国立国会図書館で明治・大正・昭和の人物名鑑を開くと、現在ならまず公開されない情報に出会います。自宅住所、電話番号、配偶者や子ども、親族関係まで、ひとりの人物の情報としてまとめられているのです。
こうした住所公開は戦後も続きました。『日本紳士録』の最終版は2007年、『人事興信録』の最終版は2009年です。2007年版の『日本紳士録』でも、掲載人物の住所と電話番号が確認された例があります。
一方、一般の電話加入者を名前から探す「ハローページ」は2023年まで刊行されました。行政の制度でも、住民基本台帳の閲覧や高額納税者の公示など、現在より広い範囲で個人情報へアクセスできる仕組みが長く存在しました。
住所が社会に公開される仕組みは、出版、通信、行政、登記でそれぞれ異なる目的を持っていました。そのため、公開が縮小した時期にも一つの「終了年」はありません。

住所公開の「終わり」は仕組みごとに違った
日本で住所や電話番号を調べられた代表的な仕組みを並べると、変化した時期がそれぞれ異なることが分かります。
| 仕組み | 主な対象 | 掲載・閲覧できた情報の例 | 大きな転換 |
|---|---|---|---|
| 『日本紳士録』 | 政財界・官界・学界などの人物 | 住所、電話、職業など | 2007年の第80版で刊行終了 |
| 『人事興信録』 | 政財界などの人物・家族 | 住所、電話、経歴、家族・親族など | 2009年の第45版で刊行終了 |
| 人名別電話帳 | 電話加入者 | 氏名、住所、電話番号 | ハローページ最終版は2023年まで |
| 高額所得者・高額納税者公示 | 一定以上の所得・納税額の人 | 氏名、住所、所得額または納税額 | 2006年度税制改正で廃止 |
| 住民基本台帳の閲覧 | 一般住民 | 氏名、住所など | 2006年改正で閲覧目的を大幅に限定 |
| 商業登記 | 会社代表者など | 氏名、代表取締役等の住所など | 2024年から一定条件で住所の一部非表示が可能 |
2005年の個人情報保護法全面施行後も、住所公開の仕組みは残りました。制度ごとに目的と根拠が異なり、2000年代を中心に段階的な見直しが進みました。
人や店の所在地を本で探す文化は江戸後期にもあった
近代的な個人住所録の前史として、江戸時代には商人や職人の所在地を探すための案内書がありました。
1824年刊の江戸買物独案内は、江戸の商店や商人を業種などから探せる実用的な案内書です。国立国会図書館は「買物独案内」を江戸時代から明治前期に刊行された商人・職人名鑑として紹介しています。
これは個人宅を網羅する現代的な住所録とは性格が異なります。目的は、買いたい品物や利用したい商人を探すことでした。「人や店の名前と所在地を紙の情報から検索する」という利用方法は、近代の人名録や電話帳より前から存在していました。
明治、人物情報が「検索できる本」になった
1889年、日本紳士録が創刊されました。初期には東京・横浜を中心に、社会的地位や経済力を持つ人物を掲載し、その後全国規模の人物名鑑へ発展しました。
1939年刊の第43版には、徳川家達の項もあります。紙面では人物名に続いて肩書や経歴、住所、電話などが同じ欄にまとめられており、人物情報を一冊から引ける構成だったことが分かります。

翌1890年には、日本の電話事業開始と同じ年に最初の電話帳「電話加入者人名表」が発行されました。東京155人、横浜42人の加入者がいた時代です。その後、電話帳は番号順からイロハ順、さらに50音順へ変わり、名前から相手を探す道具になっていきました。
1903年には人事興信録が創刊されます。発行元の人事興信所は、人物の経歴や家族関係を体系的に収録しました。
明治後半には、人物名鑑と電話帳という二つの経路から、人の所在地や連絡先を紙で検索する仕組みが成立していました。
関連する日本の電話史は「電話を発明したのは誰?ベル・グレイ・メウッチと日本の電話史」と「日本の通信史をわかりやすく|電信・電話・ラジオ・テレビからインターネットまで」も参照してください。
人事興信録には住所・電話・家族まで載った
1921年刊の『人事興信録』第6版について、国立国会図書館は約1万9000家庭を収録し、現職、住所、出身地、生年月日、学歴、趣味、家族、電話などを記載した資料と説明しています。
実業家の根津嘉一郎も第6版に掲載されています。本人の経歴や役職だけでなく、妻や子どもなど家族関係まで同じ項目の中に並び、人物を家族単位でたどれる資料だったことが分かります。

特徴的なのは、本人の勤務先や肩書だけで情報が終わらない点です。妻子や親族関係まで収録され、同時代の『日本紳士録』より家族関係が詳しい資料として利用されてきました。
こうした人名録は、現在では近代日本の人物関係や居住地を調べる重要な歴史資料になっています。
公開されていたのは名士だけではなかった
『日本紳士録』や『人事興信録』の中心は政財界、官界、学界などの人物でした。しかし、住所を検索できる仕組みはより広い層にも存在しました。
電話帳
1890年に始まった電話帳は、電話加入者が増えるにつれて巨大な生活インフラになりました。1951年には職業別と人名別に分かれ、1983年から人名別電話帳は「ハローページ」と呼ばれました。
固定電話加入者を氏名や住所から探し、電話番号を確認する用途で長く使われました。

住民基本台帳
住民基本台帳法では、かつて住民基本台帳の一部について「何人でも」閲覧を請求できる仕組みが置かれていました。
1985年の法改正では、閲覧請求の際に理由を明らかにすることや、得た情報を利用する際に基本的人権を尊重することなどが追加されています。公開制度を維持しながら、利用目的や人権への配慮を強める変化がすでに始まっていました。
2006年の改正では、従来の広い閲覧制度から、国・地方公共団体の事務や公益性の高い調査・研究などを中心とした仕組みへ大きく転換しました。
長者番付
戦後には、所得や納税額と住所が国の公示制度を通じて広く知られる仕組みもありました。
1950年に始まった高額所得者公示制度では、一定の対象者について氏名、住所、所得額などが公示されました。1983年からは高額納税者公示制度となり、所得額ではなく納税額を公示する方式へ変わりました。

新聞やテレビがこれを「長者番付」として報じたため、毎年の高額所得者・高額納税者ランキングとして広く知られるようになりました。
住所や所得を公開することにも制度上の目的があった
現在の感覚では、自宅住所や所得を公開することは強い違和感があります。しかし、それぞれの仕組みには当時の社会での用途がありました。
『日本紳士録』や人事興信録は、人物の身元、役職、経歴、連絡先、家族・親族関係などを調べる人物情報資料でした。会社や団体の責任者を調べ、同姓同名を区別し、書簡や訪問の相手を特定するうえで住所が実用情報として機能しました。
電話帳は、電話番号を知らない相手へ連絡するための検索手段でした。固定電話が主要な通信手段だった時代には、氏名と住所から番号を探せること自体が電話網を利用するための機能でした。
高額所得者公示制度には、第三者から課税上の情報を得ることや、納税者に正確な申告を促すことが期待されていました。後に制度目的から離れた利用や犯罪・嫌がらせへの悪用が問題となり、廃止へ向かいます。
公開する利益と、公開によって生じる危険の評価が、時代と技術によって変化していきました。
プライバシー保護は数十年かけて制度化された
日本でプライバシーが法的な問題として広く意識される契機の一つが、三島由紀夫の小説『宴のあと』をめぐる訴訟です。東京地方裁判所は1964年、私生活をみだりに公開されない利益をめぐって判断を示しました。日本のプライバシー権を考える代表的な裁判として、その後も参照されています。
その後、情報処理のコンピューター化が進みます。
1980年にはOECDが「プライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドライン」を採択しました。日本では1988年に行政機関のコンピューター処理を対象とした個人情報保護法制が成立し、1998年にはプライバシーマーク制度が始まりました。
2003年に個人情報保護法が成立し、2005年4月1日に全面施行されます。
この法律は、住所という情報そのものを社会から消す制度ではなく、個人情報を扱う事業者などに利用目的、安全管理、第三者提供などのルールを整備する枠組みです。実際、『日本紳士録』は2007年まで、『人事興信録』は2009年まで刊行されています。
2000年代に公開制度が相次いで転換した
2000年代には、個人情報を広く公開・閲覧できた複数の仕組みが相次いで変わりました。
2005年、個人情報保護法が全面施行。
2006年度税制改正では、高額納税者公示制度が廃止されました。国税庁は、制度本来の目的以外への利用、犯罪や嫌がらせの誘発、個人情報保護をめぐる社会環境の変化などを背景として挙げています。
同じ2006年には住民基本台帳法も改正され、従来の広範な閲覧制度が大きく制限されました。
2007年には『日本紳士録』が第80版を最後に刊行を終えました。国会図書館のレファレンス事例では、この最終版でも掲載人物の住所と電話番号が確認されています。
2009年には『人事興信録』も第45版で刊行を終えました。
法律、行政制度、出版物が同じ日に切り替わったのではなく、社会環境の変化に応じて数年間にわたり順番に転換していったのが実際の流れです。
紙の名簿とインターネットでは同じ住所でもリスクが違う
紙の『日本紳士録』で一人の住所を調べるには、その本を入手するか図書館へ行き、索引や本文から人物を探す必要がありました。情報は公開されていても、検索、複製、集約には時間と手間がかかります。
インターネットでは、氏名を入力するだけで情報へ到達し、コピー、転載、検索エンジンへの再収録、他のデータとの照合が短時間でできます。一度拡散した情報を完全に回収することも難しくなります。
情報の項目が同じ「住所」でも、紙に一度掲載される環境と、ネット上で世界中から検索・複製できる環境では、公開後の広がり方が大きく異なります。
2000年代に個人情報をめぐる制度や出版物が相次いで見直された背景には、法制度だけでなく、この情報環境の変化もありました。
個人名電話帳は2023年、NTTの電話帳サービスは2026年に終わった
人名別電話帳「ハローページ」は、他の代表的人名録より長く残りました。
NTT東日本・NTT西日本は、携帯電話やインターネットによる検索手段の普及、通信アプリやSNSの普及、個人情報保護に関する社会的意識の高まり、掲載数・配布数の減少などを理由として終了を決定しました。
最終版は地域ごとに2021年10月以降順次発行され、2023年2月までに人名別電話帳の刊行が終了しました。
その後も職業別電話帳などのサービスは残りましたが、NTTの電話帳サービス全体も2026年3月31日で終了しました。
1890年の最初の「電話加入者人名表」から数えると、紙の電話帳は130年以上にわたって日本の通信インフラを支えたことになります。
関連する通信技術全体の歴史は「日本の通信史をわかりやすく|電信・電話・ラジオ・テレビからインターネットまで」で詳しく紹介しています。
住所の公示は現在も制度の中に残っている
住所の公示は過去の制度だけではありません。会社の商業登記では、取引の安全や会社の責任主体を明らかにするため、代表取締役等の住所が登記事項として扱われてきました。
一方、インターネットやSNSで自宅住所が容易に拡散する時代になり、起業の心理的障壁、ストーカー被害、過剰な営業などへの懸念も指摘されました。
法務省は2024年10月1日から、一定の要件を満たす株式会社について、登記事項証明書などに表示される代表取締役等の住所を市区町村までとし、それより細かな部分を表示しない「代表取締役等住所非表示措置」を開始しました。

公示による取引の安全と、個人の生活上の安全・プライバシーをどう両立するかという調整は現在も続いています。
株式会社の代表取締役や登記の基本的な仕組みは「株式会社とは何か|株主・社長・取締役・上場の仕組みを歴史から理解する」も参照してください。
国会図書館で昔の住所録を読める理由
国立国会図書館デジタルコレクションでは、日本紳士録や人事興信録など、過去に刊行された人物資料を現在も読むことができます。
デジタル化された資料がすべてインターネットで自由公開されているわけではなく、著作権保護期間が満了した資料、権利者から許諾を得た資料などがインターネット公開の対象になります。資料によっては個人向け・図書館向けデジタル化資料送信サービスの対象、あるいは国立国会図書館館内限定です。
年表|「住所を調べる社会」から「個人情報を管理する社会」へ
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1824年 | 『江戸買物独案内』刊行。商人・店舗を所在地とともに探せる案内書が存在 |
| 1889年 | 『日本紳士録』創刊 |
| 1890年 | 日本最初の電話帳「電話加入者人名表」発行 |
| 1903年 | 『人事興信録』創刊 |
| 1950年 | 高額所得者公示制度開始 |
| 1964年 | 『宴のあと』事件の東京地裁判決 |
| 1980年 | OECDプライバシー・ガイドライン採択 |
| 1988年 | 行政機関のコンピューター処理を対象とする個人情報保護法制成立 |
| 1998年 | プライバシーマーク制度開始 |
| 2003年 | 個人情報保護法成立 |
| 2005年 | 個人情報保護法全面施行 |
| 2006年 | 高額納税者公示制度廃止、住民基本台帳の閲覧制度を大幅に見直し |
| 2007年 | 『日本紳士録』第80版で刊行終了 |
| 2009年 | 『人事興信録』第45版で刊行終了 |
| 2023年 | 人名別電話帳「ハローページ」の最終版発行終了 |
| 2024年 | 代表取締役等住所非表示措置開始 |
| 2026年 | NTTの電話帳サービス全体が終了 |
まとめ
日本では、明治以降の紳士録・人事興信録、電話帳、住民基本台帳、高額所得者・高額納税者公示などを通じ、現在より広い範囲で住所や電話番号を調べられる時代が長く続きました。
代表的人名録は2007年と2009年に相次いで刊行を終え、人名別電話帳は2023年、NTTの電話帳サービス全体は2026年に終了しました。住民基本台帳や高額納税者公示も2000年代に大きく見直されています。
一方、商業登記のように住所の公示が現在も必要とされる制度もあります。2024年には代表取締役等の住所の一部を非表示にする措置が始まり、公開の利益とプライバシーの調整が続いています。
約130年前には「人を探すために住所を載せる」ことに実用的な価値がありました。現在は、情報が瞬時に検索・複製・拡散される環境を前提に、どこまで公開するかを制度ごとに設計する時代になっています。

