西光院の歴史|樹齢400年のスダジイと1936年の板橋七福神誕生

板橋区南町の西光院(さいこういん)は、江戸時代初期には存在していたと考えられる真言宗豊山派の寺院です。参道に立つ大きなスダジイは樹齢400年余ともいわれ、板橋区の登録記念物として保存されています。昭和11年(1936)に七福神像が奉納されたことをきっかけに始まった「板橋七福神めぐり」にも深く関わる寺院です。

江戸時代初期にさかのぼる寺院

西光院は医王山薬円寺西光院と称し、創建の詳しい年代は分かっていません。寺伝では覚慧という僧が開いたとされます。関連する寺院の過去帳には元和2年(1616)の記録が残り、江戸時代の初めには寺院があったと考えられています。現在の本尊は阿弥陀如来です。

江戸時代、現在の南町周辺には農村と街道沿いの集落が広がりました。西光院の境内には、地域の人々が参拝した堂や石造物が受け継がれています。近世の寺院の姿は、境内の古木とともに現在の町に残っています。

参道に残る西光院のスダジイ

参道に立つスダジイは、樹齢400年余と伝えられる巨木です。大きく湾曲した幹と広がる枝が特徴で、周辺の目印にもなってきました。平成6年度(1994年度)には「西光院のスダジイ」として板橋区登録記念物となり、区の保存樹木制度でも保護されています。

スダジイは常緑広葉樹で、古い寺社の境内などに残る大木は、周囲の土地が市街地へ変化しても地域の景観を伝えます。西光院の木も、都市化以前から寺院がこの場所にあったことを知る手がかりです。大木の保護には所有者や地域の人々の継続的な管理が必要です。

正徳年間の薬師堂と近代の法眼堂

境内の薬師堂は、正徳年間(1711~1716)に松平尚庸が妻の眼病平癒を願って建立したと伝わっています。薬師如来を祀り、日光・月光菩薩や十二神将の像も伝えられています。病気の平癒を祈る薬師信仰が、武家の家族の願いとも結び付いていたことを伝える由緒です。

大正13年(1924)の耕地整理の際に「法眼坊楠見」に関わる遺物が見つかったと伝えられ、その後、遺物を納める法眼堂が設けられました。寺院の境内には、江戸時代の信仰に加えて近代に発見された資料を祀る場所も残されています。

1936年の七福神奉納から板橋七福神めぐりへ

昭和11年(1936)、町彫師として知られた田中金太郎が、自ら彫った七福神像を菩提寺である西光院に奉納しました。寺はその後、像を近隣の寺院にも分けて祀るようにし、昭和12年(1937)から七つの寺院を巡る板橋七福神めぐりが行われるようになったと伝えられています。

西光院では大黒天が祀られ、ほかの尊像は観明寺、文殊院、長命寺、安養院、西光寺、能満寺に分かれています。板橋七福神は複数の寺院を結ぶ信仰で、年始にはそれぞれの寺を訪ねる巡拝が行われます。公開期間や参拝方法は年によって変わるため、当年の案内を確認してください。

所在地と周辺の歴史

西光院は板橋区南町31番1号にあり、東武東上線「大山駅」や東京メトロ「要町駅」から徒歩で訪ねられます。寺院の法要と近隣の生活に配慮して参拝してください。板橋宿に関わる他の寺社については、板橋宿・仲宿周辺の歴史と文化財でも紹介しています。

参考資料