吉田璋也のデザイン|「新作民藝」は何を変えた?鳥取から生まれた民藝運動の実践

吉田璋也が創設した鳥取民藝美術館の外観

2026年10月15日からパナソニック汐留美術館で開催される「吉田璋也のデザイン―新作民藝運動がめざした未来」は、鳥取の医師・吉田璋也が進めた「新作民藝」を、作品だけでなく、生産・流通・販売、建築、地域活動まで含めてたどる展覧会です。東京で吉田の名を冠した展覧会が開かれるのは今回が初めてで、鳥取民藝美術館の特別協力のもと、作品と資料あわせて約300点が紹介されます。

吉田は、民藝の考え方を新しい日用品が生まれ続ける仕組みへ展開した実践者でした。器や家具の形を考え、職人に制作を依頼し、店をつくって売り、暮らしや医院の空間に組み込みました。本展は、その一連の実践を「デザイン」として捉えます。

展覧会「吉田璋也のデザイン」は何を見る展覧会?

展示の中心は、吉田璋也よしだ しょうやが1931年から鳥取で進めた新作民藝運動です。陶磁器、木工、家具、染織、金工、竹工、和紙など、素材も用途も異なる品々が並びます。代表例には、牛ノ戸焼の《緑釉黒釉染分小皿》、電気スタンド、ネクタイ、パン切り台とナイフ、竹のショルダーバッグなどがあります。

展覧会は、品物の形から、その背後にある仕組みへ視野を広げます。古い民藝を集めて「美の標準」を示し、新しい日用品を職人とつくり、販売拠点から使い手へ届け、美術館や割烹店、医院、住宅という空間にまで民藝を広げる流れをたどります。吉田が自らを「民藝のプロデューサー」と称した理由が、約300点の作品と資料から具体的に追える構成です。

「旧吉田医院」と「旧吉田璋也自邸」の一部は原寸で再現されます。家具、建具、照明、診療道具まで組み合わせた吉田の「暮らしのデザイン」を、空間として確認できる展示です。

吉田璋也とは誰か

吉田璋也よしだ しょうや(1898~1972)は鳥取市生まれの医師・民藝運動家です。新潟医学専門学校で学んだ時期に文芸雑誌『白樺』の影響を受け、のちに柳宗悦やなぎ むねよしに師事しました。1931年に鳥取で医院を開業すると、医師として働きながら新作民藝運動を始めます。

出発点の一つとなったのが、鳥取で続いていた牛ノ戸焼うしのとやきです。鳥取県の資料によると、吉田は1931年に四代目・小林秀晴へ働きかけ、現在も鳥取新作民藝を代表する緑と黒の染分皿につながる制作を指導しました。吉田はその後、陶芸だけでなく木工、染織、金工、和紙などへ対象を広げ、地元の材料と職人の技術を生かした新しい生活用品を考案していきます。

1932年には鳥取に「たくみ工芸店」を開き、翌1933年には東京にも支店を設けました。戦時中は軍医として中国北部へ派遣され、除隊後も北京を拠点に1945年まで工芸家と新作民藝に取り組みます。戦後は鳥取へ戻り、民藝団体の組織化や鳥取民藝美術館の創設、地域の文化財保護にも力を注ぎました。

民藝運動と「新作民藝」は何が違う?

「民藝」という言葉は、1925年に柳宗悦やなぎ むねよし、河井寬次郎かわい かんじろう、濱田庄司はまだ しょうじらが、民衆が日常で使う工芸品に目を向ける中で生み出しました。日本民藝館の説明では、柳たちは無名の職人がつくった平凡な日用品の中に、それまで美術の中心では評価されにくかった美を見いだしました。

柳たちが既存の無名の日用品に美を見いだしたのに対し、吉田璋也よしだ しょうやは新しい日用品の形や用途を考え、職人へ制作を依頼しました。新作民藝は、意図してデザインされた新製品を民藝としてどう成立させるかという課題を抱えていました。

吉田は古作を集めて美の基準を学び、地域に残る材料と技法を調べ、それを当時の生活に必要な器具へ置き換えました。鳥取民藝美術館による古今各地の民藝収集と新作民藝の制作は、「何を美しいと見るか」と「何を新しくつくるか」をつなぐ活動でした。

鳥取でつくられた新しい日用品

吉田璋也よしだ しょうやの新作民藝は、伝統的な器の復興だけにとどまりません。1931年の牛ノ戸焼うしのとやき《緑釉黒釉染分小皿》のほか、1930年代後半の《丸傘電気スタンド》、1931年の《ににぐりネクタイ》、1950年代前半の《パン切り台》《果物ナイフ》《パン切りナイフ》、竹のショルダーバッグなど、近代の生活で生まれた用途へ手仕事を接続しています。

吉田は地域の工芸を、電気照明、洋装、パンや果物を食べる生活、椅子やテーブルを使う住空間など、変化した暮らしに対応する品へ展開しました。伝統的な素材や技術を継続させるため、使い手が必要とする用途そのものをつくり直したのです。

鳥取県は現在の牛ノ戸焼について、1931年に吉田の指導を受けて生まれた緑と黒の染分皿が、今もつくられるロングセラーになっていると紹介しています。新作民藝は、地域の窯や工房で生産が続く仕組みを目指した実践でした。

デザインから生産・流通・販売まで設計した

吉田璋也よしだ しょうやの特徴は、形を考えた後も仕事が続くことです。職人と試作し、継続して生産できる形を整え、販売する場所まで用意しました。1932年に鳥取で開いた「たくみ工芸店」と、1933年の東京支店は、新作民藝を使い手へ届けるための流通・販売拠点でした。

鳥取県は、吉田が県内の職人とともに「企画・デザイン・製作・流通・販売・消費」に至る組織をつくったと説明しています。工芸を継続するには、職人がつくり続け、店が扱い、買い手が日常で使う循環が必要です。吉田の「プロデューサー」という立場は、この循環を組み立てる仕事を指しています。

戦後の1949年には鳥取民藝美術館を創設しました。同館は現在、朝鮮陶磁、日本・中国・西洋・鳥取の古民藝、新作民藝など5,000点を超える資料を収蔵しています。古い優品を見せる美術館、つくる職人、販売する工芸店が近い距離で結びつくことで、収集と制作、流通が循環する基盤ができました。

1962年に開いた「たくみ割烹店」も同じ考え方の延長にあります。鳥取民藝美術館は同店を、吉田がデザインした空間で民藝品を実際に使う「生活的美術館」と説明しています。展示ケースの中で見る工芸と、食卓で使う工芸を切り離さなかった点に、吉田の生活文化運動の性格が表れています。

中国で続いた新作民藝――1938年から1945年

吉田璋也よしだ しょうやは1938年に軍医として中国北部へ派遣され、除隊後は北京に居を構え、1945年まで現地の工芸家と新作民藝に取り組みました。鳥取民藝美術館は、この時期に吉田が「華北生活工芸店」を開いたことも伝えています。

本展ではこの時期を独立した章として扱い、《中国風曲木肘掛椅子》などを紹介します。地域の材料や技術を調べ、現地の工人と新しい生活用品をつくる方法は、中国でも実践されました。

旧吉田医院・自邸から見る「暮らしのデザイン」

吉田璋也よしだ しょうやは、器や家具から建築まで幅広く関わりました。本展では「旧吉田医院」と「旧吉田璋也自邸」の一部が原寸再現されます。吉田は1932年以降、医院を改装・新築するたびに「民藝風医院」の設計に関わり、診察椅子、薬瓶台、家具、屑入れなども自ら考案しました。

現在残る旧吉田医院は1952年、旧吉田璋也家住宅主屋は1953年の建築で、ともに2021年に国の登録有形文化財となりました。文化庁のデータベースでは、医院は白漆喰の土蔵造を基調としながら、洋風の階段室と東洋風の窓桟を組み合わせた建物とされています。住宅も、東洋風の家具と洋風天井など、東西の意匠を取り入れています。

再現展示では、器や家具と建築を結びつけた吉田の空間設計を具体的に確認できます。器、家具、照明、建具、診療道具を互いに関係させ、使う場そのものを整える。吉田にとってデザインの単位は一個の製品から生活空間へ広がっていました。

約300点でたどる吉田璋也の仕事

展覧会は、吉田璋也よしだ しょうやが集めた古民藝から、鳥取での新作民藝、中国での活動、戦後の生活文化運動、民藝仲間との交流、地域の自然・文化財保護までをたどります。

1.古い民藝を集め、「美の標準」を確かめる

序章では鳥取民藝美術館の収集品が紹介されます。柳宗悦やなぎ むねよしが説いた民藝の「美の標準」を、実物を通して確かめるための収集です。新作民藝の前に古作が置かれることで、吉田が何を手本に新しい品を考えたのかが分かります。

2.鳥取の素材と職人から新しい日用品をつくる

鳥取では、古い工芸の調査から始め、地元の職人と試作を重ねました。《緑釉黒釉染分小皿》のような器から、家具、照明、染織、金工へと対象が広がります。作品名の横に「吉田璋也デザイン」と工人の名が併記される点も、新作民藝の制作体制を考える手がかりです。

3.美術館・店・食・建築へ広げる

戦後は美術館、工芸店、割烹店、医院、住宅などが連動します。収集品から学び、新しい品をつくり、店で流通させ、実際の生活空間で使うという流れが、単なる商品開発を超えた生活文化の提案になりました。

4.人物関係と地域活動まで見る

第5章では柳宗悦、河井寬次郎、濱田庄司、バーナード・リーチらとの交流、第6章では鳥取砂丘、鳥取城跡、仁風閣などの保護活動が扱われます。ものづくり、流通、空間、地域環境まで視野が広がるため、「新作民藝運動」を社会の仕組みとして見ることができます。

民藝運動の中で吉田璋也をどう位置づけるか

柳宗悦やなぎ むねよしが各地の日用品に美を見いだし、言葉と収集によって民藝の思想を形づくったのに対し、吉田璋也よしだ しょうやは、その基準をもとに「これから使われる日用品」を地域で生産する方法を組み立てました。河井寬次郎が吉田を「民藝の母」と呼んだという逸話も、理論を受け止め、作品と生産の現場へ育てた役割をよく表しています。

吉田は医師として働きながら、職人、販売者、美術館、料理店、建築、地域保存活動をつなぎました。工芸品の形に加え、誰がつくるか、どう売るか、どこで使うかまで設計した点に、新作民藝運動の独自性があります。

柳が朝鮮の工芸へ関心を深めた背景には、浅川伯教・巧兄弟との交流もありました。朝鮮の生活文化と民藝運動の関係は、「韓国に眠る日本人・浅川巧|朝鮮の山と民芸を愛した林業技師の物語」でも紹介しています。吉田の中国での活動とあわせて見ると、民藝運動が地域を越えて人と工芸を結んだ複数の経路が分かります。

開催概要

展覧会名吉田璋也のデザイン―新作民藝運動がめざした未来
会期2026年10月15日(木)~12月20日(日)
会場パナソニック汐留美術館(東京都港区東新橋1-5-1 パナソニック東京汐留ビル4階)
開館時間10:00~18:00(入館は17:30まで)
夜間開館11月6日(金)、12月4日(金)、12月18日(金)、12月19日(土)は20:00まで(入館は19:30まで)
休館日水曜日。ただし12月16日(水)は開館
入館料一般1,200円、65歳以上1,100円、大学生・高校生700円、中学生以下無料。前売料金は一般1,000円、65歳以上900円、大学生・高校生500円
日時指定11月28日(土)~12月20日(日)の土・日・祝日は日時指定予約が必要。平日は予約不要
撮影館の利用案内では展示室内の写真撮影は不可。最新の案内は公式サイトで確認してください
特別協力鳥取民藝美術館

前売券は公式ウェブサイトで販売され、2026年10月15日から11月27日まで利用できます。障がい者手帳またはミライロIDを提示した方と付添者1名は無料です。会期・開館時間・料金・予約方法は変更される場合があるため、来館前にパナソニック汐留美術館の展覧会公式ページをご確認ください。

参考文献・公式資料