板橋区赤塚の松月院では、境内の発掘調査で15世紀ごろの供養塔がまとまって出土しました。五輪塔、宝篋印塔(ほうきょういんとう)、板碑(いたび)などの石造物は、多くが壊れた状態で一つの大きな穴から見つかっています。出土品は令和7年(2025)2月14日に板橋区登録有形文化財(考古資料)となりました。
赤塚の松月院で行われた発掘調査
松月院は東京都板橋区赤塚8丁目4番付近にある曹洞宗寺院です。境内で庫裏(くり)を建て替える前に発掘調査が行われ、旧石器時代から江戸時代までの遺構や遺物が確認されました。なかでも重要だったのが、中世に用いられた石造物のまとまった出土です。
松月院は延徳4年(1492)、この地を支配した千葉自胤によって中興されたと伝えられます。調査で見つかった石造物の年代は、おおむね1400~1500年ごろに重なります。寺院の歴史を考えるうえで、地中から出土した資料と寺に伝わる由緒を照らし合わせる手がかりになります。
100号ピットから見つかった供養塔の破片
発掘調査では、約2メートルの大きさの穴「100号ピット」から、五輪塔や宝篋印塔、板碑などが出土しました。これらは中世の人々が供養に用いた石造物です。五輪塔は地・水・火・風・空を表す五つの部分から成る形を持ち、宝篋印塔は仏教的な供養に用いられる多層の構造を持つ石塔です。板碑は板状の石に梵字や年号などを刻んだ供養塔でした。
今回出土した石造物は、ほとんどが破片や一部分だけの状態でした。板橋区は、石造物が人為的に割られた後、穴の中へ入れられたとみています。完成した石塔がそのまま立っていた場所を見つけたのとは異なり、石塔を片付けたり埋めたりした行為の痕跡が残されたことになります。
15世紀末の寺院の変化と埋納
石造物が穴へまとめられた理由は、発掘された破片だけで一つに決めることは難しい問題です。板橋区は、15世紀末ごろに古い寺院から松月院へ移り変わる前後の状況と関係する可能性を示しています。寺院の建て替え、境内の整理、供養の場の変化などを検討する際、穴の位置と出土品の年代が重要になります。
石塔の文字や形は、中世の仏教信仰を伝えます。さらに、石塔が壊されて埋められた状況は、信仰施設の使われ方が変わった時期の出来事を知る資料です。建物が残っていない時代でも、地中の石造物を手がかりに寺院の変化を調べられます。
2025年の文化財登録と赤塚の中世史
「松月院境内遺跡第1地点出土中世遺物」は2025年2月14日、板橋区登録有形文化財(考古資料)となりました。出土地は赤塚8丁目4番9号、松月院境内です。赤塚周辺には中世の板碑や寺社が多く、松月院の資料は地域の宗教施設が変化した時期を調べるための重要な考古資料となっています。
