日本橋べったら市2026を29人で歩く|約500店の夜市と寶田恵比寿神社、べったら漬

2026年日本橋べったら市の寶田恵比寿神社大提灯と奉納提灯が続く夜景
東京都中央区の行政地図
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2026年10月20日(火)19時から、「約500店と1,500の提灯!江戸の夜市・日本橋べったら市にいこう」を開催し、29人で東京・日本橋の秋祭りを歩きました。小伝馬町駅付近から露店の並ぶ通りを進み、寶田たからだ恵比寿神社を訪問。名物のべったら漬けを見て味わい、盆踊り会場にも立ち寄りました。普段は比較的人通りの少ない通りが人で埋まり、参加者からは「こんなに大勢集まるお祭りとは知らなかった」と驚きの声が上がりました。

今回の散歩コースと日本橋の夜市

集合は東京メトロ日比谷線・小伝馬町駅付近。お祭りの露店街を通って寶田恵比寿神社へ向かい、周辺の屋台や盆踊りの様子を楽しみました。イベント後は希望者が小伝馬町の伝馬町牢屋敷跡を訪れています。祭りの混雑で歩く速さは一定ではなく、通常の街歩きコースとは違った散策になりました。

小伝馬町駅付近の日本橋べったら市参道入口と並ぶ夜店・奉納提灯
小伝馬町駅付近で集合し、提灯の並ぶ参道から寶田恵比寿神社へ向かいました。

参道には奉納提灯がずらりと続き、その下にお好み焼きなどの食べ物を売る屋台が並びます。鉄板で焼かれる料理、射的などの縁日、じゃがバターの看板が次々に現れました。約500店という規模は、べったら漬けの販売店だけではなく、飲食・物販を合わせた露店の数です。

日本橋べったら市でお好み焼きなどを焼く屋台の鉄板
お好み焼きの屋台。お祭りらしい食べ物が並びます。
日本橋べったら市の縁日・昔ながらの射的屋台
懐かしい射的の屋台もあり、縁日らしい雰囲気が広がります。

普段の落ち着いた街並みを知っている参加者ほど、この人波には驚いた様子。テーブルを用意した店がいくつもある一方で、道端に腰を下ろして飲食する来場者も多く見られました。通りの真ん中は特に混み合い、周囲の人に注意しながら進みます。

日本橋べったら市の人で埋まる通りとじゃがバターの屋台
じゃがバターなどの屋台が並ぶ通りは、多くの来場者で賑わっていました。

宝田恵比寿神社とべったら市

べったら市の中心にある寶田たからだ恵比寿神社は、日本橋本町の小さな神社です。由緒では、慶長11年(1606年)、江戸城拡張に伴って旧宝田村の住民が移り住んだ際、村の鎮守もこの地へ移されたと伝わります。移転を率いたのは馬込勘解由まごめかげゆ。のちに江戸の伝馬にかかわる役職を務めた人物で、大伝馬町という町名の歴史にも結び付きます。

神社に祀られる恵比寿神は商売繁盛の神様として信仰され、神像は鎌倉時代の仏師・運慶うんけい作と伝えられています。ただし、これは神社に伝わる由緒であり、作者が美術史的に確定したという意味ではありません。祭礼の時期には日本橋七福神の恵比寿神をお参りする人も集まります。

祭りの原点は、10月20日の恵比寿講えびすこうに備え、前日の19日に魚や野菜、神棚などを買い求める市が立ったこと。そこから名物の米麹漬けの大根が盛んに売られ、「べったら市」の名が親しまれるようになりました。麹が着物に「べったり」付くとからかう売り声に由来するという説も伝わります。中央区観光協会は江戸時代から続く行事と紹介しています。

この夜の見どころは、神社前の大提灯と、周辺に連なる1,500超ともいわれる奉納提灯。神社へ近づくほど来場者が密集し、大提灯が見えてから到着するまでにも一苦労でした。

寶田恵比寿神社の参道に並ぶ奉納提灯と混雑した夜の露店
寶田恵比寿神社の大提灯が見えてきました。混雑のため進むのも一苦労でした。
寶田恵比寿神社の恵比寿講大提灯と夜の奉納提灯
寶田恵比寿神社近くに吊るされた大きな「べったら市」の提灯。

神社正面は場所が限られるため、当日は参拝用の入口が別に設けられていました。案内板を見ながら順路を進めば、露店を楽しむ人と参拝者の動線を分けて歩けます。御朱印の受付もあり、お祭りであっても神社の祭礼としての顔がしっかり残っていました。

日本橋べったら市の寶田恵比寿神社参拝案内看板
神社正面は狭いため、参拝用の入口が別に案内されていました。
寶田恵比寿神社の御朱印受付と奉納幕
寶田恵比寿神社では御朱印の案内もありました。

正面から見ると、小さな社殿を囲むように提灯や奉納の幕が並びます。お参りを終えて歩いてきた方へ振り返ると、大提灯と無数の明かりの向こうまで人波が続き、夜のべったら市ならではの景色が広がっていました。

日本橋べったら市当日の寶田恵比寿神社正面と参拝者
寶田恵比寿神社正面。恵比寿講の提灯が神社を明るく照らします。
2026年日本橋べったら市の寶田恵比寿神社大提灯と奉納提灯が続く夜景
【アイキャッチ】寶田恵比寿神社から振り返ると、大提灯と奉納提灯が続く幻想的な夜景が広がっていました。

べったら漬けとは?麹の甘みと2026年の値段

べったら漬けは、大根を塩で下漬けしたのち、米麹こうじや砂糖などを使って甘く漬けた、東京を代表する漬物です。農林水産省の「にっぽん伝統食図鑑」でも紹介されており、白い麹をまとった大根の姿と、みずみずしい食感が特徴。皮なしは麹の甘みが入りやすく、皮付きは大根らしい歯ごたえを楽しみやすいなど、同じべったらでも違いがあります。

初めて実物を見る参加者も多く、試食できる屋台では実際に口にして「おいしい」と好評でした。たくさん並んだ白い大根は、普段パック詰めで見る漬物とは印象が違います。

今回見た価格表示では、皮むきのべったら漬けが100gあたり400円。一本約500gなら約2,000円という計算で、会場の複数の店でも大きな価格差は感じられませんでした。以前は一本1,500円程度で見かけたものが、今年は2,000円前後に。物価上昇を身近に感じる一面でもありました。重さや皮の有無、商品によって値段は変わるので、購入するときは表示を確認しましょう。

米麹に漬かった日本橋べったら市の白いべったら漬大根
名物べったら漬。米麹の中に白い大根が並びます。
新高屋の皮むきべったら漬100グラム400円の値札
新高屋の皮むきべったら漬は100g400円。一本約500gなら2,000円が目安です。

べったらのメーカーとブランド

露店の多さに比べ、「実際にはどんなメーカーが作っているのか」は意外と分かりにくいところです。農林水産省はべったら漬けを扱う露店を約20店、中央区観光協会の案内では約30店と紹介していますが、これは露店数であってメーカー数ではありません。同じ商品やブランドを複数の露店が扱うこともあります。

新高屋と金久は別々の看板でも歴史がつながる

今回目立ったのが「新高屋」の「宮内庁御用」と記されたのれんです。販売元の株式会社東京にいたか屋の公式沿革によれば、前身の新高屋は1930年に創業、戦後にべったら漬けの製造を本格化させ、1965年には宮内庁御用達を拝命したと記録されています。のれんの表記は、こうした沿革を踏まえて見ると印象が変わります。

一方、会場には「金久」の大きな看板を掲げたべったら漬けの屋台もありました。金久はもともと別の有名メーカーでしたが、2002年に旧金久の倒産に伴い、東京新高屋が「金久の東京べったら漬」の商標や製造ノウハウなどを譲り受けています。その後、2004年に社名を「東京にいたか屋」に変更しました。つまり、金久と新高屋は歴史的には別の名門ですが、現在のブランドの背景には同じ会社があります。看板の数だけ独立した製造元があるわけではありません。

宮内庁御用の文字が目立つ新高屋べったら漬ののれん
「宮内庁御用」の文字が印象的な新高屋のべったら漬のれん。
日本橋べったら市でにぎわう金久ブランドの屋台
もう一つの老舗ブランド「金久」のべったら漬屋台。現在は新高屋と歴史的につながっています。

築地・吉岡屋は別の漬物専門店

もう一つ名前が挙がるのが築地の「吉岡屋」です。中央区観光協会特派員の2026年の紹介記事によると、今年のべったら市でも皮なし・皮付き・ゆず入りのべったら漬けなどを出品。吉岡屋自身も、皮なしは甘みがよく入り、皮付きは歯ごたえが残ると説明しています。こちらは金久・新高屋とは別の専門店です。金久・新高屋・吉岡屋の3つの名前が見えても、メーカーが3社という単純な数え方にはならないのが面白い点です。

屋台を楽しむコツとトイレ・混雑状況

お祭り全体の開催時間が夜まであっても、販売店ごとの終了時刻は同じではありません。今回、19時30分頃にはべったら漬けの屋台の半分ほどが閉まっているように見えました。名物を買うことが最優先なら、遅い時間を避けて早めに屋台を見て回るほうがよさそうです。一方、夕方以降は提灯の灯りが美しく、夜市の雰囲気は格別でした。

食べ歩きの選択肢は豊富で、テーブルを用意する店も多くありました。ただ、道端で飲食する人も多く、歩道や人の流れは混雑します。今回の写真では、会場近くに仮設トイレが設けられ、複数の個室と利用表示があることも確認できました。トイレや参拝入口は開催年により配置が変わり得るため、その日の案内に従ってください。

日本橋べったら市会場近くの仮設トイレ案内
祭り会場の近くには仮設トイレの案内が用意されていました。
2026年日本橋べったら市会場近くに設置された仮設トイレ
近隣に設置されていた仮設トイレ。混雑する夜市でも利用できます。

盆踊り会場も大盛況

べったら市は漬物を買うだけのお祭りではありません。近くには盆踊り会場があり、私たちが通ったときには「愛燦燦」と「千の風になって」が歌われていました。黄色い揃いの法被姿の人たちを中心に、多くの観客が集まっています。提灯や屋台の賑わいとはまた違った、地域の人々がつくる温かな祭りの時間でした。

2026年日本橋べったら市の盆踊り会場と多くの観客
盆踊り会場では「愛燦燦」「千の風になって」が歌われ、踊りの輪を大勢が見守りました。

希望者で訪れた吉田松陰終焉の地・伝馬町牢屋敷跡

イベント後、希望者は近くの伝馬町牢屋敷でんまちょうろうやしき跡にも向かいました。現在の十思公園・十思スクエア周辺には、江戸時代に大規模な牢屋敷がありました。中央区観光協会によれば敷地は2,600坪を超え、1875年に廃止されています。

ここは幕末の思想家・吉田松陰よしだしょういんが安政6年(1859年)に処刑された場所でもあります。公園内には松陰の終焉を伝える碑が残り、祭りの賑わいとは対照的に、日本橋が持つ別の歴史を知ることができます。この寄り道は希望者のみの行程で、全員が訪れたわけではありません。

周辺の歴史をさらに歩くなら、牢屋敷跡も取り上げるTimeWalkの「日本橋歴史散歩」コースが参考になります。約3.9kmの別コースであり、今回の祭りの歩行順序や距離を表したものではありません。

日本橋の歴史をもっと楽しむ関連記事

べったら市の起源や周辺をもっと知りたい方には、以前の日本橋べったら市と地域史を巡る記事もおすすめです。かつての大伝馬町・小伝馬町の町割りは大正東京・日本橋区の古地図解説で見ることができます。現在の問屋街の雰囲気なら大江戸問屋祭りの開催レポート、牢屋敷や浜町川跡の歴史なら岩本町から人形町への歴史散歩もどうぞ。

史跡巡りを自分で計画したいときは、TimeWalk「日本橋歴史散歩」で各地点の概要を確認できます。べったら市の開催中は混雑・交通規制があるため、アプリの通常コースどおりに歩けるとは限りません。

まとめ|提灯の下で江戸の市を体験した夜

2026年10月20日の日本橋べったら市は、29人にとって、普段の街並みが大きく姿を変えることを実感する夜でした。神社の由緒を知ってから大提灯を眺め、名物のべったら漬けを試食し、金久と新高屋のつながりを知ると、単なる屋台巡りでは見えない歴史も浮かび上がります。初めてお祭りを知った参加者にも、賑やかな日本橋の魅力が伝わる散歩になりました。

参考資料