日比谷公園の園路を歩いていると、細身の牝狼が四肢を踏ん張り、その腹の下で二人の赤ん坊が乳を飲む像に出会います。樹木と花壇に囲まれた東京の公園に、古代ローマ建国の場面が置かれているのです。
像の名は「ルーパ・ロマーナ」。東京都公園協会は、1938(昭和13)年3月にイタリア大使館から寄贈されたものと説明しています。なぜこの時期に、ローマを象徴する牝狼が東京へ渡ったのでしょうか。答えは、二千年以上語り継がれた建国神話と、古代ローマを政治的な言語として用いた1930年代のイタリア、その時代の日伊関係を一続きに見ることで輪郭を結びます。
30秒で分かる結論:像はローマ建国神話のロムルスとレムスを表し、1938年3月にイタリア大使館から寄贈されました。原型の牝狼には古代説と中世説があり、双子は15世紀の追加です。寄贈は1937年の日独伊防共協定後、1940年の日独伊三国同盟より前で、ファシズム期のローマ表象と当時の日伊接近が交わる記念物です。
日比谷公園に立つ「ルーパ・ロマーナ」
「ルーパ・ロマーナ」はイタリア語で「ローマの牝狼」を意味します。日比谷公園の像は、ローマのカピトリーノ美術館が所蔵する《カピトリーノの牝狼》をもとにした複製です。狼の腹の下にいる双子が、ローマの伝説的建国者ロムルスと、その兄弟レムスです。
東京都公園協会の公式案内が示す確実な情報は、寄贈時期が1938年3月、寄贈主体がイタリア大使館であることです。日比谷公園は1903(明治36)年に開園した日本初の洋風近代式公園で、海外から贈られた記念物も点在します。ルーパ・ロマーナは、一つの彫像であると同時に、東京と外国との関係を可視化した記念物でもあります。
園内のほかの史跡や国際交流の記念物は、日比谷の史跡巡りと千代田区の歴史展示を訪ねた開催レポートでも紹介しています。像の背景をたどる前に、まず牝狼が救ったとされる双子の物語を整理します。
狼に育てられたロムルスとレムス
物語の起点は、ローマではなく、ラティウム地方の都市アルバ・ロンガです。王ヌミトルは弟アムリウスに王位を簒奪されます。アムリウスはヌミトルの男子を排除し、娘レア・シルウィアを処女のまま仕えるウェスタの巫女にしました。王家の血を引く子が生まれ、自分の地位を脅かす事態を防ぐためです。
ところがレア・シルウィアは双子を産みます。古代の物語では父は軍神マルスとされますが、リウィウスは、本人がそう語ったのは神を父とするほうが名誉であり、罪も軽く見えたからかもしれない、と距離を置いて記しました。神話を伝えながら、その成立の仕方も考えるローマ史家らしい書き方です。
ローマ神話の神々は、建国神話のほか、Mercury・Venus・Marsなどの惑星名にも残っています。惑星の英語名、日本語名、曜日との関係は「惑星の名前はどこから来たのか|ローマ神話とセーラー戦士の能力」で紹介しています。
アムリウスは母を拘束し、双子をテヴェレ川へ捨てるよう命じます。川は増水していたため、従者は流れの本筋まで進めず、浅瀬に籠を置きました。水が引くと籠は岸辺に残り、泣き声を聞いた牝狼が近づきます。狼は双子に乳を与え、羊飼いファウストゥルスが二人を見つけて妻アッカ・ラレンティアと育てた、というのが広く知られる筋書きです。
成長した兄弟は羊飼いたちの争いに巻き込まれ、レムスがヌミトルのもとへ連行されます。やがて出生の秘密が明らかになり、兄弟は仲間を率いてアムリウスを倒し、祖父ヌミトルを王位へ戻しました。捨てられた子が王統を回復するところまでは、兄弟が協力する物語です。対立は、その後に自分たちの都市を築こうとした場面で始まります。

兄弟はなぜ殺し合ったのか
新都市の場所と支配権をめぐり、ロムルスはパラティーノの丘、レムスはアウェンティーノの丘を選びます。決着の方法となったのが、飛ぶ鳥の種類や数、現れる順番から神意を読む鳥占いでした。
リウィウス『ローマ建国史』第1巻6〜7章では、レムス側にまず6羽の鳥が現れ、その後ロムルス側に12羽が現れます。片方は「先に見た」ことを、もう片方は「多く見た」ことを根拠に勝利を主張しました。神意を判定するはずの儀礼が、優先順位をめぐる争いをかえって激しくしたのです。
レムスの死には複数の伝承があります。リウィウスは、争いの混乱のなかでレムスが倒れたという話を先に置き、別伝として、レムスが新しい城壁をあざ笑って飛び越えたためロムルスに殺された、と記します。ディオニュシオス『ローマ古代誌』第1巻87章では、両派の戦闘でレムスが死ぬ話を有力としつつ、城壁を越えたレムスを工事監督ケレルが鍬で殺したという別伝も紹介します。プルタルコス『ロムルス伝』10章も、殺したのはロムルスともケレルとも伝えられる、と整理しています。
オウィディウス『祭暦』第4巻では、城壁を越える者を討つよう命じられたケレルがレムスを殺し、ロムルスは人前では悲しみを抑えながら葬送では涙した、と物語が展開します。誰が手を下したか、死が戦闘中だったか城壁越えへの制裁だったかは一致しません。それでも各伝承は、都市の境界を定める行為が兄弟の共同事業を終わらせ、ロムルス一人の名を都市に残した点で重なります。
古代史料で物語はどう違うのか
ローマ建国神話は、一冊の「原典」から広がった物語ではありません。共和政末期から帝政初期に書かれた歴史書、伝記、詩が、それ以前の伝承をそれぞれの目的に沿って組み直しました。史料の違いを並べると、後世に定着した筋書きが複数の文献を重ねたものであることが分かります。
| 史料 | 特徴 | レムスの死 |
|---|---|---|
| リウィウス『ローマ建国史』1.3〜7 | 奇跡を伝えながら合理化説も併記し、複数伝承を残す | 争闘中に死亡/城壁を越えてロムルスに殺される |
| ディオニュシオス『ローマ古代誌』1.76〜88 | ギリシア語でローマの起源を詳述し、別説の蓋然性も論じる | 両派の戦闘で死亡/ケレルに鍬で殺される |
| プルタルコス『ロムルス伝』3〜11 | 人物の性格と政治共同体の成立を伝記として描く | ロムルスまたはケレルが殺害 |
| オウィディウス『祭暦』4.807〜862 | ローマ暦4月21日の建都祭を詩で説明する | 城壁を越えたレムスをケレルが殺害 |
| ウェルギリウス『アエネーイス』8.630〜634 | アエネーアースの盾に、牝狼と双子をローマ史の象徴として刻む | 死の経緯ではなく、乳を飲む双子の図像を強調 |
成立年代も重要です。ローマの建都日は伝統的に紀元前753年4月21日とされますが、上の文献は建都から何世紀も後に書かれました。古代ローマ人が自分たちの起源をどう語り、王権、宗教儀礼、都市の境界をどう説明したかを知る史料であり、紀元前8世紀の出来事をそのまま記録した同時代報告ではありません。
「牝狼」は本当に狼だったのか
ラテン語の lupa は本来「牝狼」を意味しますが、古代には「売春婦」を指す俗語としても使われました。リウィウス『ローマ建国史』1.4は、羊飼いファウストゥルスの妻ラレンティアが羊飼いたちから lupa と呼ばれていたため、牝狼の奇跡譚が生まれたという合理化説を紹介しています。ラテン語辞典『Lewis and Short』も、この転義の用例として同箇所を挙げています。
この説は「実際には狼ではなく女性だった」と史実を確定する材料ではありません。神に由来する王統と野生動物の保護を語る神話を、日常語の二重の意味で説明し直した古代以来の解釈です。ディオニュシオスも狼説と女性説を並べ、物語がすでに古代世界で多様に理解されていたことを伝えます。
牝狼は、恐ろしい野獣であると同時に、捨てられた子を養う母でもあります。その逆説的な姿が、外から来た者や危機を生き延びた者を取り込みながら成長するローマの自己像と結び付きました。語義の議論を越えて、図像の中心に残り続けたのは、人間の都合で捨てられた双子を異種の動物が救う場面でした。
カピトリーノの牝狼はいつ作られたのか
日比谷公園の像の原型である《カピトリーノの牝狼》は、牝狼と双子が一度に作られた作品ではありません。カピトリーノ美術館の公式カタログは牝狼を紀元前5世紀のブロンズ像として掲載し、エトルリアまたは南イタリアのギリシア系工房との関係を想定しています。一方、狼の腹の下にいる双子はルネサンス期の追加で、15世紀の彫刻家アントニオ・デル・ポッライオーロに帰属させる説があります。
牝狼像は中世にラテラノ宮殿周辺で知られ、1471年に教皇シクストゥス4世がローマ市民へ寄贈した古代彫刻群の一つとしてカピトリーノへ移されました。双子が加えられたのはその後です。現在の姿は、古代または中世の牝狼像に、ルネサンス期の芸術家が建国神話を明示する双子を組み合わせた複合的な作品なのです。
古代説と中世説
制作年代をめぐる論争は、様式だけでなく鋳造技法と科学分析へ広がりました。古代説は、毛並みの表現やエトルリア美術との比較、古代文献に登場する狼像との関連を重視します。中世説は、像が一体で鋳造されている技法上の特徴や、中世の金属工芸との類似を根拠にします。
1997〜2000年の修復時に調べられた内部の粘土芯について、Gianluca Martini と Marco Galli は2021年の論文で熱ルミネッセンス法と放射性炭素年代測定を再検討しました。分析値は、鋳造が早くても8世紀、遅くても14世紀という中世の範囲に入ると報告しています。ただし試料は像そのものの金属ではなく鋳造芯であり、研究は特定の一点の制作年を示すものではありません。
現在もカピトリーノ美術館は伝統的な紀元前5世紀説を公式表示に残し、科学分析は中世説を強く支えています。したがって、日比谷公園の複製を「紀元前5世紀の像の完全な写し」とだけ説明すると、二つの論点が抜け落ちます。牝狼の年代には論争があり、双子は15世紀に追加されたという区別が必要です。

狼像はなぜローマの象徴になったのか
牝狼と双子の組み合わせは、《カピトリーノの牝狼》が現在の姿になるよりはるか前からローマの図像でした。リウィウス『ローマ建国史』10.23.12は、紀元前296年にオグルニウス兄弟が、聖なるイチジクの木フィクス・ルミナリス付近の牝狼像の下へ、幼い建国者たちの像を置いたと記します。現存する作品との同一性は別問題ですが、共和政期のローマで牝狼と双子が公共空間に表された伝承を示します。
紀元前3世紀以降の貨幣にも、双子に乳を与える牝狼が現れます。貨幣は広い地域を移動するため、都市の起源を短い図像で伝える媒体になりました。ウェルギリウス『アエネーイス』第8巻630〜634行では、アエネーアースの盾に、洞窟で双子へ身をかがめる牝狼が表されます。アウグストゥス時代には、この場面がローマの過去と未来を結ぶ歴史像の一部になっていました。
中世には牝狼像そのものがローマの司法と都市権力に結び付く場所へ置かれ、ルネサンス期には双子が加えられて建国神話が一目で分かる形に整えられました。古代の貨幣、文学、公共彫刻、近代の複製へと媒体を変えながら、牝狼は「ローマ」を示す視覚的な短縮記号になったのです。
ファシズム期に利用された古代ローマ
1922年に政権を握ったベニート・ムッソリーニのファシスト体制は、古代ローマの語彙、儀礼、建築を政治的正統性の演出に利用しました。イタリア語の「ロマニタ(romanità)」は、ローマ的な精神や文明性を意味します。ファシズムはこれを、国家の統一、規律、帝国の再生を語る理念へ組み替えました。
ローマでは遺跡を見通す大通りの建設と周辺街区の大規模な撤去が進み、1937年にはアウグストゥス生誕二千年を記念する「ローマ文明展」が開かれました。古代遺物の研究・展示と、現代の体制を新たなローマとして見せる政治演出が重なった時代です。国立ルーチェ研究所の映像記録にも、行進や祝祭で古代ローマの軍船、百人隊長、カピトリーノの牝狼がファシストの象徴と並ぶ場面が残ります。
牝狼の複製は国外にも贈られました。米国スミソニアン美術館の公共彫刻目録には、ローマ市長からシンシナティ市へ贈られ、台座にファシスト紀元を示す「Anno X」が刻まれた1931年の像が登録されています。ジョージア州ロームにも1929年、イタリア政府から複製が寄贈されました。都市名や古代ローマとの連想を外交上の友好へ結び付ける贈答でしたが、同時に体制が選んだ「ローマ」のイメージを国外の公共空間へ置く行為でもありました。
この時代背景を踏まえると、1938年の日比谷公園への寄贈も、単なる美術品交換より広い文化外交のなかに位置付けられます。ただし、公開されている公園案内だけから、個別の寄贈を「宣伝工作」と言い切ることはできません。確認できるのは、ファシズム体制がローマ建国の図像を国内外で積極的に用いていた時期に、東京へ同じ象徴が贈られたという重なりです。
1930年代のイタリア外交には、1935年からのエチオピア侵攻と帝国宣言も深く関わります。その過程と日本との関係は、ハイレ・セラシエ1世とエチオピア帝国の近代史で詳しくたどれます。
1938年、なぜ日比谷公園へ贈られたのか
1938年3月は、日伊関係が急速に政治的接近を深めていた時期です。日独防共協定にイタリアが加わる議定書は1937年11月6日に締結されました。外務省編『日本外交文書』は、日本側が日中戦争に対するイタリアの好意的態度を踏まえて参加を受け入れた経緯を記しています。イタリアは同年12月に満州国を承認し、日本もイタリアによるエチオピア併合を承認していました。
ルーパ・ロマーナの寄贈は、この日独伊防共協定成立の約4か月後です。一方、日独伊三国同盟の調印は1940(昭和15)年9月27日で、像の寄贈から二年半後に当たります。したがって、像を「三国同盟を記念して贈られた」と説明するのは年代が合いません。1938年夏以降に本格化する防共協定強化交渉よりも前であり、当時すでに進んでいた日伊接近を文化的な象徴で表した贈答と見るのが時系列に沿っています。
日伊の外交関係そのものは1866(慶応2)年8月25日の日伊修好通商条約にさかのぼります。1938年の寄贈は長い交流史の一場面ですが、贈られた図像と時期は中立ではありません。牝狼は古代以来のローマの象徴であり、当時のイタリア政府が「新しいローマ」を掲げていた時代の国家表象でもありました。
東京都公園協会の公開説明は、寄贈者を「イタリア大使館」、時期を「1938年3月」と記します。ムッソリーニ本人からの贈り物とする後年の紹介もありますが、今回確認できた公的な公開資料では、式典の個人名、贈答を命じた文書、演説内容までは示されていません。そのため、政治的意図は時代背景と同時代の類例から検討しつつ、個別の命令や発言を補って語らないほうが史料に忠実です。
日比谷公園で見える細部
現地では、まず牝狼の姿勢が目に入ります。四本の脚をほぼ直線的に立て、首だけを横へ向け、耳をそばだてています。腹の下の双子は左右に分かれ、立体的な狼の胴体に比べて、身体の動きや顔つきがルネサンス的に整えられています。原型で牝狼と双子の制作時期が異なることを知ると、様式の差も見どころになります。
次に台座と銘板を見ると、この像が神話の場面であると同時に、1938年の国際関係を記録する記念物であることが分かります。公園の植栽のなかへ自然に置かれているため見過ごされやすいものの、足元の寄贈表記が東京へ来た時代を伝えています。銘板の現況や表記は改修で変わる可能性があり、最新の園内情報は東京都公園協会の案内に掲載されています。
日比谷公園全体の成立、設計者の本多静六、園内の史跡と施設は、日比谷公園の歴史と見どころをまとめたミュージアム記事に整理しています。ルーパ・ロマーナを、海外から来たほかの記念物や近代公園の設計と一緒に見ると、日比谷公園が東京の国際性を展示する場でもあったことが分かります。
まとめ
日比谷公園のルーパ・ロマーナは、狼に救われたロムルスとレムスの物語を表すと同時に、神話が政治や外交の象徴へ変わる過程を映す像です。古代史料は、双子の出生、王位回復、新都市建設という骨格を共有しながら、鳥占いとレムスの死を異なる形で伝えました。
原型の《カピトリーノの牝狼》も一枚岩ではありません。牝狼の制作年代には古代説と中世説があり、双子は15世紀の追加です。共和政の貨幣、アウグストゥス時代の文学、中世の都市権力、ルネサンスの造形、ファシズム期のロマニタを経て、牝狼は繰り返し「ローマ」を語るために使われました。
1938年3月の寄贈は、1937年の日独伊防共協定の後、1940年の日独伊三国同盟より前に位置します。公的資料で確認できる寄贈主体はイタリア大使館です。像を見上げると、古代の建国神話、ルネサンスの美術、近代の文化外交が、東京の公園の一角で重なっています。
よくある質問
日比谷公園の像は古代ローマの本物ですか?
カピトリーノ美術館所蔵像をもとにした複製です。原型の牝狼自体には紀元前5世紀説と中世説があり、腹の下の双子は15世紀に加えられました。
ロムルスとレムスを殺そうとしたのは誰ですか?
祖父ヌミトルから王位を奪ったアムリウスです。王家の後継者となり得る双子を恐れ、テヴェレ川へ捨てるよう命じたと伝えられます。
レムスを殺したのはロムルスですか?
古代史料で伝承が分かれます。リウィウスはロムルスが殺した別伝を載せ、ディオニュシオス、プルタルコス、オウィディウスには工事監督ケレルが殺した話もあります。
像は日独伊三国同盟を記念したものですか?
寄贈は1938年3月、三国同盟の調印は1940年9月27日です。三国同盟より前の寄贈で、1937年11月の日独伊防共協定成立後の日伊接近の時期に当たります。
参考文献
- 公益財団法人東京都公園協会「日比谷公園」
- Titus Livius, Ab Urbe Condita, Book I, 1.3–7.
- Dionysius of Halicarnassus, Roman Antiquities, Book I, 1.76–88.
- Plutarch, Life of Romulus, 3–11.
- Ovid, Fasti, Book IV, 4.807–862.
- Virgil, Aeneid, Book VIII, 8.630–634.
- Musei Capitolini, “Lupa Capitolina”
- Treccani, “Lupa capitolina”
- Gianluca Martini and Marco Galli, “Thermoluminescence Analysis of the Clay Core of Bronze Statues: A Re-Appraisal of the Case Studies of Lupa Capitolina and Other Masterpieces in Rome,” Applied Sciences, 11(17), 2021.
- Treccani, “Ideologia e radici del fascismo: la romanità”
- 外務省外交史料館『日本外交文書 第二次欧州大戦と日本 第一冊』概要
- 国立公文書館「昭和15年(1940)9月|日独伊三国同盟が成立する」
- Smithsonian American Art Museum, Inventories of American Painting and Sculpture, “Capitoline Wolf”
- Digital Library of Georgia, “Capitoline Wolf”
- Archivio Storico Istituto Luce, “La giornata della neve,” 22 febbraio 1939
- Ambasciata d’Italia a Tokyo, “150mo anniversario del Trattato di Amicizia e Commercio tra Italia e Giappone”
- National Gallery of Art, “The Capitoline Wolf Suckling Romulus and Remus”

