リサ・ラーソン追悼展|北欧デザイン史から見る陶芸と量産の仕事【松屋銀座】

松屋銀座で2026年9月25日から開催される「リサ・ラーソン追悼展 アーティスト・デザイナー・インスピレーションの源」は、2024年に92歳で亡くなったスウェーデンの陶芸家・デザイナー、リサ・ラーソンの仕事を約250点でたどる展覧会です。公式発表では、代表的な量産品だけでなく、ユニークピース(一点もの)、公共空間のための作品、他の企業や職人との協働までを「アーティスト」「デザイナー」「インスピレーションの源」という三つの視点から紹介します。

リサ・ラーソンは、日本では猫やライオンなどの愛らしい陶製フィギュアで広く知られています。しかし、その仕事を20世紀のデザイン史に置くと、別の輪郭が見えてきます。彼女が長く勤めたグスタフスベリ製陶所は、芸術家の造形力を工場の量産技術につなぎ、優れた日用品や装飾品を広い層へ届けようとしたスウェーデン近代デザインの重要拠点でした。ラーソンは、その仕組みの中で「作家の表現」と「工業製品としての再現性」を行き来した人物です。

リサ・ラーソン追悼展は何を見る展覧会?

今回の展覧会でまず押さえたいのは、リサ・ラーソンを「かわいい陶器を作った人」だけで終わらせない構成です。公式サイトが掲げる三つの領域は、そのまま彼女の創作の三層を示しています。

  • アーティスト:自由な発想で制作したユニークピースや、公共施設の壁面作品など
  • デザイナー:グスタフスベリやケラミックストゥディオンで量産・反復生産された陶製フィギュアやプロダクト
  • インスピレーションの源:ラーソンの造形を起点に、企業、職人、他のデザイナーとの協働から生まれた仕事

さらに「子どもたち」「トリ」「空想の動物」という三つのモチーフを横断して、ユニークピースと量産品の双方を見せるとされています。完成品の人気だけでなく、同じ発想が一点ものと製品のあいだをどう移動したのかを見る展覧会と考えると、展示の意味がつかみやすくなります。

公式情報では、これまで日本で公開されてこなかった作品を含む約250点が出品されると発表されています。ただし、2026年9月11日時点では「日本初公開」に当たる個々の作品名は公式サイトで一覧化されていません。未公開作の価値は珍しさだけでなく、既知の量産フィギュアとは異なる造形実験や制作過程を通して、ラーソンの作家像を広げる点にあります。

リサ・ラーソンとは誰か

リサ・ラーソン(Lisa Larson、1931–2024)は、スウェーデン南部スモーランド地方に生まれました。1949年から1954年までヨーテボリのスロイド・フォレーニング校で陶芸を学びます。学生時代の作品が北欧の美術工芸学校のコンペティションに出品され、その審査員だったグスタフスベリのスティグ・リンドベリが造形に注目しました。

1954年にグスタフスベリへ入社します。当初は一年間の試用という位置づけでしたが、結果的に1980年まで26年間在籍しました。グスタフスベリ陶磁器博物館は、ラーソンが若手デザイナーのための試作スタジオ、通称「レークストゥーガン(遊び小屋)」で新しいモデルを試し、量産に適した形へ発展させていったと説明しています。

彼女の中心的な素材は、粒子を含む炻器せっきやストーンウェアです。丸みのある身体、少ない線で作る表情、釉薬ゆうやくの濃淡、土肌を残した表面などを組み合わせ、動物や人物を写実とは異なる方法で造形しました。スウェーデンのロースカ美術工芸博物館は、彼女を「遊び心あるスウェーデン陶芸の先駆者」と位置づけ、国立美術館やグスタフスベリ陶磁器博物館も20世紀スウェーデンの陶芸・デザイン史を代表する人物として紹介しています。

北欧デザインとは何か――「シンプル」の一語では足りない

「北欧デザイン」「スカンディナヴィアン・デザイン」という言葉は、現在では明るい木材、簡潔な形、機能性、自然素材といったイメージで語られます。しかし、歴史的には1950年代に北欧諸国の現代デザインを海外へ紹介するため強く打ち出された枠組みです。スウェーデン国立美術館は、1950年代の国際的な宣伝によって、北欧の伝統、自然、民主主義的価値観を結びつけるブランドとして形成された面があると説明しています。

その背景には、19世紀以来の「工業製品の質を芸術とデザインによって高める」という運動がありました。スウェーデンでは20世紀前半、住宅、食器、家具、衛生設備など、日常生活を改善する製品に優れた造形を与えることが社会的な課題になります。大量生産を芸術の敵とみなすのではなく、よい形を多くの家庭へ届けるための手段として利用した点が重要です。

1954年から1957年に北米を巡回した「Design in Scandinavia」展は、こうした北欧のデザイン像を国際的に広めました。ラーソンがグスタフスベリに入った1954年は、まさに「スカンディナヴィアン・デザイン」が海外で大きく可視化され始めた時期と重なります。北欧デザインの国際化を別の角度から見るなら、同じく生活とデザインの関係を扱う「マリメッコ展『模様のちから』」の解説も参考になります。

グスタフスベリ社とはどのような会社だったのか

グスタフスベリ製陶所は、ストックホルム東方のグスタフスベリで1825年に設立され、1827年に生産を始めた陶磁器メーカーです。食器や装飾陶器だけでなく、衛生陶器、エナメル、プラスチック製品まで扱い、20世紀スウェーデンの生活環境を支える大規模な窯業ようぎょう企業へ成長しました。

転機の一つが1937年です。スウェーデン生活協同組合連合会(KF)が工場を買収し、近代化を進めました。KFは「フォルクヘム(国民の家)」と呼ばれる福祉国家形成の時代に、明るく衛生的で機能的な住環境を普及させる役割を担いました。グスタフスベリの洗面台、便器、食器、家庭用品は、美術館のための特別品だけでなく、生活水準の向上と結びついた工業製品でもありました。

同社は芸術家やデザイナーを社内に抱えたことでも知られます。ヴィルヘルム・コーゲ、スティグ・リンドベリ、カーリン・ビョルクヴィストらが、食器、スタジオ陶芸、公共空間、工業製品を横断しました。1942年には芸術的実験のためのグスタフスベリ・スタジオも設けられます。工場とアトリエ、製造と実験を分断しなかった環境が、ラーソンの二つの顔を育てました。

「アーティスト」と「プロダクトデザイナー」という二つの顔

ラーソンの仕事では、一点ものと量産品を別世界として分けると本質を見失います。グスタフスベリ陶磁器博物館の解説によれば、彼女はユニークピースを作りながら、その造形の一部を工場で生産できるモデルへ発展させました。逆に、量産のために得た型や技法から新しい一点ものが生まれることもあります。

一点ものは「自由」、量産品は「制約」の中の設計

ユニークピースでは、粘土の形、刻み、彩色、釉薬、焼成の偶然性を一個の作品として受け止められます。公共施設の壁面作品のように、建築空間に合わせて大きさや構成を変える仕事もあります。

量産品では、原型から型を作り、同じモデルを繰り返し成形できる必要があります。焼成時の変形、部品の接合、彩色にかかる時間、販売価格、輸送、店頭での見え方まで考えなければなりません。作家の一回的な手つきを、工場の工程へ翻訳する設計が求められます。

量産デザインに芸術性を持たせるとはどういうことか

ラーソンの量産品は、すべてを機械的に均質化したわけではありません。輪郭や主要な造形を型によって共有しつつ、釉薬や彩色、焼き上がりには手仕事と素材の差が残ります。シリーズとして同じ猫でも、一体ずつ表情や色の出方が微妙に違う。その「設計された共通性」と「素材が生む個体差」の両立が、工業製品に陶芸の感触を残しました。

スウェーデン国立美術館の《ボウルの中の男》は、この関係を理解しやすい例です。手作りの一品的な発想をもとに、男性像を鋳込みで成形し、クロモプリントなどを用いた量産可能な作品へ置き換えています。芸術性は「作家本人が全部を手で作ったか」だけで決まるのではなく、原型の形、表面処理、製造工程を通してどこまで造形の意図を保てるかにも宿ります。

なぜ陶製の動物や人物像は世界的に人気になったのか

人気の理由は、単純に「かわいいから」だけでは説明できません。ラーソンのフィギュアには、遠くからでも判別できる強いシルエットがあります。猫なら背中や尻尾、ライオンなら丸い胴体と顔、人物なら身体全体を一つの塊として見せ、細部を増やしすぎません。顔も数本の線や小さな凹凸で成立するため、表情を決めつけず、見る側が感情を読み込める余地があります。

もう一つは素材感です。シャモットを含む粗い土、掻き落とした線、部分的な施釉、マットな面と光沢のある面の対比が、手で触れられる彫刻としての存在感を作ります。写実的な動物彫刻より抽象化され、純粋な幾何学的オブジェより親しみやすい。その中間にいることが、家庭の棚に置ける小さな彫刻として広い層に受け入れられました。

さらに、グスタフスベリという量産と流通の仕組みがありました。製品は百貨店や小売店、輸出を通じて家庭へ入り、鑑賞者が美術館へ行かなくても日常の中で出会えました。ロースカ美術工芸博物館が「多くのスウェーデン家庭を飾ってきた」とするように、ラーソンのデザインはコレクション対象になる前から生活用品の市場に根を持っていました。

代表的シリーズと主要モチーフ

《Lilla Zoo(小さな動物園)》――最初期の量産シリーズ

1955年にデザインされた初期の代表シリーズです。猫、馬、キツネ、ダックスフント、バイソンなどを小さなストーンウェアの塊へ整理し、1956年頃から量産されました。立つ猫のモデルをスティグ・リンドベリが見つけ、シリーズ化を勧めたと伝えられています。若い陶芸家の試作が、そのまま工場の製品企画へ接続した例です。

《ABC-flickor(ABCガールズ)》――女性像を記号化する

1958年にデザインされた女性像のシリーズです。アマーリア、ベアータ、シャルロッタ、ドーラ、エマというAからEの名を持つ女性たちが、ふっくらした身体と衣服を一体の彫刻として表されます。人物の個性を細密な顔貌ではなく、姿勢と量感、服の装飾で作る点にラーソンらしさがあります。

《Larsons ungar(ラーソンの子どもたち)》――家族と身近な人物

1961年にデザインされ、1960年代初頭から生産された子どものシリーズです。ヨハンナ、マリン、ロッタ、カッレ、ペッレなど、身近な子どもを思わせる名前とポーズが与えられています。ラーソンの人物像では、英雄や神話的人物より、子ども、母親、読書する女性、家族といった日常的な人間が繰り返し登場します。

《Afrika(アフリカ)》とライオン――「動物らしさ」を形へ圧縮する

1964年にデザインされた《Afrika》には、ライオン、ゾウ、トラ、ラバなどが含まれます。中でもライオンはラーソンを象徴するモチーフになりました。たてがみや筋肉を写実的に彫り込むのではなく、顔と胴を大きな量塊としてまとめることで、一目でライオンと分かる記号性と陶器らしい重量感を両立させています。

《All världens barn(世界の子どもたち)》――デザインと社会活動

1974年に構想され、1970年代後半に展開した子どものシリーズです。グスタフスベリの社内資料によれば、販売の一部がユニセフへの寄付につながりました。今日の視点では各地域の子どもを類型化した表現をどう見るかも検討が必要ですが、当時のラーソンが量産デザインを国際協力の仕組みと結びつけた例として重要です。

《Samhällsdebatten(社会討論)》――かわいらしさだけではない人物表現

1968年にデザインされた《Samhällsdebatten》は、女性が男性を抱きかかえる大きな人物像です。スウェーデン国立美術館によると、もとは男性が花嫁を抱く結婚祝いの案でしたが、陶製の男性の脚が重さに耐えず、女性のドレスを土台にする構成へ反転しました。その結果、当時のジェンダーや権力をめぐる社会的議論とも響く作品になりました。ラーソンの人物像には、ユーモアと同時に社会を見る視線があります。

他の北欧デザイナーと何が違うのか

グスタフスベリには、ラーソン以外にも20世紀スウェーデンを代表するデザイナーが集まりました。比較すると彼女の特徴が明確になります。

  • ヴィルヘルム・コーゲ:1917年からグスタフスベリで活動し、実用食器と高級なスタジオ陶芸を往復しました。1942年のグスタフスベリ・スタジオ創設にもつながる人物です。
  • スティグ・リンドベリ:食器《Berså》や《Spisa Ribb》だけでなく、テキスタイル、プラスチック、グラフィック、児童書まで手がけた極めて多領域のデザイナーでした。
  • カーリン・ビョルクヴィスト:積み重ね可能な業務用カップからノーベル賞晩餐会の食器、地下鉄駅の建築陶芸まで、機能、身体、空間に強く向き合いました。

ラーソンも器や公共作品を制作しましたが、最も独自性が表れたのは「家庭に置ける彫刻」を工業製品にした点です。食卓のための器を設計するデザイナーとも、ギャラリーの一点ものだけを作る陶芸家とも異なり、動物や人物そのものを反復生産の対象にしました。そのため作品は、製品、彫刻、玩具、インテリア、コレクションの境界をまたぎます。

独立後――工場を離れても量産を捨てなかった

ラーソンは1980年にグスタフスベリを離れ、フリーランスとして活動します。グスタフスベリ陶磁器博物館は、独立後の仕事先としてローゼンタール、KF、Duka、Höganäs、ガラス工房などを挙げています。一点ものや展覧会作品へ比重を広げながら、企業の依頼で量産品を設計する仕事も続けました。

1992年には、フランコ・ニコロージ、シヴ・ソリンとともにグスタフスベリ港でケラミックストゥディオンを設立しました。ここでは熟練した職人が歴史的モデルや新作を小規模に制作し、ラーソンの造形言語を継承しています。大工場の大量生産から、スタジオでの少量反復生産へ規模は変わっても、「作家の形を他者の手と工程へ渡す」というデザインの考え方は続きました。

なぜ日本で特に人気が高いのか

日本での人気は、「日本人はかわいいものが好きだから」という一言では説明できません。具体的には、長期にわたる展覧会、流通、出版、ライセンス展開、そして日本の産地との共同制作が積み重なってきました。ラーソンは1970年代末から1980年代初頭に日本で個展を行い、その後も日本で紹介が続きます。2014年には松屋銀座から日本初の大規模展が巡回し、2017年にも松屋銀座で別の大規模展が開かれました。

日本の公式ブランドサイトを運営するトンカチは、作品だけでなく図案やキャラクターを生活用品へ展開し、陶芸に詳しくない層にもラーソンの形を届けました。ここでは「原作の陶器」と「図案を使ったプロダクト」が同時に流通したため、デザイナーとしての受容が強まりました。

日本文化との共同制作「JAPAN SERIES」

ラーソンと日本の関係で重要なのが「JAPAN SERIES」です。公式サイトによれば、2011年の東日本大震災後、ラーソンが「日本に思いを届けたい」と望んだことが企画のきっかけになりました。長崎県佐世保の三川内焼による豆皿、栃木県の益子焼、手ぬぐいなど、日本各地の素材と技法にラーソンの図案を重ねています。

これは海外デザイナーの絵を日本製品へ貼り付けるだけの関係ではありません。産地ごとの成形、絵付け、釉薬、染色の工程に合わせ、図案を別の素材へ翻訳する試みです。ラーソンがグスタフスベリで経験した「作家の形を生産工程へ渡す」仕事が、日本の伝統工芸との協働でも別の形で続いたと見ることができます。

後続のデザイナーへ与えた影響

ラーソンの影響は、特定の作家が猫やライオンを模倣したことだけでは測れません。より大きいのは、作家性の強い立体物を、家庭に届く価格帯の製品として成立させる方法を示したことです。ユニークピース、工場のシリーズ、小規模スタジオ生産、企業コラボレーションを一人の作家が往復するモデルは、現在のデザイナーやクラフト作家にも馴染み深い働き方になっています。

今回の展覧会が「インスピレーションの源」という章を設け、他のデザイナーや職人との協働を独立した柱にしているのも、その影響を個人作家の作品リストだけで終わらせないためです。完成したフィギュアを「誰の作品か」で見るだけでなく、原型を作る人、型を扱う人、彩色する人、商品として届ける企業まで含めてデザインを考えることができます。

日本側の比較例としては、民藝の考えを新しい日用品の設計と生産・販売へつないだ「吉田璋也のデザイン」展の解説も参考になります。背景は大きく異なりますが、「美術と生活」「作家と職人」「一点物と反復生産」の境界をどう組み替えるかという問いは共通しています。

今回の展示で特に見たい4つのポイント

  1. ユニークピースの形と表面
    量産品で知られる作家が、一点ものではどこまで形を崩し、釉薬や刻線を自由に使ったのかを見ると、シリーズ品の原型になった発想が分かります。
  2. 同じモチーフの「一点もの」と「量産品」の差
    子ども、鳥、空想の動物が、自由制作と製品設計でどう変わるかを比べると、デザイナーとしての判断が見えます。
  3. 公共作品と家庭用フィギュアのスケール差
    壁面作品など大きな仕事と、手のひらに収まる陶製フィギュアを同じ作家の造形として見ることで、ラーソンの仕事が雑貨的な小品に限定されないことが分かります。
  4. 日本未公開作品と協働作品
    既知の代表作だけでなく、未公開作と企業・職人との協働を確認することで、アーティスト、プロダクトデザイナー、他者を動かすインスピレーション源という三つの顔をつなげられます。

開催概要

展覧会名リサ・ラーソン 追悼展 アーティスト・デザイナー・インスピレーションの源
会期2026年9月25日(金)~10月12日(月・祝)
会場松屋銀座8階イベントスクエア
開場時間11:00~20:00。9月27日(日)、10月4日(日)は19:30まで。最終日は17:00閉場。入場は閉場30分前まで。
当日券一般・大学生2,000円、高校生1,500円、中学生1,200円、小学生900円
前売券一般・大学生1,800円、高校生1,300円、中学生1,000円、小学生700円。ローソンチケットで9月24日まで販売。
日時指定初日9月25日、および土日祝の11:00~13:00は日時指定制
公式サイトリサ・ラーソン追悼展 公式サイト

会期中の営業時間や運営方法は変更される場合があります。入場前に公式サイトの最新情報を確認してください。

参考資料