78th Independence Day Of India
インド近代史
(一部抜粋)
1945年9月2日に第二次世界大戦が終わった(※)結果、疲弊したイギリスは植民地を手放す事態に陥った。インド内のヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の争いは収拾されず、1947年8月15日イスラーム教国家のパキスタンとの分離独立(インド連邦)となった。分離独立に反対したガンディーは1948年1月、狂信的なヒンドゥー教徒により暗殺された。初代首相にはジャワハルラール・ネルーが就任し、政教分離の世俗主義という柱で国の統一を図った。
※1945年8月15日は玉音放送が流れた日(=日本国民にポツダム宣言を受け入れることを伝えた日)であり、降伏文書に調印したのは9月2日
日本と関係する人(独立運動など)
マハトマ・ガンディー(1869-1948)
👉インド独立の父。ほかの指導者より少し年齢が上。著名なインド独立指導者たちの父の位置づけ。
ラース・ビハーリー・ボース(1886-1945)
👉1915年に日本に逃れてインド独立運動を続けた。頭山満の紹介で新宿中村屋サロンにかくまわれた。中村屋サロンの相馬愛蔵と相馬黒光の長女俊子と結婚した。日本に本格的なインドカレーを伝えた人物とされ、現在の新宿中村屋カリーとなっている。
新宿中村屋カリー
https://www.nakamuraya.co.jp/index.html
ジャワハルラール・ネルー(1889-1964)
👉インドの初代首相。インド国民会議議長。インド独立運動の指導者。「日本の子供たちにゾウを見せてあげたい」と1頭のゾウを上野動物園に寄贈した。このゾウには「インディラ」(ネルーの愛娘と同じ名前であり、インドの国名そのもの)と名付けられ、1949年から1983年に死亡するまで上野動物園のシンボルとして愛された。
1957年5月24日、インドを訪問した岸信介首相を歓迎する国民大会が開催され、3万人の群衆の中、ネルーは日露戦争における日本の勝利がいかにインドの独立運動に深い影響を与えたかを語ったうえで、「インドは敢えてサンフランシスコ条約に参加しなかった。そして日本に対する賠償の権利を放棄した。これは、インドが金銭的要求よりも友情に重きを置くからにほかならない」と演説した。同年10月4日に国賓として来日、8日には上野動物園を訪問、10月9日には広島を訪問し広島平和記念公園で開かれた市民歓迎集会に出席し、慰霊碑に花束を供え、原爆犠牲者の冥福を祈った。
スバス・チャンドラ・ボース(1897-1945)
👉杉並区にお墓がある
A・M・ナイル(1905-1990)
👉銀座のナイルレストラン創業者。京都帝国大学工学部卒業。
ラダ・ビノード・パール(1886-1967)
👉裁判官。極東国際軍事裁判(東京裁判)において連合国が派遣した判事の一人で、判事全員一致の有罪判決を目指す動きに反対し、平和に対する罪と人道に対する罪は戦勝国により作られた事後法であり、事後法をもって裁くことは国際法に反するなどの理由で被告人全員の無罪を主張した「意見書」(通称「パール判決書」)で知られる。
関連する日本人
頭山満(1855-1944)
👉大アジア主義、玄洋社の中心人物。代々木上原の東京ジャーミィにも関与。
犬養毅(1855-1932)
👉真の盟友である右翼の巨頭頭山満とともに世界的なアジア主義功労者となっており、ガンジー、ネルー、タゴール、孫文らと並び称される存在。
九段下には戦争関係の博物館がいくつかあります
遊就館(戊辰戦争から大東亜戦争までの展示)
👉1000円
しょうけい館(戦傷病者史料館)
👉常時無料
昭和館(国民が経験した戦中・戦後の国民生活上の労苦を後世代に伝えるのを目的とした国立博物館)
👉通常有料だけど8/15は無料
千鳥ヶ淵戦没者墓苑
👉第二次世界大戦で亡くなった30万を超える日本の身元不明の兵士と市民のための墓地
以下は新宿ですが、日中戦争から戦後のシベリア抑留(映画、ラーゲリより愛を込めての時代)の展示もありおすすめです。
平和祈念展示資料館
👉常時無料