板橋区東山町の上板橋小学校は、明治9年(1876)に開校した区内でも歴史の古い小学校です。学校には創立時の設立願や明治・大正・昭和の学校日誌などが残り、平成20年度(2008年度)には「上板橋小学校校史資料」140点が板橋区登録有形文化財となりました。学校生活だけでなく、地域の教育や戦争の記録も伝える資料群です。
明治9年(1876)、地域の人々が開いた学校
明治5年(1872)の学制公布を受けて全国で小学校の設置が進み、上板橋地域では明治9年(1876)10月25日に学校設立が認可されました。安養院の近くにあった宝蔵院を仮校舎として、上板橋学校が開校しました。
学校の設立には地元の大野吉次や森田市兵衛らが関わり、東京府へ「公立学校設立願」を提出しました。学ぶ場所を確保し、学校を維持するために地域の人々が協力した経緯が、当時の文書から分かります。
東山町への移転と学校の発展
板橋区立郷土資料館の創立150周年企画展資料では、明治15年(1882)5月7日に現在の場所へ校舎を新築して移転したと記されています。建物は茅葺屋根の木造平屋建てでした。その後、児童数や教育内容の変化に応じて、校舎の改築や増築が行われました。
なお、令和7年度版の板橋区文化財マップでは移転年を明治13年と記載しています。郷土資料館の2026年企画展案内は「明治15年5月7日」と記しており、資料間で移転年の記述が異なります。
設立願・時間割・日誌が伝える学校生活
校史資料には、開校時の設立願、学校日誌、校舎の増改築に関する書類、児童の絵画などが含まれます。明治から大正期の時間割からは、読み方、算術、図画、唱歌、修身などを学び、学年や時期によって農業や裁縫などの科目も設けられていた様子が分かります。
学校は上板橋村の広い地域を学区としており、地域の家塾や分教場との関わりも記録されています。学校制度が整えられていく過程と、村の人々が教育を支えた歴史が残されています。
1945年6月10日の空襲を記録した学校日誌
昭和20年(1945)6月10日、南常盤台から東新町にかけて空襲があり、多くの住民が被害を受けました。上板橋小学校の同年度の学校日誌には、通学区域で爆弾による被害が起きたこと、罹災者が2550人と報告され、うち155人が学校へ避難していたことが記されています。
当時の警視庁帝都防衛本部の発表では、死者269人、負傷者196人、罹災者2467人とされ、日誌と罹災者数に違いがあります。学校日誌には、空襲直後に現場で集められた情報と避難者への対応が記録されており、地域の被害状況を考える手がかりとなっています。
2026年の創立150周年と資料の保存
令和8年(2026)に創立150周年を迎え、板橋区立郷土資料館では10月17日から12月20日まで、校史資料を中心とした企画展「上板橋小学校創立150周年 まてばしい 語る昔をうけついで」が開催されています。創立時の文書や戦時中の日誌などを通じて、学校と地域の歩みを紹介する展示です。
上板橋小学校は板橋区東山町47番にあります。校史資料は学校に関わる保存資料で、学校施設や文書を一般の史跡と同じように自由見学できる場所ではないため、資料を見たい場合は郷土資料館の展示案内を確認してください。近隣の歴史は常盤台・前野・西台周辺の歴史と文化財でも紹介しています。
参考資料
板橋区「上板橋小学校の校史資料と地域の歴史」、板橋区立郷土資料館「上板橋小学校創立150周年」、板橋区『令和7年度版 板橋区文化財マップ』。
