品川区中延の住宅街に、石版画で使う「革ローラー」を作る会社があります。有限会社中島革ゴムローラー製作所です。革を巻いた大きな円筒を手で転がし、石や金属の版にインクをのせる道具を製造しています。同社によれば、この種の革ローラーを日本国内の法人として製造・販売しているのは現在同社だけです。
創業は1903年(明治36年)。同社は革ローラーを90年以上、ゴムローラーを50年以上作り続けてきたと説明しています。大量印刷が機械化され、版画の道具にもゴムや合成素材が広がった後も、革を必要とする版画制作者へ製品を供給してきました。印刷機用ローラーの修理、版画用ゴムローラー、工業用の特殊なローラーも扱っています。
「日本で唯一」は、どのローラーを指すのか
革ローラーは、円筒の表面に牛革を巻いた印刷・版画用の道具です。中島革ゴムローラー製作所の公式サイトは、かつて国内に数か所の製造元が存在し、現在は「法人として製造・販売しているのは当社のみ」と説明しています。「日本でローラーを作る会社が一社」という意味ではなく、対象は革製の平版ローラー、集計単位は国内法人です。個人の製作者や海外のメーカーまで含めた唯一性を示す資料ではありません。
同社の所在地は東京都品川区中延1丁目7番9号です。美術大学、版画工房、美術館、画材店へ製品を供給し、リトグラフ・銅版画・木版画用の道具と、商業印刷機に組み込むローラーの双方を扱っています。会社概要には、武蔵野美術大学、多摩美術大学、京都市立芸術大学、町田市立国際版画美術館、横浜美術館などが主要取引先として掲載されています。
1798年の発明から始まった石版印刷の道具
革ローラーの役割を理解するには、石版印刷(リトグラフ)の仕組みを知る必要があります。リトグラフは1798年、ドイツのアロイス・ゼネフェルダーが完成させた平版印刷の技法です。木版画は版の凸部、銅版画の一部技法は凹部を利用しますが、リトグラフでは石灰岩やアルミ板などの平らな表面に、油になじむ場所と水を保つ場所を化学的に作ります。
製作者はリトクレヨンや解墨などの油性描画材で版に絵を描き、版面を処理します。印刷するときには版を水で湿らせ、インクを含ませたローラーを転がします。水を保った部分は油性インクをはじき、描画した部分にインクが付着します。最後に紙を重ね、プレス機で圧力をかけると図柄が転写されます。武蔵野美術大学の技法解説と国立西洋美術館の展覧会資料は、この水と油の反発をリトグラフの基本原理として説明しています。
19世紀の欧州では楽譜、地図、出版物、ポスターに石版印刷が使われ、画家たちも表現手段として取り入れました。日本では明治初期に導入が進み、国立印刷局が所蔵する1874年(明治7年)の『石画試験』は最初期の石版印刷物です。印刷局は同年から石版印刷を行い、1877年には多色石版印刷による作品を内国勧業博覧会へ出品しました。
革ローラーは「裏革」と「表革」で使い道が違う
中島革ゴムローラー製作所が製造する平版革ローラーには、牛革のどちらの面を外側に向けるかによって二つの種類があります。革の体内側にあたる面を外へ向ける「裏革ローラー」は、主にリトグラフの製版や墨刷りに使われます。表側を外へ向けた「表革ローラー」は、カラーの多色刷りに用いられます。
会社の製品説明には、革を巻き、縫い目が分からないように加工する構造が記されています。継ぎ目が版面を通過するたびにインクの乗り方が変わることを避けるため、表面を連続した円筒に仕上げる精度が必要です。ただし、縫製方法や作業時間の細部について同社が公開していない工程は推測で補いません。
革とゴムは同じ形の代用品として交換できるばかりではありません。同社は、表革ローラーについてゴムローラーとは異なるインクの盛り方や表現ができると説明しています。リトグラフの道具一覧を公開する武蔵野美術大学も、印刷用具として「革ローラー・ゴムローラー」を並記しています。
1903年創業、革90年以上・ゴム50年以上
会社概要によると、中島革ゴムローラー製作所の創業年は1903年(明治36年)です。公式サイトには1973年から法人化したことも記されています。代表取締役社長は中島雄太さんです。代表挨拶では、革ローラーを90年以上、ゴムローラーを50年以上製造・提供してきたと述べています。
1903年は、日本で石版印刷がすでに実用化されていた時代です。その後、印刷の版式、材料、工場設備は大きく変化しました。ただし、同社が創業当初からどの種類のローラーを作っていたか、革ローラーの製造を始めた正確な年、創業者や各代の詳しい事業承継については、今回確認できた公式資料に明確な年譜がありません。創業年から現在の全製品の歴史を逆算することは避けます。
なぜ革ローラーを製造する法人が減ったのか
石版印刷は、かつて商業印刷と美術制作の両方に使われた技法でした。国立印刷局の資料には、明治から昭和期に使用した石版石が残ります。同局はのちに石版印刷を行わなくなり、版材の多くも処分したと説明しています。印刷技術が変わり、大量複製の現場から旧来の設備が減っていく過程を示す事例です。
現在のリトグラフにはアルミ版が広く使われ、印刷道具にも革とゴムの両方があります。商業印刷では、インクを機械内部で運ぶゴムローラーや、版の像をゴムに転写するオフセット方式が利用されています。こうした技術の変化によって、革ローラーを大量に供給する需要はかつてより限られたと考えられます。一方、旧メーカー各社が廃業した個別の理由や廃業年を示す一次資料は確認できていないため、一律に技術転換が原因だったとは扱いません。
製造販売を続ける企業側にも、少量で専門性の高い注文へ応じる体制が必要になります。中島革ゴムローラー製作所は革製品に加え、版画・印刷・工業用途の多様なローラーと修理サービスを事業にしています。革ローラーだけを作る会社として残ったというより、ローラーの材料と用途を広げながら製造を続けてきた姿が公式事業一覧から分かります。
2003年、木製の芯をアルミへ置き換えた
製品の改良を示す具体的な記録が2003年(平成15年)春の「NEW平版ゴムローラー」です。同社はそれ以前、アルミ製の持ち手を備えたタイプと、木製の芯を使うタイプの平版ゴムローラーを長く製造販売していました。木芯タイプには、時間がたつとゴムが芯から剥がれる問題があったと会社自身が説明しています。
新製品はゴムを巻く芯をアルミ製にし、持ち手には木を採用しました。ゴムをアルミ芯へ焼き付けることで、従来の木芯タイプより耐久性を高めています。持ち手は木工挽物職人が一本ずつ作り、合成うるしによる表面処理で傷への強さを補います。製品全体を金属製にする方法と比べ、同じサイズなら軽量に仕上がる構造です。
材料や加工工程を見直して製造コストも下げ、従来のアルミ持ち手タイプより安価に提供できるようにしたと説明されています。革を作り続ける一方で、ゴムローラーでは芯材、接着方法、握り手を変える。用途別に必要な性能を見極めた改良でした。
使い捨てず、削り直すローラーもある
同社のNEW平版ゴムローラーは、新品時のゴム層の片側肉厚が約12ミリメートルあります。長年の使用で表面が劣化した場合、傷の状態や残った厚みに応じて表面を研磨し直せます。会社案内では、再研磨が3~4回程度可能で、深い傷がなく肉厚が約7ミリメートル残っていれば加工対象になるとしています。
同社は、版画家や刷り師が一本のローラーを10年以上使う例にも言及しています。また、片手持ちのゴム手ローラーでは、枠を残してローラー部分だけ交換できる製品をそろえています。一方、NEW平版ゴムローラーのゴム巻き替えはメーカー工程の事情から受け付けないと明記しています。修理できる範囲は製品構造によって異なります。
版画工房だけでなく、工業機械の中にも仕事がある
現在の事業はリトグラフ用革ローラーにとどまりません。オフセット印刷機のインキングローラーや給水ローラーの巻き替え、活版印刷機・手フート用ローラーの修理、鉄芯製作、工業用のゴム・ウレタン・シリコン・樹脂ローラーの製造と巻き替えを扱っています。
ゴム手ローラーには、幅3センチメートルから60センチメートルまで11種類、硬度は軟質20度・中質30度・硬質45度の3種類があり、公式サイトは合計33種類の規格品を案内しています。材料は耐油性などに優れたNBR(ニトリルゴム)です。版画のインク盛りだけでなく、シールやラベルの圧着、フィルム・シート貼りなどにも使用されます。
これらの仕事では、ローラー表面の硬さ、油への耐性、回転の滑らかさ、円筒の精度が用途ごとに異なります。版画家が手で転がす道具と工業機械へ組み込む部品を同じ会社が供給している点に、事業の幅があります。
中島雄太社長の時代、販売の窓口も変わった
現在の代表は中島雄太さんです。会社は版画家・美術大学・工房などへの販売に加え、ウェブサイトで製品仕様、サイズ、素材、使用方法を詳しく公開しています。公式案内によれば、規格品をオンラインで購入できるECサイトも設け、特注品の在庫を掲載する場合があります。
2019年には公式Instagramの開設を告知し、2021年には投稿画像から通販ページへつなぐショッピング機能を追加したと説明しています。専門的なローラーが必要な人が、店頭に見本がなくても仕様を比べ、製造元へ直接相談しやすい販売方法へ広げました。こうしたオンライン施策の売上効果について、数字は公表資料から確認できません。
品川区中延に残る、版画の制作を支える製造拠点
中島革ゴムローラー製作所の住所は品川区中延1丁目7番9号です。創業120年を超えた会社が、現在も東京の市街地を所在地として掲げています。革ローラーは作品そのものではなく、制作の途中で使う道具です。版画家、刷り師、美術大学、工房などの制作現場で、図柄を版から紙へ移す工程を支えています。
石版画が商業印刷の中心から美術制作の専門領域へ移った後も、必要とする人がいる限り道具の供給は続きます。中島革ゴムローラー製作所では、旧来の牛革ローラーと新素材のゴムローラーを並行して扱い、用途に応じた製品改良を重ねています。現在の「国内法人で唯一」という位置づけは、同社による製品と法人形態を限定した説明に基づきます。

