2026年6月の毎月勤労統計では、現金給与総額が1人平均53万4,823円、前年同月比4.0%増となり、消費者物価指数「持家の帰属家賃を除く総合」で実質化した実質賃金も2.2%増でした。ところが、日本銀行の同年6月調査では、1年前と比べて「ゆとりがなくなってきた」と答えた人が55.0%に達しています。
この二つの数字は矛盾していません。実質賃金は「税・社会保険料を引く前の平均給与を、物価で調整した購買力」を測る統計です。個人の手取り、家庭ごとの支出構成、過去数年の購買力低下、貯蓄や消費の動きまで一つの数字で表しているわけではないからです。
実質賃金とは何か
名目賃金は、実際に支払われた給与の金額です。実質賃金は、その給与で商品やサービスをどれだけ買えるかという購買力を表します。給与が増えても、それ以上に物価が上がれば購買力は下がります。
厚生労働省の主要系列では、名目賃金指数を消費者物価指数「持家の帰属家賃を除く総合」で割って実質賃金指数を作ります。式で表すと「実質賃金指数=名目賃金指数÷消費者物価指数×100」です。公表される前年同月比は、この指数を前年同月と比べた変化率です。
たとえば給与が3%増えても物価が4%上がれば、買える量は減ります。給与が4%増え、物価が2%程度の上昇なら、購買力は増える方向です。ただし、公表値は指数同士を割って計算するため、丸められた「名目賃金の前年比-CPIの前年比」と厳密には一致しない場合があります。
2026年6月の実質賃金はなぜ2.2%増になったのか
2026年6月確報では、現金給与総額は53万4,823円で前年同月比4.0%増でした。同じ月の消費者物価指数「持家の帰属家賃を除く総合」は1.9%上昇し、それを使って実質化した現金給与総額指数は前年同月比2.2%増です。
6月の数字では賞与の影響が大きく出ています。きまって支給する給与は29万9,671円で3.4%増、所定内給与は27万9,511円で3.5%増でした。一方、賞与などを含む「特別に支払われた給与」は23万5,152円で4.7%増です。夏季賞与の支給が集中する月なので、現金給与総額の伸びを毎月の基本給の伸びと同じものとして読むと実態を取り違えます。
厚生労働省の「特別に支払われた給与」には、夏冬の賞与、期末手当などの一時金、支給事由が不定期の給与、3か月を超える期間で算定される手当、ベースアップの差額追給などが含まれます。
速報1.6%増が確報2.2%増へ変わった理由
6月分は8月5日の速報と8月24日の確報で数字が変わりました。毎月勤労統計は、速報公表後に届いた調査票などを確報へ反映するため、速報値が改訂されることがあります。
| 項目 | 6月速報 | 6月確報 |
|---|---|---|
| 現金給与総額 | 531,677円 | 534,823円 |
| 現金給与総額の前年同月比 | +3.4% | +4.0% |
| 所定内給与 | 279,189円(+3.4%) | 279,511円(+3.5%) |
| 特別に支払われた給与 | 232,445円(+3.5%) | 235,152円(+4.7%) |
| 実質賃金(持家の帰属家賃を除く総合で実質化) | +1.6% | +2.2% |
速報から確報への変更は、経済統計が更新される仕組みの一例です。ニュースで同じ月の数字が後日変わることがあるのは、このためです。
実質賃金2.2%増は「手取り2.2%増」と同じではない
毎月勤労統計の現金給与額は、所得税、社会保険料、組合費などを差し引く前の給与です。税や社会保険料を引いた後の手取りを直接測る数字ではありません。
手取りに近い概念を見るときは、総務省の家計調査にある「可処分所得」が役立ちます。可処分所得は実収入から税金・社会保険料などの非消費支出を差し引いた額です。
| 指標 | 何を測るか | 税・社会保険料 | 物価調整 | 主な統計 |
|---|---|---|---|---|
| 現金給与総額 | 事業所が支払った給与総額 | 控除前 | なし | 毎月勤労統計 |
| 名目賃金 | 金額ベースの賃金 | 控除前 | なし | 毎月勤労統計 |
| 実質賃金 | 賃金の購買力 | 控除前 | あり | 毎月勤労統計 |
| 実収入 | 勤労収入など世帯の実際の収入 | 控除前の収入を含む | 名目・実質を公表 | 家計調査 |
| 可処分所得 | 実収入から税・社会保険料などを引いた手取りに近い額 | 控除後 | 名目・実質を公表 | 家計調査 |
| 消費支出 | 世帯が財・サービスに使った支出 | 収入指標ではない | 名目・実質を公表 | 家計調査 |
会社の給与が増えても、税や社会保険料の変化、家族構成、賞与の有無などで手取りの変化率は違います。「統計では実質賃金がプラスだが、自分の手取りはほとんど増えていない」という状況は普通に起こります。
家計の生活余力には賃金と物価だけでなく、住宅ローンの支払利息や預金の受取利息も影響します。日銀の利上げが住宅ローン・預金へ届く仕組みはこちらで整理しています。
前年比プラスでも、4年間の低下はすぐ取り戻せない
厚生労働省の2025年度確報では、「持家の帰属家賃を除く総合」で実質化した実質賃金は2022年度から4年度連続でマイナスでした。
| 年度 | 実質賃金の前年度比 |
|---|---|
| 2022年度 | -1.8% |
| 2023年度 | -2.2% |
| 2024年度 | -0.5% |
| 2025年度 | -0.5% |
前年同月比がプラスになったことと、数年間の低下を取り戻したことは別です。説明用に購買力を100から始め、数年間で95まで下がったとします。その後2%上がっても96.9です。前年比ではプラスでも、元の100には戻っていません。
「平均の実質賃金」と自分の給料はなぜ違うのか
毎月勤労統計は、事業所規模5人以上の事業所などを対象に、常用労働者1人平均の給与額や指数を推計します。同じ個人の給料だけを毎月追跡して比較する統計ではありません。
2026年6月確報では、一般労働者の現金給与総額は71万9,523円で4.2%増、パートタイム労働者は12万8,891円で3.3%増でした。働き方によって給与水準も伸び率も異なります。産業差、賞与の支給時期、一般労働者とパートの構成比の変化なども平均値に影響します。
平均値は中央値とも違います。個人の昇給率と一致しないからといって、平均値の意味が失われるわけではなく、日本全体の賃金と購買力がどちらへ動いているかを見るマクロ指標として使われます。
自分の物価とCPIも違う
消費者物価指数(CPI)は、全国の世帯が購入する財・サービスの価格変化を、家計調査などを基にした平均的な支出構成で測ります。食料の割合が高い家庭、家賃負担の大きい家庭、車を使う家庭、教育費が重い家庭では、同じ全国CPIでも感じる物価上昇は変わります。

毎月勤労統計が従来から使っているのはCPIの「持家の帰属家賃を除く総合」です。持家の帰属家賃は、持家を借りていると仮定した場合の家賃相当額を統計上計算する概念で、実際の現金支出ではありません。実際に支払われる給与と、実際に取引される財・サービスの価格を比べる考え方から、この系列が使われてきました。
2025年3月分からは、国際比較などの利便性を高めるため、CPI「総合」で実質化した追加系列も公表されています。2026年6月は、従来系列が2.2%増、CPI総合を使う系列が2.3%増でした。用途の違う二つの系列です。
CPIと企業が仕入れる段階の価格がどう違うかは、「企業物価指数と消費者物価指数はなぜ違う?」で詳しく整理しています。
春闘5.01%なのに、なぜ実質賃金は同じだけ上がらないのか
連合の2026春季生活闘争最終集計では、賃上げ率は全体5.01%、300人未満の中小組合4.69%、有期・短時間・契約等労働者6.18%でした。連合の賃上げ率は、労使交渉で妥結した定期昇給相当分込みの賃上げを集計した数字です。
毎月勤労統計は、事業所から実際に支払われた給与を調査します。春闘に参加していない企業や労働者も含むため、対象が違います。さらに実質賃金は、実際の給与を物価で調整します。春闘の賃上げ率と毎月勤労統計の実質賃金が同じ数字になる仕組みではありません。
収入が増えても消費が増えるとは限らない
2026年6月の家計調査では、二人以上の勤労者世帯の実収入は1世帯当たり101万3,986円でした。前年同月比は名目3.9%増、CPI「持家の帰属家賃を除く総合」で実質化すると2.0%増です。
一方、二人以上世帯の消費支出は29万886円で、前年同月比は実質3.3%減、季節調整済み前月比は6.4%減でした。所得が増えた月に消費が減ることはあります。貯蓄、大きな支出の時期、世帯構成、前年の反動などで消費は別に動くからです。
実質賃金は労働者の平均賃金、家計調査の実収入と可処分所得は世帯の収入、消費支出は家計が使った額です。測っている対象が違うため、単月の方向が一致しなくても統計上の矛盾にはなりません。
「生活が苦しい」という実感はどこに表れているのか
日本銀行の「生活意識に関するアンケート調査」第106回は、2026年5月7日から6月9日に全国の20歳以上4,000人を対象として行われ、有効回答は2,031人でした。1年前と比べた暮らし向きは、「ゆとりが出てきた」4.8%、「どちらとも言えない」39.6%、「ゆとりがなくなってきた」55.0%でした。
物価については「かなり上がった」68.5%、「少し上がった」26.8%で、合計95.3%が上昇を実感しています。毎月勤労統計と日銀アンケートは対象も方法も違います。前者は事業所の給与、後者は個人の生活意識を調べています。実質賃金がプラスになった局面でも、生活のゆとりが減ったと感じる人が多いという二つの事実が同時に成立します。
実質賃金の数字が生活実感とずれる理由
| ずれが生まれる要因 | 統計上の違い |
|---|---|
| 税・社会保険料 | 実質賃金は控除前。手取りは控除後 |
| 賞与 | 現金給与総額には特別給与が入り、月ごとの振れが大きい |
| 平均値 | 産業・雇用形態・労働者構成を含む平均で、個人の昇給率ではない |
| 家庭ごとの物価 | CPIは平均的な消費バスケットで、個人の支出構成とは違う |
| 過去の累積低下 | 前年同月比プラスでも過去数年の低下が残る場合がある |
| 家計の行動 | 収入が増えても貯蓄や支出時期などで消費は別に動く |
今後も実質賃金プラスは続くのか
今後の方向は、名目賃金の伸びと物価上昇のどちらが速いかで決まります。2026年7月の全国CPIは2025年基準で、総合が前年同月比1.9%上昇、生鮮食品を除く総合が1.8%上昇でした。毎月勤労統計の7月分速報は9月8日に公表予定で、賃金側が物価上昇を上回るかが次の確認点になります。
賃金側では春闘の妥結結果が実際の支払給与へどこまで波及するか、物価側では食品、エネルギー、輸入価格、為替、政府の価格抑制策などが影響します。企業物価から消費者物価への波及には時間差もあります。
日本銀行も賃金と物価の循環を金融政策判断の材料にしています。金利判断とのつながりは、日銀が賃金と物価を利上げ判断でどう見ているかで解説しています。
実質賃金のニュースで数字が違って見えるポイント
| ニュースの表現 | 数字の意味 |
|---|---|
| 速報/確報 | 速報は後日改訂されることがある。6月は実質賃金1.6%増から2.2%増へ改訂 |
| 現金給与総額/所定内給与 | 現金給与総額には賞与などの特別給与が含まれる |
| 前年同月比/前月比 | 比較する時点が違う |
| CPIの系列 | 実質賃金には「持家の帰属家賃を除く総合」と「総合」の2系列がある |
| 平均/個人の給与 | 平均は個人一人ひとりの昇給率ではない |
| 税引前/手取り | 毎月勤労統計の給与は原則として税・社会保険料控除前 |
| 単月/長期推移 | 前年同月比プラスと過去数年の累積低下の回復は別 |
実質賃金は、給与の購買力を見る重要な統計です。生活全体を見るには、給与と物価に加えて、税・社会保険料を引いた可処分所得、家庭ごとの支出構成、消費や貯蓄の動きも分けて見る必要があります。そうすると、「統計ではプラス」と「生活に余裕がない」という感覚が同時に生じる理由を、同じ土俵の数字として混同せずに理解できます。

