在の栃木県佐野市)に父熊吉の長男として誕生。1884年、新富座で9代目市川団十郎に口上を頼む。注文が殺到し、根掛け事業が成功する。詳細ページ。 - 賀来神社
株式会社フジクラ敷地内にある。神田の豊後府内藩(大給松平家)の上屋敷にあり、明治5年の松平家の転居に伴い本郷へ移転しましたが、旧賀来神社境内で事業を始めた「株式会社フジクラ」の創業者藤倉善八は、明治23年(1890)に千駄ヶ谷に工場を設立し、本郷の賀来神社から分祀して祀ったそうです。狛犬は江東区の有形文化財(彫刻)に指定されてます。 - 古石場川親水公園の平久川側の端(たぶんはいれる)
古石場川と言うが水質は海水に近く、アサリのような生物が多い。稀にカルガモを見ることができる。この付近は下町の雰囲気があるため、たびたびドラマのロケに使われる。ちなみに、この公園には七つの橋が架けられている。
平久川(へいきゅうがわ)は汐浜運河から仙台堀川までの全長1.13kmの河川です。江戸時代、右岸側を平井新田、左岸側を久左衛門新田と呼ばれていたことから、両岸の地名をとって平久川と呼ばれています。運河との合流部には江東区が管理する平久水門が整備されています。 - (琴平橋の下を通過)
- 小津橋
映画監督の小津安二郎(やすじろう、1903-1963)を生んだ小津家に由来する。伊勢松阪出身の伊勢商人である小津与右衛門(よえもん)家の分家にあたる。小津与右衛門家も日本橋で海産物肥料問屋の「湯浅屋(ゆあさや)」を営んでいた。小津新七家はその支配人を代々務めており、小津安二郎の父も18歳で支配人に就いた。小津安二郎の主な作品は『東京の合唱』(1931年)、『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』(1932年)、『戸田家の兄妹』(1941年)、『晩春』(1949年)、『麦秋』(1951年)、『東京物語』(1953年)、『秋刀魚の味』(1962年)など。 - 関口橋
TBSドラマ「Eye Love You」、「野ブタ。をプロデュース」のロケ地。第5話でやまぴーと亀梨くんが歩いてた橋。単径間鋼製ガーダー橋。 - 調練橋公園
越中島は安政二年から軍隊の調練、砲術の演習のための幕府調練場として、又明治時代には陸軍の調練場として使用されていた。そのため大正十三年橋が架けられたとき調練橋と名づけられた。川の埋立てにともない、現在は調練橋公園となり橋も撤去されている。 - (雀橋の下を通過)
- 牡丹町公園
ボタンが比較的多く咲いている。他にはバラやアジサイ等。春にはサクラが咲く。 - ちどりばしの記憶碑
2003年頃に行われた牡丹町公園の改修工事に伴い老朽化したちどり橋は撤去された。 - (古石場橋の下を通過)
- 古石場川親水公園の仙台堀川側の端
江戸時代、この堀の北岸、現在の清澄公園の西隣に仙台藩の深川蔵屋敷があり、この堀を利用して仙台から送られた米等を運び入れたことから「仙台堀(せんだいぼり)」と呼ばれ、その後、昭和40年(1965年)河川法改正で砂町運河と合わせて「仙台堀川(せんだいぼりがわ)」となりました。仙台藩の芝口上屋敷(港区東新橋。日本テレビ放送網株式会社あたり)の跡地からは船着場の遺構が発見されており、仙台から深川の蔵屋敷へ、さらに上屋敷という当時の物資の海運輸送が推測されます。 - 門前仲町の火の見櫓