六本木7丁目・乃木坂の歴史散歩|龍土・軍都・国立新美術館・東京ミッドタウンをたどる

六本木にある国立新美術館の波打つガラス壁の外観

六本木7丁目から乃木坂へ歩くと、国立新美術館、政策研究大学院大学、乃木神社、東京ミッドタウンと、文化・教育・商業施設が連続します。その足元には、江戸の大名屋敷と旧町、明治以降の軍用地、敗戦後の米軍接収、大学研究施設への転用という土地利用の変化が重なっています。

六本木歴史散歩4回シリーズの第3回です。今回は六本木7丁目を主対象に、乃木坂のぎざかから赤坂8丁目の旧乃木邸・乃木神社、赤坂9丁目の東京ミッドタウンまでをたどります。乃木坂は現在の正式な町名ではなく、坂名・駅名・地域呼称です。東京ミッドタウンの住所も六本木ではなく赤坂9丁目ですが、旧軍用地と戦後転用の歴史が町境を越えて連続しています。

シリーズ第1回「六本木2〜4丁目の歴史散歩」、第2回「六本木5〜6丁目の歴史散歩」に続く地域別の土地史です。

六本木1丁目から7丁目までの位置関係を示した地図
六本木1〜7丁目の位置関係。Google My Mapsをベースに作成。

六本木7丁目と乃木坂―町境を越えて続く一つの歴史

1967年の住居表示以前、現在の六本木7丁目には、麻布龍土町あざぶりゅうどちょう、麻布新龍土町、麻布六本木町、麻布材木町、麻布霞町などの全部または一部が含まれていました。港区の旧新町名対照表では、麻布龍土町は六本木7丁目の一部、麻布六本木町は六本木5・6・7丁目の一部へ編入されています。

龍土りゅうどの由来には複数の説があります。港区の旧町名資料は「猟人村」に由来する説を紹介し、六本木天祖神社には、毎夜海から龍が灯明を献じたため「龍灯」と呼ばれ、それが龍土へ転じたという伝承が残ります。

現在も「龍土町美術館通り」「龍土町美術館通り沿道まちづくり協議会」といった名称に旧町名が残ります。六本木7丁目7番7号の天祖神社も、港区資料では至徳元年(1384)創建と伝えられ、「龍土神明宮」と呼ばれた神社として地名の記憶を伝えています。

時代六本木7丁目側乃木坂・赤坂9丁目側
江戸龍土の町、宇和島藩伊達家などの武家屋敷萩藩毛利家下屋敷
明治〜戦前歩兵第三連隊、龍土軒陸軍施設、旧乃木邸、乃木坂
敗戦後米軍接収、一部返還米軍将校宿舎
1950〜2000年代東京大学の研究施設防衛庁檜町庁舎
現在国立新美術館、GRIPS、赤坂プレスセンター東京ミッドタウン、檜町公園

江戸の龍土―大名屋敷と旧町が並んでいた

現在の国立新美術館と政策研究大学院大学(GRIPS)周辺には、江戸時代、宇和島藩うわじまはん伊達家の上屋敷をはじめ複数の武家屋敷がありました。GRIPSは、伊達家の御殿内に「想海樓そうかいろう」と呼ばれる建物があり、その南側に広大な「想海樓御庭」が広がっていたことを紹介しています。

現在のGRIPSには「想海樓ホール」があり、江戸の屋敷にあった名称を受け継いでいます。大きな武家地が並んでいた一帯は、明治以降に軍用地、戦後には研究・教育施設へ転用されました。

龍土軒―文学者と軍人が行き交った近代の六本木

麻布新龍土町には明治期に洋食店「龍土軒」があり、港区資料によると、国木田独歩、田山花袋、島崎藤村らが参加した文学者の集まり「龍土会」が開かれました。兵営が街の大きな部分を占める一方、その周囲には飲食店や商店、文学者の交流の場も生まれていました。

明治の軍都化―歩兵第三連隊が龍土へ

明治政府は赤坂・麻布・青山一帯に陸軍施設を集中させました。歩兵第三連隊は1874年に編成され、1889年1月23日に麻布新龍土町へ移転します。現在の六本木7丁目に大規模な兵営が置かれ、周辺は東京の軍都を構成する地域の一つになりました。

多数の兵士が常駐したことで、人口構成や道路、商店、飲食店など町の日常も軍隊と結び付きました。戦歴そのものより、巨大な兵営が都市の土地利用と暮らしを変えたことが、この地域の近代史を特徴付けています。

1894年に青山停車場から出発する歩兵第三連隊第一大隊
青山停車場から出発する歩兵第三連隊第一大隊、1894年。撮影者不詳/Wikimedia Commons/Public Domain。

撮影場所は六本木の兵営ではなく青山停車場です。歩兵第三連隊という部隊と、鉄道を使って兵員が移動した明治東京の軍事都市化を示す歴史写真です。

1928年の兵舎―国立新美術館に残る軍事建築

1928年、歩兵第三連隊に鉄筋コンクリート造の新兵舎が完成しました。国立新美術館の公式資料は、「日」の字型平面、鉄筋コンクリート造、アールデコ調の意匠を備えた近代的な軍事建築として紹介しています。

敗戦後、兵舎は米軍に接収され、その後東京大学の研究施設として使われました。国立新美術館の建設に伴って大部分が解体されましたが、一部が保存・改修され、現在の国立新美術館別館になっています。

1912年、乃木坂という名前が生まれた

現在の乃木坂は江戸時代から同じ名だった坂ではありません。乃木神社は、幽霊坂・行合坂などの旧称があり、1912年9月、明治天皇大葬の日に乃木希典のぎまれすけと静子夫妻が亡くなった後、乃木坂へ改称されたと説明しています。

乃木は1879年から赤坂のこの地に住みました。現在の乃木公園に残る旧乃木邸の母屋は1902年にほぼ新築され、馬小屋は1889年建築です。乃木坂という地域名は、軍人町の土地利用と乃木家の居住が重なった場所から生まれました。

1930年の旧乃木邸
旧乃木邸、1930年。『大東京写真帖』/国立国会図書館/Wikimedia Commons/Public Domain。

乃木神社は1919年に創立が許可され、1923年11月に鎮座祭が行われました。1945年5月の空襲で主要社殿を焼失し、1962年9月に復興しています。旧乃木邸の内部は恒常的な自由公開ではなく、港区は2026年9月12〜13日に期間限定の一般公開を予定しています。

敗戦後―旧軍用地は米軍接収と返還に分かれた

敗戦後、旧歩兵第三連隊を含む一帯は米軍に接収されました。その後、土地の一部は日本側へ返還され、東京大学の研究施設へ転換されます。一方、隣接する土地は赤坂プレスセンターとして米軍利用が続きました。

戦後の六本木が米軍施設や外国人向け商業を背景に国際色の強い夜の街へ変化した流れは、「六本木が国際的な夜の街になった歴史」で詳しく紹介しています。

1977年のハーディ・バラックスと六本木周辺を写した空中写真
1977年のハーディ・バラックス周辺。国土交通省「国土画像情報(カラー空中写真)」を基に作成/Wikimedia Commons/CC BY 4.0。

軍事から科学へ―東京大学六本木キャンパス

東京大学物性研究所は1957年に設立され、六本木を拠点に研究を開始しました。1960年には六本木の本館が完成し、1999〜2000年に柏キャンパスへ移るまで約43年間、物性物理学の研究拠点となりました。

東京大学生産技術研究所も1962年に六本木地区へ移転し、2001年まで研究拠点として利用しました。旧軍用地は、戦後日本の科学・工学研究を支える大学キャンパスへ用途を変えました。

大学跡地から国立新美術館・GRIPSへ

東京大学の移転後、六本木7丁目の旧キャンパスは国立新美術館と政策研究大学院大学(GRIPS)などへ再編されました。GRIPSは六本木7丁目22番1号にあり、2003年6月着工、2005年2月校舎竣工、同年4月に六本木へ移転しました。

国立新美術館は六本木7丁目22番2号に2007年1月21日開館しました。黒川紀章・日本設計共同体による建築で、旧歩兵第三連隊兵舎の一部を別館として保存しています。東京大学跡地全体が美術館になったのではなく、教育・文化施設へ分けて再編されたことが現在の街区に表れています。

2023年に国立新美術館で開かれた五美大展は、五美大展2023を国立新美術館で鑑賞|第46回東京五美術大学連合卒業・修了制作展の記録で、展覧会の概要とゆる美術での鑑賞記録をまとめています。

東京メトロ千代田線乃木坂駅は1972年10月20日に開業し、国立新美術館は6番出口と直結しています。文化施設へのアクセスも、旧軍用地の閉鎖的な土地利用から公共的な都市空間へ変わった一部です。

現在も残る赤坂プレスセンター

六本木7丁目には2026年現在も米軍施設「赤坂プレスセンター」があります。港区は「23区で唯一、ヘリポートを有する米軍基地」と説明しています。米陸軍公式資料では、ハーディ・バラックス、Stars and Stripes Pacificの拠点、ヘリポートが置かれています。

2026年2月、港区は六本木7丁目、西麻布、南青山、北青山の約1万8,000世帯を対象に、米軍ヘリコプターの飛行に関するアンケートを実施しました。2026年8月24日、港区はその結果を踏まえ、防衛省と東京都へ基地撤去等を求める要請を行ったと発表しました。港区によると、アンケート回答者の約6割が米軍ヘリコプターの音を「うるさい」と感じると回答しています。

返還された旧軍用地が大学・美術館へ転用された一方、隣接地では戦後の米軍利用が現在まで続いています。この分岐が、六本木7丁目の戦後史を現在形で伝えています。

毛利家下屋敷・陸軍・防衛庁―東京ミッドタウン以前

ここから住所は赤坂9丁目です。現在の東京ミッドタウンの土地は、江戸時代には萩藩毛利家下屋敷、明治には陸軍駐屯地、戦後には米軍将校宿舎となり、返還後は防衛庁檜町ひのきちょう庁舎として使われました。

六本木7丁目側と同じように、「大名屋敷→陸軍→米軍→別用途」という土地利用の変化をたどっています。2000年、防衛庁本庁が市ヶ谷へ移転し、赤坂9丁目の大規模用地は再び転換期を迎えました。

2007年、東京ミッドタウンへ―閉ざされた土地が街になった

2001年4月に赤坂9丁目地区再開発地区計画が告示され、同年9月に一般競争入札、2002年2月に土地所有権移転、2004年5月に工事着工、2007年1月に竣工し、同年3月に東京ミッドタウンがグランドオープンしました。

長く一般に閉ざされていた大規模用地は、オフィス、住宅、ホテル、文化施設、公園などを含む都市空間へ変わりました。東京ミッドタウン公式によると、旧防衛庁敷地に残っていた約140本の樹木を保存・移植し、毛利下屋敷跡から出土した石組溝の石も擁壁などへ再利用しています。

六本木ヒルズ森タワー方面から見た東京ミッドタウンの全景
東京ミッドタウン、2015年3月28日。撮影:Syced/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

隣接する檜町公園も、毛利家下屋敷の庭園「清水園」に由来する土地の記憶を持ちます。江戸の庭園をそのまま保存した空間ではありませんが、樹木や石、庭園の履歴の一部が現代の都市景観へ組み込まれています。

現在の乃木坂を歩くと、軍都から文化都市への転換が読める

六本木天祖神社から国立新美術館、GRIPS、乃木坂、旧乃木邸、赤坂プレスセンター、東京ミッドタウンへ歩くと、大名屋敷、軍用地、米軍接収、大学、美術館、商業都市という土地利用の変化を徒歩圏で追えます。

六本木7丁目では、2026年4月1日現在「龍土町美術館通り沿道まちづくり協議会」が登録され、地域主体のまちづくり活動が続いています。5丁目西地区のような確定済み巨大再開発が進んでいるという状況ではなく、旧町名を残す沿道で地域の将来像を考える動きが続いています。

六本木歴史散歩:総合ガイド第1回 六本木2〜4丁目第2回 六本木5〜6丁目/第3回 六本木7丁目+乃木坂/第4回 六本木1丁目

参考文献

  1. 港区「地名の歴史(麻布地区)」
  2. 港区『The Azabu No.57』
  3. 港区「龍土軒(六本木7丁目)」
  4. 国立新美術館「国立新美術館について」
  5. 東京大学物性研究所「沿革」
  6. 政策研究大学院大学「キャンパス」
  7. 乃木神社「由緒」
  8. 港区「旧乃木邸の一般公開について」
  9. U.S. Army「Akasaka Press Center」
  10. 港区 2026年8月24日 赤坂プレスセンター関連発表
  11. 東京ミッドタウン「歴史と開発」
  12. 港区「まちづくり組織の活動について」