兵庫県加西市の鶉野飛行場跡には、第二次世界大戦中に造られたコンクリート製の地下防空壕が残っています。加西市は「地下防空壕(地下指揮所)」として公開しています。

内部は2室で、東側は3.7m×4.7m、西側は3.7m×3.1m。天井はドーム状で最大高さ約3m、壁厚は最大約1.5mです。
地上と地下を結ぶ約10mの通路が2本あり、爆風が直接室内へ届きにくいよう、それぞれ3か所で折れ曲がっています。
加西市は、周辺に地上指揮所や戦闘機格納庫があったことから、空襲時に指揮機能を地下へ退避させる施設だったと推測しています。
鶉野飛行場とは?1943年に開隊した姫路海軍航空隊
鶉野飛行場跡は兵庫県加西市鶉野町周辺に残る旧日本海軍航空基地跡です。正式な部隊名は「姫路海軍航空隊」で、飛行場建設工事は1943年3月に始まり、同年10月1日に航空隊が開隊しました。加西市の平和祈念史では、10月8日に初めて航空機が鶉野飛行場へ着陸したと記録しています。
主な任務は九七式艦上攻撃機などを使った搭乗員の実用訓練でした。基礎操縦を終えた搭乗員が、より実戦に近い雷撃・爆撃・編隊飛行などの訓練を受ける基地で、教育航空隊として多くの搭乗員を前線部隊へ送り出しました。
飛行場建設の背景には、日中戦争から太平洋戦争へ続く航空兵力拡大があります。加西郡では1935年の段階から町村長が国へ飛行場建設を要望しており、戦争拡大後に海軍航空基地として具体化しました。鶉野は「戦争末期に突然造られた特攻基地」ではなく、まず教育飛行場として整備され、その後に軍需生産・特攻・防空機能が重なっていった基地です。
1,200mの滑走路が残る
鶉野飛行場には長さ1,200mのコンクリート製滑走路跡が残っています。現在は周辺の戦争遺跡群と「soraかさい」を合わせ、「鶉野フィールドミュージアム」として整備されています。
地下指揮所の位置・構造・推定機能
地下指揮所は民家敷地内
地下防空壕は飛行場中心部から離れた民家の敷地内にあります。自由に出入りできる施設ではなく、加西市公式サイトでは14日前までの事前予約が必要と案内しています。
2つの地下室
東側の部屋は縦3.7m×横4.7m、西側は縦3.7m×横3.1mです。両室ともコンクリート造で、ドーム状の天井は最大高さ約3mです。
多数の兵員が生活する大規模壕ではなく、必要な人員が空襲時に退避し、指揮機能を維持するための小規模で強固な施設と考えられています。
壁厚は最大約1.5m
壁は厚い部分で約1.5mあります。航空基地の指揮機能を爆撃から守るための強固なコンクリート構造です。
2本の通路に3か所ずつ曲がり角
地下室と地上を結ぶ通路は2本あり、それぞれ全長約10mです。各通路には3か所の曲がり角があります。
入口付近で爆発が起きた場合、直線通路では爆風がそのまま地下室へ到達します。通路を折り曲げることで爆風の直進を遮る構造です。

「地下指揮所」は構造と周辺施設からの推定
加西市は、周囲に地上指揮所や戦闘機格納庫が存在した状況から、空襲時に退避する地下指揮所だったと推測しています。各室の具体的な用途まで確定しているわけではありません。
防空施設は一種類ではない|指揮・発電・退避を分散
鶉野飛行場周辺には、地下防空壕(地下指揮所)のほか、巨大防空壕跡(自力発電所跡)、地上式防空壕跡、素掘防空壕跡群など、用途と構造の異なる防空施設が残っています。基地防空は「人が逃げ込む壕」を大量に造るだけではなく、指揮、電力、兵員退避などの機能を分けて守る仕組みでした。
飛行場内最大規模のコンクリート製施設が、自力発電所跡です。加西市の最新案内では14.5m×5m、入口壁厚50cm、本体壁厚50cm以上とされ、奥壁前には発電機を置く台座、周囲には排水溝、両側には階段、奥には昇降口・換気口が残っています。整備時には電線をつなぐ碍子や「昭和18年5月」「補用品箱 日立製作所」と読めるプレートも見つかりました。
この施設は、名称に「防空壕」と付いていても、主目的は人員の退避ではなく「機関科の自力発電所」と資料に記録された電源施設です。空襲で地上送電設備が損傷しても、指揮所・通信・整備などの基地機能を維持するために、電力設備そのものをコンクリートで防護していました。
一方、地上式防空壕跡は凸字型で、奥行6.5m、全幅8m、奥室約10㎡、通路幅1m、高さ1.7mです。側壁厚20cm、天井厚50cmで、換気口4か所も備えます。これは人員退避を主目的とする施設で、現在はガイドツアーで内部を体験できます。
さらに法華口駅から航空隊入口へ向かう斜面には、少なくとも5か所の素掘防空壕が残っています。コの字型の壕が複数あり、奥行約12m、高さ約2mのものも確認されています。現在は崩落の危険から立入禁止ですが、コンクリート製施設と素掘壕が同じ基地内に併存していたことから、建設時期・用途・重要度によって防護水準が大きく異なっていたことが分かります。
川西航空機の鶉野組立工場|飛行場と航空機生産が直結していた
鶉野飛行場南西部には、川西航空機株式会社姫路製作所の鶉野組立工場がありました。加西市の平和祈念史によると、姫路製作所は1942年7月に操業を開始し、1943年10月から航空機生産を本格化、1944年12月には鶉野組立工場が開設されました。
加西市公式資料では、鶉野組立工場の面積を約93,500㎡とし、紫電446機、紫電改44機を生産したと記録しています。製造された機体は工場から飛行場へ運ばれ、鶉野の1,200m滑走路で試験飛行を行いました。教育基地の隣に航空機組立工場が置かれたことで、製造・試験飛行・搭乗員訓練が近接して行われる複合航空拠点になっていました。
戦争末期に生産された紫電改は、本土防空用の局地戦闘機として知られます。1945年3月から鶉野でも生産が始まりましたが、そのころには工場自体が米軍空襲の標的となっていました。6月22日の空襲で川西航空機姫路製作所は大きな被害を受け、生産継続が困難になります。
地下指揮所や自力発電所跡などの防空施設を飛行場周辺に多数配置した背景には、飛行隊だけでなく、航空機生産と試験飛行を含む重要機能を空襲下でも維持する必要があったことがあります。
1945年2月、白鷺隊を編成|教育航空隊から特攻隊へ
戦争末期の1945年2月、姫路海軍航空隊では希望者を募り「神風特別攻撃隊 白鷺隊」が編成されました。加西市の平和祈念史は、搭乗員教育を担ってきた姫路海軍航空隊から、沖縄戦へ投入される特攻隊が編成された経緯を記録しています。
3月19日には加西郡が初めて空襲を受け、飛行場の航空機にも被害が出ました。4日後の3月23日、白鷺隊は鶉野を離れて大分県の宇佐海軍航空隊へ移動し、その後、鹿児島県串良基地へ進出します。鶉野で編成・訓練された隊員が、そのまま鶉野から直接沖縄へ飛んだのではありません。
白鷺隊は1945年4月6日から5月4日までに5回の特攻出撃を行い、63人が戦死しました。出撃拠点は串良基地で、沖縄周辺の米艦隊を目標としました。加西市は白鷺隊員の遺書・遺詠集も公開しており、部隊史だけでなく個々の搭乗員の出身・家族・最期の言葉まで保存しています。
5月5日には姫路海軍航空隊が閉隊しました。教育基地として始まった鶉野は、わずか1年半ほどの間に搭乗員訓練、航空機生産、特攻隊編成、防空施設建設という複数の役割を担い、戦争末期の海軍航空戦力の変化を一地点で追える基地となりました。
対空機銃座・爆弾庫まで残る|基地を「点」ではなく「面」で読む
鶉野飛行場跡の価値は、地下指揮所だけが残っていることではありません。加西市の戦争遺跡めぐりガイドマップには、滑走路、自力発電所跡、対空機銃座跡、門柱・衛兵詰所跡、地上式防空壕、素掘防空壕群、爆弾庫跡などが一つのフィールドミュージアムとして整理されています。指揮・電力・対空防御・弾薬保管・人員退避・出入口管理という基地機能を、現地の複数遺構から追える構成です。
対空機銃座跡は地下室を含めて比較的良好に残り、加西市のガイドマップでは、攻撃してくる航空機を迎撃する機銃座として紹介されています。地下指揮所が情報を受けて判断する場所だとすれば、対空機銃座はその情報をもとに実際に基地を防御する側の施設でした。
爆弾庫跡は、航空爆弾、砲弾、戦闘機用機銃弾などを保管したとされる施設で、コンクリート壁は厚さ約1mと紹介されています。飛行場では航空機だけでなく、燃料・弾薬・電力・通信を守らなければ作戦を継続できません。地下指揮所を基地全体の中へ置き直すと、鶉野の防空施設が「避難壕の集合」ではなく、航空基地の機能を分散して生き残らせる防護システムだったことが分かります。
加西市は、当時の史料と住民聞き取りをもとに姫路海軍航空隊の復元図も作成し、現代地図と重ねて確認できるようにしています。戦争末期の施設配置を現在の道路・農地・建物と比較できるため、個々の遺構だけでなく基地全体の広がりを理解する資料として有用です。
現在の保存・公開・見学
soraかさい
2022年4月、鶉野飛行場跡に「soraかさい」が開館しました。姫路海軍航空隊、川西航空機、紫電改、九七式艦上攻撃機、地域の戦争史などを展示しています。
2026年9月時点の展示資料観覧料は一般200円、15人以上の団体150円、中学生以下無料です。
地下指揮所の見学方法
2026年9月時点では、見学は14日前までの事前予約制です。申込先は一般社団法人加西市観光協会です。
地下防空壕は民家敷地内にあるため、予約なしの立ち入りはできません。
鶉野フィールドミュージアム
周辺には1,200m滑走路、地下指揮所、巨大防空壕、地上式防空壕、素掘防空壕、対空機銃座、爆弾庫、門柱・衛兵詰所、平和祈念碑などが残っています。
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