板橋区志村一丁目の延命寺は、中世の板碑をまとまって保存する真言宗寺院です。境内には建長4年(1252)の区内最古の板碑を含む21基の板碑が伝わり、志村城をめぐる戦国期の戦いに結び付けられた創建伝承も残っています。寺の由緒と板碑の年代を分けてたどると、鎌倉時代から江戸時代までの志村の信仰が見えてきます。
大永4年(1524)の志村城の戦いと創建伝承
延命寺は見次山松寿院と号する真言宗寺院です。大永4年(1524)、小田原北条氏綱と扇谷上杉朝興の戦いで志村城が落城し、見次権兵衛の子・権太郎が討ち死にしたため、権兵衛が屋敷を寺にして供養したと伝えられています。由緒は戦国の争乱と地域の人々の弔いを結び付けたものです。
寺の創建とされる16世紀よりも古い石造物が境内には伝わります。板碑の多くは近隣で発見されて集められたため、現在の境内にある場所が造立当初の位置とは限りません。板碑の年号は寺の創建年代とは別の、中世の地域史を示す資料です。
建長4年の板碑は区内で最も古い
志村延命寺板碑群のうち、建長4年(1252)の板碑は板橋区内最古のものです。板碑には胎蔵界大日如来を表す梵字「ア」が刻まれ、その下に心字座と呼ばれる特徴的な意匠があります。区の文化財解説では、同様の心字座を持つ板碑が埼玉県東松山市にも少数確認されているとしています。
この板碑は明治23年(1890)に志村字天神前で発見されました。文明6年(1474)の板碑は明治42年(1909)に志村城址から、文明19年(1487)の板碑は翌年に天神前から出土したと伝わります。昭和6年(1931)の時点では延命寺に集められ、まとめて固定されていました。
21基の板碑が伝える鎌倉から戦国の供養
延命寺には21基の板碑が保存され、そのうち14基が先に区の登録文化財となり、平成27年度に7基が追加登録されました。刻まれた年号は建長4年(1252)から永正13年(1516)まで及びます。とくに14世紀初めから15世紀にかけてのものがまとまっている点が特徴です。
板碑は死者への追善供養や、生前に自らの死後のための供養を営む逆修などに用いられた石製の塔です。刻銘や梵字によって、当時の仏教信仰と供養のあり方をうかがうことができます。近くの龍福寺にも建長7年(1255)の板碑が伝わり、志村・小豆沢に鎌倉期の供養塔が集中していることを知る手がかりになります。
庚申薬師と徳川吉宗の休息所
江戸時代には、八代将軍徳川吉宗が鷹狩で志村を訪れた際の休息所となったと伝わります。境内には正保4年(1647)の庚申塔があり、「庚申薬師」あるいは「蛸薬師」と呼ばれ、いぼ取りの信仰を集めました。板碑による中世の供養に続き、江戸時代には身近な病の平癒を願う信仰も伝えられています。
所在地と関連史跡
所在地は板橋区志村1丁目21番12号、都営三田線志村坂上駅から徒歩約3分です。近くには志村城跡と熊野神社、志村一里塚があります。周辺の時代ごとの歴史は志村・小豆沢周辺の歴史と文化財にまとめています。

