板橋区小豆沢三丁目の総泉寺の門前には、寛保4年(1744)に建てられた「大善寺址石坂供養塔」があります。江戸時代、この周辺には大善寺という寺院があり、境内の湧水と薬師如来は「清水薬師」として知られていました。供養塔は寺へ向かう石坂の整備と、清水薬師への信仰を記念する石造物です。
中山道沿いの清水薬師と大善寺
旧中山道の近くにあった大善寺は、江戸時代に湧き水の豊かな寺として旅人に知られていました。八代将軍徳川吉宗が鷹狩の途中で立ち寄り、境内の清水をたたえて本尊を「清水薬師」と名付けたという伝承が残っています。
江戸後期に刊行された『江戸名所図会』にも清水薬師と清水坂の風景が描かれました。湧水の場所は寺院への参詣だけでなく、中山道を往来する人々が休息する場所としても親しまれていました。
寛保4年(1744)の石坂供養塔
大善寺址石坂供養塔は、寛保4年(1744)に建てられました。かつて大善寺へ通じた坂に石を敷き、通行しやすくしたことと、清水薬師の霊験を記念しています。山の斜面を通る坂道は雨などで傷みやすく、石を敷くことは寺へ参詣する人や街道を使う人にとって役立つ整備でした。
石坂を造る仕事には人手と費用が必要です。供養塔は寺や地域の人々による整備の記録であり、道路の維持と仏教信仰が結び付いていたことを伝えています。「大善寺址石坂供養塔」は板橋区登録有形文化財(歴史資料)として保存されています。
1928年、総泉寺が小豆沢へ移転
総泉寺は建仁元年(1201)の開創と伝わる曹洞宗寺院です。昭和3年(1928)に現在の小豆沢へ移転し、その際、この場所にあった大善寺を合併しました。総泉寺の境内に清水薬師ゆかりの文化財が伝わっているのは、この移転と合併によるものです。
大善寺の本尊だった薬師三尊像は、室町時代から江戸時代初期にかけて造られたと考えられ、総泉寺に受け継がれました。板橋区指定の彫刻文化財ですが、一般公開はされていません。大善寺という寺名は日常の町の風景から姿を消しましたが、石坂供養塔と薬師三尊像がその歴史を伝えています。
薬師の泉庭園と江戸の景観
大善寺のあった場所は、現在の区立薬師の泉庭園となっています。板橋区は『江戸名所図会』に描かれた清水薬師の景観を参考に、平成元年(1989)に庭園を整備しました。園内には泉と植栽があり、旧中山道沿いの名所の歴史に触れられます。
庭園の所在地は板橋区小豆沢3丁目7番20号です。区の案内では開園時間を午前9時から午後4時30分、休園日を年末年始としています。泉は渇水期に湧出していない場合があるため、訪問の際は現地の状態を確認してください。
中山道と志村一里塚など周辺の歴史は、志村・小豆沢周辺の歴史と文化財で紹介しています。庭園の由来は薬師の泉庭園の歴史でも取り上げています。
参考資料
- 板橋区「薬師の泉庭園」
- 板橋区「薬師の泉ご案内」
- 板橋区『令和7年度版 板橋区文化財マップ』「大善寺址石坂供養塔」「薬師の泉跡」
