旧板橋町役場跡地の歴史|1889年の板橋町成立と仲宿への役場移転

板橋区仲宿44番の区立仲宿ふれあい広場は、かつて板橋町の役場が置かれていた場所です。明治22年(1889)に成立した板橋町は、最初はそれ以前の戸長役場を使い、明治30年(1897)に仲宿のこの場所へ移りました。昭和7年(1932)の板橋区成立まで、町の行政を担った跡地です。

1889年に成立した板橋町

明治政府は地方行政制度を整え、明治22年(1889)に町村制を施行しました。現在の板橋区を構成する地域には板橋町・上板橋村・志村・赤塚村の一町三村が成立しました。江戸時代の村や宿場を単位とした地域運営から、近代的な町村行政への転換期にあたります。

板橋町には旧中山道の板橋宿を中心とする市街地や周辺の集落が含まれました。江戸時代の板橋宿では、本陣や問屋場などが街道交通を支えていましたが、明治になると宿場制度は廃止され、住民に関する手続きや税、学校などを扱う新しい行政機関が必要になりました。

初期の町役場は旧戸長役場を利用

板橋町の成立当初、役場はそれまで使われていた旧戸長役場の場所に置かれました。戸長は明治初期に町村の行政事務を担った役人で、戸籍や住民の手続きを扱う役割がありました。町村制の施行後も、旧制度の施設を利用して新しい町の行政が始まりました。

板橋町では役場の所在地がその後変更されます。明治30年(1897)、役場は仲宿44番付近へ移転し、旧中山道沿いの町の行政拠点となりました。所在地の移転年が分かるため、同じ「旧板橋町役場」と呼ばれる時期でも、最初の役場と後年の役場を区別できます。

仲宿に置かれた町の行政機関

仲宿は江戸時代の板橋宿の中宿に由来する地名です。街道に沿って商家や寺院が並ぶ場所に町役場が置かれ、町の住民生活を支える行政事務が行われました。明治後期から昭和初期にかけては、鉄道の開通や都市近郊の住宅地の拡大などによって、板橋周辺の交通と土地利用が変わっていきました。

明治18年(1885)には板橋駅が開設され、大正3年(1914)には池袋から田面沢まで東上鉄道が開業しました。街道中心の交通から鉄道を利用する移動へ変化が進むなかで、町役場は成長する地域を管轄していました。

1932年の板橋区成立と一町三村

昭和7年(1932)10月、東京市の区域拡張に伴って板橋区が成立しました。板橋町、上板橋村、志村、赤塚村は新しい区に編入され、それぞれの町村役場は独立した行政機関としての役割を終えました。仲宿の板橋町役場も、このとき区の行政へ引き継がれました。

同じ時代の行政の変化は、旧上板橋村役場跡地や旧志村役場跡地にも残っています。上板橋村では昭和2年(1927)に新庁舎を建て、志村では大正2年(1913)に役場を移転しました。各地域の役場跡地を比べると、町村が成立してから板橋区に統合されるまでの行政拠点の変遷をたどれます。

現在の仲宿ふれあい広場

役場があった場所は、現在、区立仲宿ふれあい広場となっています。旧中山道沿いの仲宿商店街に近く、周辺には大正3年(1914)築の商家である板五米店や、江戸時代の本陣に関係する史跡があります。板橋宿・仲宿周辺の歴史と文化財では、宿場の時代から近代の町へと変わった地域を紹介しています。

参考資料