板橋区舟渡二丁目の舟渡氷川神社には、「十度ノ宮(じゅうどのみや)」と呼ばれる石の祠が祀られています。洪水によって何度も押し流され、現在の場所に流れ着いたという伝承が名前の由来です。江戸時代の年号が刻まれた石祠は、荒川低地に暮らしてきた人々の信仰と水害の記憶を伝えています。
舟渡氷川神社に祀られる十度ノ宮
十度ノ宮の所在地は東京都板橋区舟渡2丁目18番1号、舟渡氷川神社の境内です。石祠には笠が載り、正面と左右の面に文字が刻まれています。令和7年(2025)2月14日、板橋区登録有形文化財(歴史資料)になりました。
舟渡は荒川の低地に位置します。かつて周辺では川の流れが変わり、洪水による土地の浸水や土砂の移動が人々の暮らしに影響していました。十度ノ宮は、その地理的な条件を背景に伝わった信仰の資料です。
『新編武蔵風土記稿』が記す「十度」の伝承
江戸時代後期に編纂された地誌『新編武蔵風土記稿』には、十度ノ宮の由来が記されています。元は蓮沼村の南西にあった宮が洪水で流され、現在の場所に流れ寄ることが十度にも及んだので、塚を築き、榎を植えて祀ったという話です。土地の人々が当時から「十度ノ宮」と呼んでいたことも記録されています。
十回という回数をそのまま実際の洪水発生件数とみなすことはできませんが、繰り返す水害と神を祀る場所の移動を結び付けて記憶した伝承です。江戸時代にその名が記録されていることで、少なくとも当時には地域の人々の間で語られていたことが分かります。
万治2年(1659)の年号が残る石祠
十度ノ宮の正面には「奉修造立氷川大明神御宝前」と刻まれています。左面には「万治二己亥年六月十五日」、右面には「寛保三癸亥年十二月吉日 武刕豊島郡蓮沼村 別当金剛院」とあります。万治2年は1659年、寛保3年は1743年です。石の文字から、17世紀中頃には十度ノ宮が祀られ、18世紀にも蓮沼村の寺社関係者が関わっていたことが分かります。
「別当」とは、神社の祭祀や管理に関わった寺院・僧侶を指す語です。刻銘に登場する金剛院の名は、江戸時代の神仏習合のもとで宮が守られていた事情を伝えています。
荒川低地の水害と地域の歴史資料
川沿いの地域では洪水によって古い文書や建物が失われることがあります。板橋区は十度ノ宮を、歴史資料の少ない舟渡地域に現存する貴重な資料と評価しています。石祠そのものと地誌に残る名前を照らし合わせることで、村の信仰と川の災害がどのように記憶されてきたかをたどれます。
所在地と関連する地域史
十度ノ宮は舟渡氷川神社の境内にあります。舟渡から南へ向かうと、旧中山道の志村坂上や国史跡の志村一里塚があります。台地の縁と荒川低地という地形の違いは、志村・小豆沢周辺の歴史と文化財の背景にもつながっています。
