埼玉県立近代美術館で2026年10月10日から「内間安瑆・俊子展 色を織り、記憶を紡ぐ」が開催されます。木版画家の内間安瑆(1921–2000)と、油彩・版画からコラージュ、アッサンブラージュへ表現を広げた内間俊子(1918–2000)の活動を、約200点の作品と資料でたどる展覧会です。
二人の経歴を並べると、安瑆はアメリカ生まれで日本へ、俊子は中国東北部から神戸・東京へ移り、1959年には二人でニューヨークへ渡っています。作品の違いと同時に見たいのが、この移動の中で築かれた人のつながりです。恩地孝四郎、棟方志功、イサム・ノグチ、瑛九、泉茂らとの交流を追うと、東京とニューヨークを結んだ戦後美術の一断面が見えてきます。
安瑆にとっては2014年の沖縄県立博物館・美術館以来約12年ぶりの回顧展で、俊子は初期から晩年までを通して見せる初の大規模な回顧展です。代表作だけでなく、初期の油彩画やドローイング、版木、書簡なども紹介されます。
内間安瑆と内間俊子―なぜ二人を一緒に見るのか
安瑆と俊子は1954年に結婚し、1959年にアメリカへ渡りました。安瑆は木版画を中心に抽象表現を発展させ、俊子は油彩や木版を経て、1960年代後半からコラージュや箱型のアッサンブラージュへ進みます。制作方法は大きく異なります。
共通するのは、複数の土地と芸術家の間を移動しながら、自分の表現を作ったことです。安瑆は日本の創作版画とアメリカの抽象美術の双方に接し、俊子はデモクラート美術家協会や女流版画会での活動を経てニューヨークへ移りました。今回の展覧会が関連作家の作品や書簡まで含めるのは、夫妻の作品を個人史だけでなく、戦後の日米交流の中に置くためです。
安瑆―沖縄系アメリカ人として日本へ
安瑆は1921年、沖縄からアメリカへ移住した両親のもと、カリフォルニア州ストックトンに生まれ、ロサンゼルスで育ちました。1940年に来日して早稲田大学で建築を学び、戦時中も東京に残ります。戦後、恩地孝四郎の創作版画に感銘を受け、1950年代前半から木版画に取り組みました。
この時期の安瑆には、作家としての制作と並ぶもう一つの役割がありました。英語と日本語を使い、来日した人々と日本の美術家をつなぐことです。1950年にはイサム・ノグチの通訳を務め、ノグチを介して長谷川三郎とも交流しました。
1954年には、アメリカ人の創作版画研究者・収集家オリヴァー・スタットラーが恩地、棟方志功、平塚運一らを取材する際に通訳として立ち会っています。この調査はスタットラーの『Modern Japanese Prints: An Art Reborn』(1956年)につながりました。安瑆自身も1955年に養清堂画廊で初個展を開き、木版画家として歩みを進めます。
恩地や創作版画運動の背景は、当サイトの「日本版画協会とは?1918年の創作版画運動から版画展へ」で詳しく整理しています。安瑆はその歴史をそのまま継いだ作家というより、戦後の東京で創作版画に触れ、それをアメリカで独自の抽象表現へ展開した存在として見ると位置づけが分かりやすくなります。
日本の木版から「色面織り」へ
1959年、安瑆は俊子とともにアメリカへ渡り、ニューヨークを拠点に制作を続けました。1962年と1970年にはグッゲンハイム・フェローシップを受け、サラ・ローレンス大学では1962年から1982年まで版画を教え、コロンビア大学でも教壇に立っています。日本で身につけた木版の経験は、アメリカの美術教育や制作環境の中で別の展開を見せました。
埼玉会場で紹介される《Ripening》(1966年)や《In Blue (Dai)》(1975年)を経て、1977年頃から中心となるのが、安瑆が「色面織り」と呼んだ木版技法と〈Forest Byobu 森の屏風〉シリーズです。
ここでいう「織り」は布ではなく、木版の色面を幾重にも重ねる発想を指します。浮世絵版画の多版多色の考え方を土台に、色を何度も重ねて一枚の画面を組み立てます。色面が重なり、細かな色の振動を生みながら、縦方向の構成が屏風のようなリズムを作る点が特徴です。沖縄県立博物館・美術館の2014年回顧展案内では、〈Forest Byobu〉は平均45度、時には100回を超える摺りを重ねたと説明されています。
〈Forest Byobu〉は何が新しかった?
〈Forest Byobu〉では、縦の帯状の構成と細かく重ねた色面が「森」と「屏風」を抽象化し、木立や光の移ろいを感じさせます。日本の木版技術を土台にしながら、画面は戦後アメリカの抽象絵画とも響き合います。
埼玉会場の公式サイトで紹介されている《Forest Byobu (Shrub Oak-Autumn)》(1979年)と《Forest Byobu (Cobalt Weave) A》(1981年)は、この時期の比較に向く作品です。同じ木版技法の中で、色面と縦方向の構造がどのように変化するかを追えます。
俊子―大連・神戸・東京、デモクラート美術家協会へ
俊子は1918年、中国の安東県(現在の丹東市)に生まれ、大連で育ちました。1935年に家族で神戸へ移り、翌年から小磯良平に絵画を学びます。1950年代初頭に上京し、1953年に前衛美術グループのデモクラート美術家協会へ参加しました。
デモクラート美術家協会では、瑛九を中心に、東京と大阪をまたいで若い作家が活動していました。俊子はここで久保貞次郎や瀧口修造を知り、抽象的な油彩、木版、リトグラフへ制作を広げます。
1954年の詩画集『スフィンクス』は、その人脈を具体的に示す資料です。瀧口の詩に対し、北川民次、瑛九、泉茂、利根山光人らとともに版画を寄せ、俊子は旧姓の青原俊子名義で《魚の欲望》を制作しました。個人の作品だけを見るより、同じ本の中に複数の作家が参加した事実から、当時の前衛美術が展覧会だけでなく出版物を通しても結びついていたことが分かります。
女流版画会と戦後の女性作家
1956年、俊子は吉田千鶴子、小林ドンゲらと女流版画会を結成しました。戦後には女性作家による美術団体が各地で生まれており、女流版画会は版画に取り組む女性が継続して作品を発表する場を作った先駆的なグループです。
この時期の俊子は、油彩だけでなく多色木版を積極的に制作しました。埼玉会場では《彩のある風景》(1954年)、《愛の讃歌》(1957年、摺り1958年)、《ノクターン》(1967年)などが紹介されています。1950年代の油彩と木版を見比べると、渡米後のコラージュだけでは見えにくい、俊子の素材と技法の変化を追えます。
渡米後のコラージュ―「記憶を紡ぐ」表現へ
俊子も1959年にアメリカへ渡り、ニューヨークを拠点に活動しました。1960年代後半からはコラージュや箱型のアッサンブラージュを手がけます。紙片や身近な素材を組み合わせる方法は、版を重ねて色面を作る安瑆の木版とは異なります。
埼玉会場では《Putnam Nail》(1979年)、《彼女の名はデイジー》(1985年)、《鳩のいるアパートメント》(1986年)などが紹介されています。版画から立体的なミクストメディア、コラージュへと移る流れを見ると、俊子が既成の一つの技法にとどまらず、断片を組み合わせる表現へ進んだことが分かります。
1982年に安瑆が脳卒中で制作を中断した後も、俊子は看病を続けながら作品を発表しました。夫妻の後半生を「安瑆の木版と俊子のコラージュ」と単純に分けるより、同じ生活圏の中で二人が異なる素材と方法を選び続けた点に注目すると、二人展として見る意味が明確になります。
東京とニューヨークをつないだネットワーク
安瑆はイサム・ノグチの通訳を通じて長谷川三郎と知り合い、スタットラーの取材では恩地孝四郎、棟方志功、平塚運一らとの接点を持ちました。渡米後はニューヨークで制作しながら、サラ・ローレンス大学やコロンビア大学で版画を教えます。作品の移動だけでなく、人と情報が日米を往復する場にいました。
俊子はデモクラート美術家協会で瑛九、泉茂、瀧口修造らと結びつき、女流版画会では吉田千鶴子らと活動しました。渡米後もニューヨークで作品を発表しています。近年の戦後版画研究でも、夫妻は在日アメリカ人や日本の版画家をつないだ存在として論じられています。
今回の展覧会には、恩地、棟方、ノグチ、瑛九、泉ら、夫妻と深く関わった作家の作品も含まれます。夫妻だけの年譜を追うのではなく、「誰と出会ったか」「その出会いの前後で作品や活動がどう変わったか」を見ると、展覧会のテーマである東京とニューヨークのつながりが具体的になります。
埼玉会場で押さえたい作品と資料
埼玉県立近代美術館の公式サイトでは、安瑆の《小さなアパート》(1955年、摺り1956年)、《相撲》(1957年)、《Ripening》(1966年)、《In Blue (Dai)》(1975年)、〈Forest Byobu〉2点などを紹介しています。初期から1970年代後半までの変化を時系列で比べられる構成です。
俊子では《彩のある風景》(1954年)から《愛の讃歌》《ノクターン》を経て、《Putnam Nail》《彼女の名はデイジー》《鳩のいるアパートメント》へ進みます。油彩、木版、水彩、コラージュ、ミクストメディアと素材が変わるため、作品名だけでなく技法欄も確認すると制作の転換が分かりやすくなります。
展覧会全体は約200点で、一部展示替えがあります。前期は10月10日から11月29日、後期は12月1日から1月17日です。版木や書簡も展示されるため、完成作だけでなく制作工程と交流の記録を同じ展覧会で確認できます。
関連イベント
作品の背景をさらに知りたい場合は、専門家による講演・レクチャーがあります。いずれも埼玉県立近代美術館の公式案内に基づく情報です。
- 2026年12月20日15:00~16:30 レクチャー「内間俊子とその時代」/桑原規子、関直子、佐藤あゆか/2階講堂/定員80人、当日先着順、無料
- 2027年1月9日14:00~ 岡﨑乾二郎による講演会/2階講堂/定員80人、当日先着順、無料
- 2026年10月18日、12月13日 担当学芸員によるギャラリー・トーク
イベント内容や参加条件は変更される場合があるため、参加前に展覧会公式ページで最新情報を確認してください。
開催概要
| 展覧会名 | 内間安瑆・俊子展 色を織り、記憶を紡ぐ |
|---|---|
| 会期 | 2026年10月10日(土)~2027年1月17日(日) |
| 展示替え | 前期:10月10日~11月29日/後期:12月1日~1月17日 |
| 会場 | 埼玉県立近代美術館 2階企画展示室 |
| 住所 | 埼玉県さいたま市浦和区常盤9-30-1(北浦和公園内) |
| 開館時間 | 10:00~17:30(展示室への入場は17:00まで) |
| 休館日 | 月曜日、2026年12月29日~2027年1月3日。10月12日、11月9日、11月23日、1月11日は開館 |
| 観覧料 | 一般1,400円(団体1,120円)、大学生・高校生1,120円(団体900円)。中学生以下無料 |
| 出品点数 | 約200点 |
| アクセス | JR京浜東北線「北浦和駅」西口から徒歩3分 |
| 主催 | 埼玉県立近代美術館、東京新聞 |
障害者手帳等を提示する方は付き添い1名を含め無料です。企画展観覧券(ぐるっとパスを除く)で、同日に1階のMOMASコレクションも観覧できます。
参考文献・確認資料
- 埼玉県立近代美術館「内間安瑆・俊子展 色を織り、記憶を紡ぐ」
- 埼玉県立近代美術館「年間スケジュール2026–27」
- 神奈川県立近代美術館「内間安瑆・俊子展 色を織り、記憶を紡ぐ」
- アートプラットフォームジャパン「内間安瑆」
- アートプラットフォームジャパン「内間俊子」
- アートプラットフォームジャパン「詩画集『スフィンクス』より 魚の欲望(青原俊子)」
- Sarah Lawrence College, “Ansei Uchima: Selections”
- 沖縄県立博物館・美術館「色彩と風のシンフォニー/内間安瑆の世界」
- 桑原規子『戦後版画にみる日米交流 1945–1965』せりか書房、2024年
- 鹿島美術財団『鹿島美術研究 年報第42号別冊(2025)』
- 桑原規子「内間安瑆と俊子の日本時代―1950年代を中心に」『内間安瑆・俊子展 色を織り、記憶を紡ぐ』展覧会図録、2026年

