板橋区弥生町の「上板橋宿副戸長碑」は、明治6年(1873)に上板橋宿(村)の副戸長となった榎本利八を顕彰する石碑です。大正14年(1925)10月、孫の榎本弥右衛門が建立しました。碑に刻まれた役職名は、明治維新後に村の行政制度が変わった時期を伝えています。
明治政府の大区小区制とは
明治政府は近代的な行政制度を整えるため、戸籍の作成と全国的な地方行政の再編を進めました。明治5年(1872)に全国で採用された大区小区制では、府県の下に大区と小区を設け、それぞれに行政を担当する役人を置きました。
小区に置かれた戸長と副戸長は、戸籍の管理や政府の施策を地域に伝える仕事などを担いました。江戸時代の名主・年寄による村の運営から、新しい行政機構へと移る時期の制度です。
1873年に副戸長となった榎本利八
東京府では明治6年(1873)に大区小区を再編し、小区ごとに戸長を一人、各町村に副戸長を一人置くことになりました。このとき上板橋宿(村)の副戸長に任命されたのが榎本利八です。
榎本は上板橋宿で年寄を務めていた人物でした。碑には旧来の村役人としての肩書と、新制度の副戸長への任命が刻まれています。江戸時代以来の地域行政を担った人が、明治政府の新しい制度に組み込まれた経過を読み取れます。
1878年の制度変更と戸長役場
大区小区制は全国的な行政の統一を目指しましたが、地域の実情に合わない面もありました。明治11年(1878)の地方制度改革によって、町村ごとに戸長役場が設けられる仕組みへと移りました。地域行政の単位や役人の選び方は、明治初期の短い期間にも変化しました。
その後、明治22年(1889)の町村制施行で上板橋村が成立します。上板橋村は昭和7年(1932)の板橋区成立まで存続しました。副戸長碑は、その前段階にあたる1870年代の行政の記録を現在の弥生町に残しています。
孫が建立した1925年の顕彰碑
榎本利八の没後、大正14年(1925)10月に孫の弥右衛門が祖父の功績を伝えるために石碑を建てました。碑には明治6年の任命に関する文言が記され、家族による顕彰碑であると同時に、当時の地方行政の一端を伝える歴史資料になっています。
平成31年(2019)3月11日には、板橋区登録有形文化財(歴史資料)となりました。石碑そのものは1925年の建立ですが、記録されている役職は半世紀ほど前の明治初期にさかのぼります。
所在地と周辺の歴史
碑は板橋区弥生町17番付近にあります。近くには川越街道や東武東上線が通り、上板橋の旧村から近代の住宅地へ変化した地域です。周辺の近代化については、常盤台・前野・西台周辺の歴史と文化財でも紹介しています。
