葛飾応為「吉原格子先之図」|北斎の娘が描いた夜と、浮世絵「夜景」の系譜

葛飾応為《吉原格子先之図》

2026年秋、太田記念美術館で葛飾応為かつしかおういの代表作《吉原格子先之図》が3年ぶりに公開されます。展覧会「葛飾応為『吉原格子先之図』 夜景の系譜」は、この一点を中心に、江戸から明治・大正へ、日本の絵師が「夜」をどのように描いてきたかをたどる企画です。

《吉原格子先之図》は、応為の希少な現存作であることに加え、光そのものを主題にしたような画面構成が大きな見どころです。暗い通り、格子の内側の明かり、提灯の光、人物のシルエットを一つの画面で組み合わせ、光そのものを主題にしたような構成に特徴があります。そこから広重の濃紺の夜空、清親のガス灯と影、さらに海外市場向けの夜景版画まで見比べると、浮世絵の夜景表現が時代とともに変化したことが分かります。

葛飾応為とは誰か―北斎の三女・お栄から一人の絵師へ

葛飾応為かつしかおういは、葛飾北斎の三女・お栄として伝わる絵師です。生没年は分かっていませんが、すみだ北斎美術館は作画期を文化7年(1810)から安政年間(1854~60)ごろとしています。晩年の北斎と暮らしながら制作を続け、版本『女重宝記』などにも名を残しました。

現存作が少ないことも応為の輪郭を見えにくくしています。太田記念美術館によれば、応為が描いたとされる肉筆画は世界で10数点しか確認されていません。一方で、すみだ北斎美術館は、北斎が自分の美人画は阿栄に及ばないと語ったと伝えられるほどの腕前だったことを紹介しています。

応為を見るときは、北斎との血縁だけでなく、本人の作品に残る色彩、人物表現、明暗への関心を見る必要があります。《吉原格子先之図》は、その個性をまとまった形で確認できる代表作です。

《吉原格子先之図》はなぜ特別なのか

太田記念美術館所蔵の《吉原格子先之図》は、紙本著色一幅、26.3×39.4センチ。制作時期は文政から安政(1818~1860)ごろとされています。版木から複数枚を摺る錦絵ではなく、絵師が紙に直接描いた肉筆画です。

舞台は吉原遊廓の妓楼・和泉屋の張見世です。格子の内側には着飾った遊女が並び、外には提灯を持つ人々がいます。室内は明るく、通りは深い闇に沈み、格子の近くまで出た女性も黒いシルエットとして描かれています。

画面には複数の光源があります。妓楼の室内灯、手前の提灯、右側の明かりが、それぞれ人物や地面を別方向から照らします。太田記念美術館が2023年の公開時に「西洋画のような陰影」と説明したように、平面的な色面を連想しやすい浮世絵のイメージとはかなり違う作品です。

もう一つの手掛かりが提灯です。3つの提灯に「応」「為」「栄」の文字が隠され、応為の画号とお栄の名を示す隠し落款になっています。作者を示す重要な手掛かりです。

吉原の夜を「光」で描く

《吉原格子先之図》を理解するうえで必要なのは、吉原全体の制度史よりも、画面に描かれた「張見世」と夜の営業空間です。張見世は、妓楼の格子越しに遊女が並び、往来から姿を見ることができる場でした。国際浮世絵学会誌『浮世絵芸術』には、江戸町一丁目の和泉屋平左衛門を吉原細見と描かれた遊女から検討した研究もあり、和泉屋は実在の妓楼として史料上も追えます。

応為は、その場を均等に明るく描いていません。格子の内側は赤や白が目立つ明るい空間、外側は顔も読めないほどの暗い空間です。店の内外を隔てる格子は、構図を分割する線であると同時に、光が通りへ漏れ出す装置にもなっています。

吉原という場所の歴史や現在の地理は、「吉原遊郭跡を歩く|吉原の歴史・現在の場所・街歩きの見どころ」で詳しく整理しています。周辺の日本堤・山谷との位置関係は、「山谷とはどこか|日本堤・清川・南千住の歴史と現在」も参考になります。

江戸の絵師は暗闇をどう表現した?

夜景の印象は、月や星、提灯、花火、窓明かりをどこに置くか、夜空を何色にするか、人物や建物をどこまで見せるかで大きく変わります。

本展では、鈴木春信すずきはるのぶ、鳥居清長とりいきよなが、溪斎英泉けいさいえいせん、歌川国芳、月岡芳年らの作品も紹介されます。月を見る人物、夜の盛り場、花火、雨雲など、題材ごとに光源が異なります。応為のように人物と人工光を強く対比させる夜景と、月や空の色で静かな夜をつくる風景版画を比べると、同じ「夜景」でも設計が違うことが分かります。

前期展示の歌川広重《名所江戸百景 猿わか町よるの景》では、満月の光と芝居町の明かりが人物の足元に影を落とします。東京国立博物館の作品解説でも、人々の影や小屋の明かりが明暗表現の見どころとして挙げられています。応為の室内と提灯、広重の月と町明かりを見比べると、夜景を成立させる光源の選び方がよく分かります。

広重とベロ藍―夜空の表現が変わる

歌川広重うたがわひろしげの夜景を支えた重要な材料の一つが、ベロ藍(プルシアンブルー)です。英国博物館によれば、プルシアンブルーは18世紀に日本へ入り、1820年代に中国で量産されるようになると、浮世絵版画でも使いやすい顔料になりました。鮮やかで濃淡をつけやすく、風景表現と相性のよい青でした。

本展の公式資料も、広重がベロ藍による濃紺の夜空を得意としたことを見どころに挙げています。前期の《名所江戸百景 猿わか町よるの景》、後期の《東都名所 両国之宵月》、前期の《月に雁》では、夜空や月の周囲に異なる青の使い方が見られます。

応為の《吉原格子先之図》は肉筆画で、広重の代表的な風景は木版画です。同じ夜を描きながら、肉筆のぼかしと木版の摺り、局所的な灯りと広い夜空という違いを直接比較できます。

小林清親と文明開化の夜

明治に入ると、夜景の光源そのものが変わります。小林清親こばやしきよちかは、ガス灯や建物の窓、街灯、花火など、近代都市の明かりを陰影の強い画面に取り込んだ絵師です。こうした一連の表現は「光線画」と呼ばれます。

メトロポリタン美術館は、清親が1876~1881年ごろの東京名所で、暗闇に対する光の効果を探究し、ガス灯が広がる都市をしばしば描いたと解説しています。江戸の夜景が月や提灯を主要な光源にしていたのに対し、清親の東京では近代化によって生まれた人工照明が風景の一部になります。

後期展示の《開化之東京 両国橋之図》は、太田記念美術館所蔵の肉筆画です。両国橋、舟、人物を黒いシルエットでまとめ、提灯、ガス灯、家の窓の明かりと対比させ、川面には光と影の両方を揺らめかせています。応為の《吉原格子先之図》と同じく、暗い部分を省略せず、暗さを画面の構成要素として使う作品です。

明治・大正、海外向け夜景へ

本展の独自性が強く出るのが、明治末以降の海外向け夜景版画です。太田記念美術館は、国内で浮世絵版画が衰退へ向かう一方、海外市場向けには広重や清親の作品をもとにした複製や、それらを思わせる夜景版画が多く作られたと説明しています。

その背景には版元の仕事があります。長谷川武次郎はせがわたけじろうは明治期に多言語のちりめん本を海外へ売り出し、日本の木版印刷を外国人読者へ届けました。渡邊庄三郎わたなべしょうざぶろうは1909年に渡邊版画店を構え、1915年から新しい木版画制作へ進みます。後に「新版画」と呼ばれるこの動きは、伝統的な絵師・彫師・摺師の分業を生かしながら、国内外の市場へ新しい作品を送り出しました。

本展では長谷川と渡邊にも注目し、後期には小林永二郎こばやしえいじろうと推定される《A High Bridge by Night》が展示されます。江戸の夜景表現が、明治・大正の輸出品や新版画の時代にどう受け継がれたかを見る章です。版元の役割については、「浮世絵と新版画を動かした版元たち――蔦屋重三郎から渡邊庄三郎まで」でも詳しく解説しています。

前期・後期の展示替え

《吉原格子先之図》は会期を通して展示されます。それ以外の作品は前期・後期で全点展示替えです。代表的な展示予定は次の通りです。

作品展示
葛飾応為《吉原格子先之図》通期
歌川広重《名所江戸百景 猿わか町よるの景》前期
歌川広重《月に雁》前期
北尾政美《浮絵東都中洲夕凉之景》前期
小倉柳村《湯嶋之景》前期
鳥居清長《大川端楼上の月見》後期
歌川広重《東都名所 両国之宵月》後期
小林清親《開化之東京 両国橋之図》後期
小林永二郎カ《A High Bridge by Night》後期

前期は10月6日から11月3日、後期は11月7日から12月6日です。11月4~6日は展示替えのため休館します。会期中2回目以降は、半券提示で200円のリピーター割引があります(他の割引との併用不可)。

開催概要

展覧会名葛飾応為「吉原格子先之図」 夜景の系譜
会期2026年10月6日(火)~12月6日(日)
前期10月6日(火)~11月3日(火・祝)
後期11月7日(土)~12月6日(日)
会場・主催太田記念美術館(東京都渋谷区神宮前1-10-10)
開館時間10:30~17:30(入館は17:00まで)
休館日10月13日・19日・26日、11月2日・4~6日・9日・16日・24日・30日
入館料一般1,200円、大高生800円、中学生(15歳)以下無料
予約日時指定予約なし
支払い現金のみ
アクセスJR原宿駅(表参道口)徒歩5分/東京メトロ明治神宮前駅(5番出口)徒歩3分

会期・休館日・料金などは2026年9月7日時点の公式情報です。変更の可能性があるため、来館前に太田記念美術館の展覧会公式ページをご確認ください。

参考文献・公式資料