大山金井町・空襲犠牲者供養の地蔵|1945年4月13日の板橋空襲と八面九体地蔵

板橋区大山金井町16番には、昭和20年(1945)4月13日の空襲で亡くなった人々を供養する「空襲犠牲者供養の地蔵」があります。八面の石造物に九体の地蔵が表され、「八面九体地蔵」とも呼ばれます。この地の防空壕で犠牲になった九人を弔うため、昭和25年(1950)に建立されました。

1945年4月13日、板橋から志村を襲った空襲

昭和20年4月13日夜、アメリカ軍による空襲が板橋から志村一帯を襲いました。板橋駅や区役所、養育院の周辺を含む広い地域で建物が焼失し、多数の住民が住まいを失いました。板橋区の文化財マップでは、死者232人、負傷者177人、罹災者約4万5,000人と記録されています。

当時、地域の人々は爆撃を避けるため、防空壕に身を寄せていました。大山金井町のこの場所にあった防空壕には、乳児を含む九人が避難していたと伝わります。しかし爆弾が直撃し、九人は命を落としました。地蔵が建てられたのは、この犠牲者を記憶に残すためです。

1950年に建てられた八面九体地蔵

戦後、この場所に土地を得て公衆浴場を営んだ小川忠雄は、防空壕で起きた被害を知り、昭和25年に供養のための地蔵を建立しました。地蔵の胴部には八つの面があり、それぞれに地蔵像が彫られています。そのうち一面には子どもを抱いた像が表され、九人の犠牲者を弔う姿となっています。

一般的な一体の地蔵像と異なり、八面に地蔵が並ぶ形は、亡くなった九人を一つの石造物に記憶するためのものです。昭和49年(1974)には地蔵を風雨から守る覆屋が設けられました。地域の人々が供養の場所を守り続けています。

地元の慰霊碑として残る戦争の記憶

空襲の被害は死傷者数や焼失面積といった統計にも残されています。しかし、この地蔵は具体的な九人の犠牲者と、その後に供養を続けてきた人々の歴史を伝えます。平成7年度(1995年度)には、板橋区登録記念物(史跡)となりました。

板橋区には別の日の空襲を伝える史跡もあります。南常盤台の平安地蔵は、同年6月10日の空襲犠牲者を追悼するため1948年に建立されました。二つの地蔵は異なる空襲を記録し、それぞれの町の人々に受け継がれています。

所在地と見学

所在地は板橋区大山金井町16番8号付近で、東武東上線「大山駅」から徒歩圏内です。地蔵は地域の人々が守る供養の場所にあります。通行や近隣住民に配慮して参拝してください。周辺の板橋宿や近代の街の歴史は、板橋宿・仲宿周辺の歴史と文化財にも掲載しています。

参考資料