桜川御嶽神社の歴史|1854年の狼型狛犬と江戸の御嶽講

板橋区桜川一丁目の御嶽神社には、犬ではなく狼の姿を表した狛犬が残っています。嘉永7年(1854)に造られた石像で、江戸時代に広がった御嶽信仰と、狼を山の神の使いとして敬った人々の祈りを伝える文化財です。

御嶽山を信仰する神社

神社の創建年代は明らかになっていません。武州御嶽山の分霊を勧請したと伝わり、甲州の御嶽山から迎えたという説もあります。現在は倭建命などを祀ります。桜川の周辺には江戸時代、畑作を中心とする村が広がり、家内安全や五穀豊穣を願う信仰が営まれていました。

御嶽講は御嶽山へ参拝する人々の集まりです。御師と呼ばれる宗教者が村々を訪れて祈祷札を配り、講の仲間が山への参詣や祭礼を行いました。江戸の町から離れた上板橋の農村にも、こうした山岳信仰が根付いていました。

狼型の狛犬が置かれた理由

御嶽信仰では、狼は山の神の眷属(けんぞく)、つまり神に仕える動物と考えられました。狼は山犬とも呼ばれ、山の神を守る存在として人々から敬われました。御嶽山の神札には「御神狗」と呼ばれる狼が描かれ、火難や盗難、病気を避ける願いが込められました。

一般的な神社の狛犬が獅子や犬に似た姿を持つのに対し、御嶽神社の石像は口先や体つきが狼を思わせる形になっています。山岳信仰の考え方が、神社の石造物の姿にも表れています。

1854年、下新倉の石工が制作

登録文化財となっている一対は、嘉永7年(1854)に下新倉(現在の埼玉県和光市)の石工・石田栄蔵が制作しました。当時、神社の肝煎(きもいり)を務めた宝田氏や木下氏らが中心となって奉納したものです。肝煎とは、物事を世話し、取りまとめる役割を担った人を指します。

狼型の狛犬は地域でも珍しく、御嶽講の信仰を考える手がかりです。嘉永7年の一対は昭和62年(1987)2月27日に板橋区登録有形民俗文化財となりました。石工の名前が知られている点も、江戸末期の石造物の制作を調べるうえで重要です。

絵馬・扁額と地域の祭礼

神社の神楽殿には、江戸末期から明治時代にかけて奉納された絵馬や扁額も伝わっています。神話を題材にした作品などがあり、石造物とともに参詣者や氏子の信仰を伝えています。山へ登ること、地元の神社で祈願すること、絵馬を奉納することは、同じ信仰の異なる営みでした。

所在地と周辺の歴史

御嶽神社は板橋区桜川1-4-6にあります。東武東上線上板橋駅から徒歩約11分です。狛犬は社殿の右側にあり、見学の際は参拝者や地域の方々に配慮してください。近くの旧上板橋村役場跡地や常盤台・前野・西台周辺の歴史と文化財とあわせて、旧上板橋村の歴史をたどれます。

参考資料