アイヌ民族と博覧会―150年の経験―|「展示される側」から参加する主体へ、博覧会史を解説

企画展「アイヌ民族と博覧会―150年の経験―」の会場となる国立歴史民俗博物館

2026年10月6日から国立歴史民俗博物館で開かれる企画展示「アイヌ民族と博覧会―150年の経験―」は、1872年の湯島聖堂博覧会から2025年大阪・関西万博まで、アイヌ民族と博覧会の関係を約150年の時間軸でたどる展覧会です。

軸になるのは、アイヌ民族が何を「展示されたか」だけではなく、誰が出品し、誰が出演し、誰が仲介し、何を伝えようとしたのかという個々の経験です。工芸品、写真、絵はがき、書簡、衣装、映像など約200点を通して、博覧会が人や文化を分類する場だった時代から、自ら文化を表現する場へと参加の形が変わっていく過程を追います。

この展覧会は何を見る展覧会?

見どころは、博覧会という同じ仕組みを通して150年間の変化を比較できることです。近代の博覧会は、新しい技術や産業、各地の文化を多くの人に紹介する一方、「文明」「未開」といった物差しで人びとを並べ、比較する場にもなりました。アイヌ民族もその視線の対象とされました。

ただし、当事者の経験は一様ではありません。出品した工芸家、興行に参加した人、文化を紹介するために出演した人、教育施設への寄付を募った人、博覧会を仕事や交流の場として利用した人もいました。本展は「見る側/見られる側」という二項対立だけで整理せず、資料と聞き取りからそれぞれの選択や葛藤を拾い上げます。

国立アイヌ民族博物館で2026年6月20日から8月23日まで開かれた第11回特別展示を、国立歴史民俗博物館で共同開催するものです。歴博では企画展示室A・Bを使い、前期と後期で一部資料が展示替えされます。

1872年より前――アイヌ工芸品は「異域の産物」として集められた

展覧会の起点は1872年ですが、アイヌ工芸品が和人社会で「見られる」歴史はさらにさかのぼります。江戸後期には交易や贈答で本州へ渡った工芸品が、本草会・物産会・博物会などで自然物や古物と並べて展示されました。京都の学塾「山本読書室」の物産会では、全50回のうち9回で、計10人から延べ25件のアイヌ工芸品が出品されたことが確認されています。

ここで工芸品は、作り手の暮らしや社会関係から切り離され、和人から見た「異域」の産物として収集・分類されました。近代の博覧会でアイヌ文化が「北海道の物産」として整理されていく前史として重要です。

この時代を具体的な人物につなぐのが、松浦武四郎まつうら たけしろうの『近世蝦夷人物誌』です。武四郎は1857年、モニヲマに彫り物を頼み、その技術の高さに驚いたことを書き残しました。本展では同書の「二編巻之中」が重要文化財として前期に展示され、後期は複製に替わります。工芸品の背後に作り手がいたことを示す資料として見ると、物だけを並べる展示との違いが分かります。

1872年の湯島聖堂博覧会から「北海道の物産」へ

1872年、東京の湯島聖堂で文部省博物局による博覧会が開かれ、アイヌ資料が出品されました。本展に出る一曜斎国輝「古今珍物集覧」には、金の鯱やオオサンショウウオ、古物、動物標本などとともに、アイヌの弓矢やウイルタの女性の衣服が描かれています。

明治政府が北海道の「開拓」を進めると、アイヌ工芸品は開拓使が扱う北海道物産の一部として博覧会に組み込まれていきます。1877年の第1回内国勧業博覧会には開拓使の出品ブースがありました。産業を育てる殖産興業しょくさんこうぎょうの場で、工芸品は文化資料であると同時に、地域の産物や産業化の可能性を示すものとして位置づけられました。

重要文化財の大久保利通おおくぼ としみち書簡、河瀬秀治宛「内国勧業博覧会趣旨」も、この制度の側を知る資料です。工芸品だけでなく、博覧会を国家事業として組み立てた側の文書を合わせて見ることで、展示の枠組み自体が何を目指していたのかを読み取れます。

1903年「学術人類館」――人を展示する近代

転機の一つが、1903年に大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会です。会場外の余興施設「学術人類館」では、人類学者の坪井正五郎つぼい しょうごろうが監修に関わり、アイヌ、沖縄、朝鮮、台湾、インド、ジャワなどの出身者が、生身の人間を観覧対象とする「人間展示」に置かれました。

背景には、近代人類学の分類意識と、日本の植民地拡大がありました。第5回内国勧業博覧会そのものも、工業製品の出品が過半を占め、近代国家として産業力を示す場でした。その会場の周辺で、人びとを「民族」や「文明化の段階」で眺める展示も成立していました。

この仕組みは日本だけの特殊な現象でもありません。翌1904年のセントルイス万博でも、人類学部門でアイヌの参加者が家屋を建て、木彫や籠編みなどを観客の前で行った記録が米国側に残っています。博覧会と人類学が結びつき、先住民族の生活そのものを展示する発想は、当時の国際的な博覧会文化の中に広がっていました。

「展示される人々」だけではない――出品者・出演者・仲介者の経験

「人間展示」には差別的な枠組みがありましたが、参加した個人の目的や立場は一様ではありません。本展が力を入れるのが、出場者・出品者・仲介者それぞれの「声」です。

たとえば貝澤かいざわウトレントク(1862–1914)は、現在確認されている3枚の盆のうち1枚が本展に出品されます。1913年の明治記念拓殖博覧会の報告書には「アイヌ彫盆 貝澤ウトレントク」として銅賞牌受賞者に名が記されています。展示される工芸品を、匿名の「民族資料」ではなく、製作者と評価の履歴を持つ作品として見直せる資料です。

一方、1912年の拓殖博覧会では、台湾原住民族、樺太アイヌ、ニヴフ、ウイルタ、北海道アイヌの家屋を建て、そこに人が暮らす形の「人間展示」が行われました。同じ博覧会史の中に、強い権力関係と、個人の出品・出演・仕事・文化紹介といった異なる経験が重なっています。本展はその違いを一つの説明に潰さず、資料ごとに追う構成です。

アイヌ文化をめぐる別の展示や活動に触れるなら、当サイトの「アイヌモシㇼ―アイヌの世界と多様な文化―」鑑賞会の開催レポートも参考になります。博覧会史とは切り口が異なりますが、工芸・言語・暮らしを一括りにせず、多様な地域と文化として見る点でつながります。

戦後、アイヌ文化を「自ら見せる」動きへ

第二次世界大戦後、国際博覧会では「人間展示」が姿を消し、テーマや理念を掲げる形式が中心になります。日本国内では復興や観光振興を目的とした地方博覧会が続き、アイヌ民族も出品・出演しました。戦前から続く「原始的な文化」という固定観念が残る一方、何を見せるかを自ら選び、企画する動きも強まっていきます。

1950年の北海道開発大博覧会には、バチラー八重子やえこが出品したと考えられる「山丹錦」があります。1970年の大阪万博には、白老民族芸能保存会の一員だった山田富三が出演しました。本展には、アイヌの衣服を着て空港に立つ山田の写真が出品されます。1988年の「世界・食の祭典」では、札幌・月寒会場の「アイヌモシリ」館に川村則子作のタペストリー「ミンタラ」が展示されました。

この時期を見ると、文化を見せる行為そのものが直線的に「主体化」したのではなく、観光、保存会活動、地域間交流、舞台表現など複数の場を通して変化したことが分かります。各地の人びとが出会い、互いの舞踊を学び、自文化として取り入れる動きも生まれました。

2025年大阪・関西万博――約200人が自分たちの衣装と道具で舞台へ

150年の終点に置かれるのが、2025年大阪・関西万博です。アイヌ舞踊公演「ウレㇱパ モシㇼ」と、ウポポイの活動や工芸を紹介した展示「イランカラㇷ゚テ」が行われました。

舞踊公演には、各地で文化伝承に携わる約200人が集まり、地域ごとに3チームを組んで異なる舞台を作りました。出演者は各自の衣装や道具を用いています。加藤峻也は、曽祖母の衣服と家に伝わるマタンブシ(鉢巻)、テクンペ(手甲)、ホㇱ(脚半)を身につけて出演しました。舞台上の衣装を「民族衣装」と一括りにせず、家族から受け継いだ物と個人の履歴までたどれることが、本展の「声」という方針をよく表しています。

この公演は突然生まれたものではありません。2020年東京オリンピック・パラリンピックの開会式でアイヌ舞踊を披露する構想のために各地の伝承活動者が集まり、開会式での披露は実現しなかったものの、札幌のマラソン・競歩に合わせた公式プログラムへつながりました。その後も一部のメンバーが活動を続け、人のつながりと運営のノウハウが2025年の舞台に引き継がれました。

制度面でも、2019年施行のアイヌ施策推進法は「先住民族であるアイヌの人々」と明記し、アイヌの人々の自発的意思の尊重を基本理念に置きました。2020年には民族共生象徴空間ウポポイが開業しています。1872年の展示と2025年の参加を並べることで、文化を見せる主体と、展示を組み立てる制度の双方が変わってきたことを確認できます。

約200点・重要文化財19点――注目資料と展示替え

本展には工芸品、写真、絵はがき、書簡、衣装、映像など約200点が集まり、うち重要文化財は19点です。重要文化財は、松浦武四郎『近世蝦夷人物誌』二編巻之中、松浦武四郎記念館所蔵の小箱・盆など木彫品等17点、国立歴史民俗博物館所蔵の大久保利通書簡です。

  • 『近世蝦夷人物誌』二編巻之中:1858年、松浦武四郎著。原資料は10月6日~11月1日、11月3日~29日は複製展示。
  • 「古今珍物集覧」:1872年、一曜斎国輝画。湯島聖堂博覧会の展示空間を視覚的に確認できる資料。10月6日~11月1日展示。
  • 学術人類館集合写真:1903年。第5回内国勧業博覧会の「人間展示」と、出場者・興行側の関係を考える資料。
  • 貝澤ウトレントク作「盆」:1913年の明治記念拓殖博覧会で受賞記録が残る工芸品。
  • 大阪万博に向かう途中の山田富三の写真:1970年。戦後の舞踊公演と博覧会参加を具体的な一人の履歴から追える資料。
  • 大阪・関西万博の衣装・舞台資料:2025年。地域ごとの演目、役割、家族から受け継いだ衣装や道具まで、現代の参加がどのように作られたかを示します。

前後期で展示替えがあります。特に『近世蝦夷人物誌』の原資料や「古今珍物集覧」を見たい場合は前期が対象です。

国立アイヌ民族博物館との共同研究が展覧会になった

本展は、展覧会のために資料を集めただけの企画ではなく、国立アイヌ民族博物館と国立歴史民俗博物館の研究連携を土台にしています。国立アイヌ民族博物館では2021~2023年に「近現代アイヌ民族史(誌)と博物館展示をめぐる実証的研究」を実施し、近代以降の資料が社会でどう受け止められてきたか、アイヌ民族自身が自文化をどう表象してきたかを調査しました。2024~2026年の継続研究にも歴博の研究者が参加しています。

歴博側では2026年3月、総合展示第5室「近代」をリニューアルし、「アイヌにとっての近代」を新たな視点の一つに据えました。明治国家の形成を多数者側の制度史だけで見るのではなく、土地、移住、教育、言語・文化の継承、権利の主張といったアイヌ民族の経験から捉え直す展示です。企画展の150年史は、この研究蓄積を博覧会という具体的な場に絞って展開したものと位置づけられます。

開催概要

展覧会名企画展示「アイヌ民族と博覧会―150年の経験―」
会期2026年10月6日(火)~11月29日(日)
前期・後期前期:10月6日~11月1日/後期:11月3日~11月29日
会場国立歴史民俗博物館 企画展示室A・B(千葉県佐倉市城内町117)
開館時間9:30~16:30(入館は16:00まで)
休館日月曜日(月曜日が休日の場合は開館し、翌平日休館)
料金一般1,500円/大学生800円。高校生以下・18歳未満は無料。総合展示も観覧可。
主催国立歴史民俗博物館、公益財団法人アイヌ民族文化財団 民族共生象徴空間運営本部 国立アイヌ民族博物館

開館日・開館時間、展示資料は変更される場合があります。来館前に国立歴史民俗博物館の展覧会公式ページで最新情報をご確認ください。

参考文献・公式資料