日本建築の流れ
神道にといても仏教においても世界中どこにおいても美術は建築がベースになって誕生している傾向があります。ここではざっくり建築の流れを紹介します。
世界の仏教
日本の美術史では仏教は欠かせないため少し触れます。西洋美術でキリスト教が欠かせないのと同じですね。
仏教の開祖は釈迦です。
誕生年は複数説がありますが紀元前7~5世紀あたりといわれる実在した普通の人間です。サンスクリット語ではガウタマ・シッダールタ、パーリ語ではゴータマ・シッダッタと発音されます。ブッダというのは目覚めた人、悟りを開いた人という敬称です。
仏教では仏舎利と言われる遺骨を祀り信仰をします。この仏舎利が納められている場所が塔です。塔は仏塔、卒塔婆、ストゥーパ、パゴダとも呼ばれます。三重塔や五重塔の塔はこれです。卒塔婆と聞くと墓地などにある薄い木の棒を思い浮かべますが、よくみると両側に切り込みがあります。これは五重塔などを簡略化しており同じ意味を示しています。手軽にしたものですね。
日本の仏教
大きな流れとしては仏教伝来してからしばらくは身分の高い人しか信仰ができませんでした。厳しい修行をしたり、教えを受けたりする余裕が庶民にはないためです。
平安時代
密教と呼ばれる空海が開いた真言宗、最澄が開いた天台宗が広まりました。顕教(けんぎょう)に対して密教といいますがこれらは非常に難しいので興味あるかたは調べてみてください。簡単に言えば「人々の心が解放され希望を与えてくれる」ことです。この教えは身分の高い人だけではなく庶民(の一部)にも広まりました。
密教では曼荼羅(まんだら)というのが良く登場します。これも正しい説明は難しいですが、簡単に言えば密教の世界観を描いたものです。
鎌倉時代
ここで仏教がバズりました。多くの庶民も信仰ができるようになったためです。特に目立ったのが、天台宗から独立した鎌倉6です。
1175年 浄土宗 法然 南無阿弥陀仏と唱えれば救われる!
1191年 臨済宗 栄西 座禅&問答で救われる!
1224年 浄土真宗 親鸞 念仏よりも信じる心で救われる!
1227年 曹洞宗 道元 座禅で救われる!
1253年 日蓮宗 日蓮 経典(法華経)を信じて「南無妙法蓮華経」を唱えると救われる!法華経を信じない宗派を批判
1274年 時宗 一遍 (仏教や念仏に興味のない人がたくさんいるから)踊念仏で救われる!
日本美術史
古墳時代の埴輪まではスキップします。
飛鳥時代の仏教伝来から、中国の影響もあり、絵画、彫刻、建築が大きく発展します。白鳳文化や天平文化と言われます。東京国立博物館の法隆寺宝物館には7世紀中心、東大寺の正倉院には8世紀中心の日本、中国そして世界の宝物が収められています。
平安時代には国風文化が大きく発展しました。
室町時代には金閣寺に代表される北山文化、銀閣寺に代表される東山文化が広がりました。歴代の足利将軍は禅宗に帰依したため、禅宗、書院造り、造園、文学、茶道、水墨画など様々な文化が生まれた。能もこの時代に観阿弥・世阿弥によって完成されました。のちに出てきますが、狩野派、土佐派の源流はここで誕生しています。
江戸時代には寛永文化、元禄文化、化政文化などがありますが、この時代が日本美術史の集大成とおもいます。ジャンルも多岐にわたり作品数、情報量も多いためここでは述べません。一部あとで紹介します。
明治時代では幕府がなくなり、廃藩置県によって御用絵師の仕事がなくなりました。また、神仏分離令、廃仏毀釈がおこり、日本美術は壊滅状態になりました。日本全体が欧米列強に追いつくことを目指していましたが、美術の世界もで過去の日本は否定されました。もちろんそれに抵抗する勢力もいて今にいたります。詳しくは別の機会に書きます。
刀剣について
刀剣についての説明は「【刀剣ワールド】刀剣・日本刀の専門サイト」ですべてわかりますので、下に簡単なまとめだけ書いておきます。
江戸時代の絵画
スタイルの違い
画風のスタイルで大きく分けて狩野派、土佐派、琳派、円山派、奇想派、南画、浮世絵を紹介します。
今回入れられていませんが、桃山時代~江戸時代の画壇のトップの一人であった長谷川等伯を始祖とする長谷川派も必見です。
狩野派
室町時代から江戸時代まで続いた幕府の保護を受けていた画家集団です。特徴は教育システムです。狩野派と呼ばれていない画家も、初期には狩野派に入門していた事例も多いです。
土佐派
室町時代から江戸時代まで続いた朝廷の保護を受けていた画家集団です。日本の大和絵を中心としていました。
琳派(りんぱ)
狩野派や土佐派のように、血族・弟子によって継承された集団ではなく、絵のコンセプトやスタイルです。安土桃山時代の本阿弥光悦、俵屋宗達から始まり、江戸時代の尾形光琳、酒井抱一など約100年ごとにスターが誕生しています。
円山派(円山四条派)
江戸中期から京都で有名になった円山応挙を祖とする円山派と、呉春を祖とする四条派を合わせた呼び名です。それぞれ経緯や特徴は違うので2つの名前がありますが、大きくみると似ているのでまとめてこう呼ばれます。
奇想派(きそうは)
伊藤若冲や曽我蕭白ら奇想の画家も人気です。鮮やかな色が特徴で、文字通り奇想な絵画が多いです。特に近年は人気上昇中です!
南画(なんが)
中国の南宗画(なんしゅうが)が日本式になったもので、江戸時代中期以降に広がりました。文人画ともいいます。池大雅(1723-1776)、与謝蕪村(1716-1784年)によって大成されました。渡辺崋山(1793-1841)の国宝の南画も有名です。フェノロサと岡倉天心は否定的でした。もちろん北画(北宗画)というのもあり、これは雪舟の山水画や狩野派につながっています。
浮世絵
江戸を中心に広まった庶民的な絵画で、あらゆる画風を取り入れていき、画題も多岐にわたります。安価なため庶民でも楽しめました。19世紀にはヨーロッパにも影響を与え、この1000年間で世界に影響を与えた100人に葛飾北斎が入っています。これは日本人でただ一人です。画法は筆でかいた肉筆画から始まり、木版画で巨大ビジネスとして確立しました。始祖は見返り美人で有名な菱川師宣又は岩佐又兵衛といわれており、二大巨頭として葛飾北斎と歌川広重があげられます。この二人は同時代に生きたライバル関係ともいわれています。本人たちはどう思っていたかはしりませんが(;^_^A
おまけとして長谷川等伯の国宝「山水図屏風」を載せておきます。
狩野派
東京国立博物館(トーハク)
1872年に始まったとされる日本最古かつ最大の博物館です。所蔵品数は約12万件、国宝89件、重要文化財678件です。普段の展示は3000件くらいで、常に展示替えをしていますが、1年間での展示件数は1万件弱といわれています。ようするに単純計算で1年間通い続けてもれなく展示をみたとしても、全部見終わるのに12年以上かかることになります。なのでトーハクはいつきても新しいものがみれて重要文化財などがみれるため個人的には博物館はここ一択でよいと思っています。山田五郎さんももっとトーハクにいけといっていますが、同意です。
ただし西洋美術を堪能するのであれば隣の国立西洋美術館がよいと思います。あまり知られていないですが実はトーハクにも西洋美術作品はあるようです。
歴史
明治維新、大久保利通、パリ万博、大英博物館などが大きく影響しています。上野にある動物園、国立科学博物館、東京藝術大学などの原点です。
1872年(明治5年)~
御茶ノ水の湯島聖堂で日本で最初の博覧会が開催されました。名前は文部省博物館です。翌年1873年のウィーン万博に出品するための展示品を展示したプレイベントみたいなものでした。トーハクが150周年記念というイベントをしているのもこの年を基準としています。また鉄道開業150周年記念イベントもたくさんありましたが、横浜~新橋の鉄道開業もこの年です。
幕末、のちに初代館長となる町田久成は薩摩藩の英国留学プロジェクトで1865年より英国にいました。そして1867年にパリ万国博覧会に参加したり大英博物館を知った経験から日本にも博物館が必要という意識となりました。そして1871年、岩倉使節団が渡欧した際、岩倉具視や大久保利通も大英博物館をみて、本格的に日本に博物館を作る動きとなっていきます。
1873年(明治6年)~
初期のころは現在の内幸町に博物館が設置されました。このときは動物、植物、鉱物なども対象でした。薩摩藩出身の官僚であった町田は文部省でしたが、博物館プロジェクトはなかなか思うようにすすめられませんでした。そこで同じく薩摩藩出身で内務卿(首相)であった大久保利通の力によって博物館プロジェクトはどんどん進められていきます。途中1878年に大久保利通は暗殺されてしまいます。
1877年(明治10年)~
内幸町の博物館は手狭であるため新しい場所を検討する中で、上野戦争で焼け野原となった東叡山寛永寺本坊跡に移転しました。1877年に第1回内国勧業博覧会が開催され、1881年に第2回内国勧業博覧会が開催されました。このときにイギリス人建築家ジョサイア・コンドルの設計による本館が建てられましたが、関東大震災で倒壊し、現在の本館は2代目となります。初期の博物館は美術、植物、科学、動物、図書館などを含む総合文化施設でした。これがのちに東京芸術大学、動物園、科学博物館、植物園などにつながります。この時期に初めて「美術」という言葉が登場しました。
1889年(明治22年)~
帝国博物館という名称になりました。この時代のキーパーソンは、美術部長の岡倉天心、アメリカ人哲学者であり美術部理事のアーネスト・フェノロサです。このコンビ抜きに日本美術史は語れません。日本美術学校(現在の東京藝術大学美術学部)や日本美術院(院展)の創始者です。ここで一緒に活躍したまたはここで誕生したのが橋本雅邦、横山大観、下村観山、菱田春草などです。
その後~
いろいろあって今にいたります。
本館について
国宝博士
2022年に創立150年を記念して特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」を開催しました。150年間で初となる、国宝一挙公開という超がつく特別展です!目に入るものすべてが国宝という圧巻な世界が広がっていました。ただ、残念なことに会期中に展示替えがあり一回いっただけでは89件すべてをみることができません。(一般的に途中で展示替えがあります)
私は全会期に訪れたため、幸運にもすべて見ることができました!そのスタンプの画像が下の方にあります。勘違いしてほしくないのは、この特別展でなくても総合文化展でも国宝は展示されますので、タイミングが合えば見ることはできます。しかも特別展では写真撮影は不可でしたが、総合文化展では取り放題です。
2022年10月18日(火) ~ 2022年12月18日(日) に平成館特別展示室にて開催されました。
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