板橋区志村二丁目19番付近には、かつて志村の役場が置かれていました。現在の東京聴覚障害者支援センターのある場所は、文化財マップに「旧志村役場跡地」として記されています。明治22年(1889)に成立した志村は、昭和7年(1932)に板橋区ができるまで存続し、役場も時代に応じて場所を移しました。
1889年の町村制で志村が成立
明治政府は地方行政を整備するため、明治22年(1889)に町村制を施行しました。現在の板橋区に相当する地域には、板橋町、上板橋村、志村、赤塚村が成立しました。新しい町村には行政事務を扱う役場が置かれ、村の予算、税、住民に関わる手続きを担いました。
志村は中山道が通る台地と荒川沿いの低地を含む地域でした。農村としての生活が続く一方、明治後期から大正期にかけて交通や産業の変化が進み、村の行政にも新しい役割が求められました。
最初の役場は延命寺の境内
志村の役場は、成立当初、志村一丁目の延命寺の中に設けられました。寺院はそれまで地域の信仰や人々の集まりを支えていた施設で、明治初期には学校や役場として建物が利用される例もありました。志村でも寺院の施設が村の行政拠点を兼ねていました。
延命寺は真言宗の寺院で、志村城に関わる創建伝承を持ちます。境内には鎌倉時代の建長4年(1252)に造られた板碑を含む中世の石造物が残り、近世以前から地域に根付いていた寺院の歴史を伝えています。
1903年の火災と民家への移転
明治36年(1903)3月28日、延命寺と志村役場が火災に遭いました。役場は焼失後、村内の民家に移されました。役場の移転は、単なる住所の変更にとどまらず、公的な文書を管理し住民の手続きを受け付ける場所を確保する必要があったことを示します。
この火災は板橋区が公表する地域の年表にも記録されています。寺院内の役場から民家へと移った経緯をたどると、専用の役場庁舎が整う以前の地方行政の実情が分かります。
1913年に志村二丁目へ移転
大正2年(1913)、志村役場は現在の志村二丁目19番付近に移りました。明治22年の村成立から約24年を経て、行政の中心が寺院や民家を借りる形から新たな所在地へ移行しました。
大正期には、志村周辺でも道路や交通、土地利用に変化が生じました。荒川の治水工事が進められる一方、地域の工業化も始まります。役場はこうした村の変化を受け止める行政機関でした。
1932年の板橋区成立と旧役場跡地
昭和7年(1932)10月、東京市の区域拡張によって板橋区が成立しました。志村は板橋町、上板橋村、赤塚村とともに新しい区へ編入され、独立した自治体としての役割を終えました。志村二丁目の役場も、それまでの村政の拠点としての役目を終えています。
現在の旧役場跡地は板橋区志村2丁目19番付近です。現地では現在の建物を利用する人々に配慮し、旧中山道や志村城跡と熊野神社、志村・小豆沢周辺の歴史と文化財とあわせて、この地区が歩んだ時代の変化をたどれます。
