2026年10月17日から三菱一号館美術館で開催される「フォンタネージ――イタリアの光・心の風景」は、アントニオ・フォンタネージ(1818–1882)の日本初となる大回顧展です。初期から晩年までの作品に、日本の弟子や後世のイタリア人画家を加えた約200点で、その画業と影響をたどります。
フォンタネージは1876年、58歳で来日し、工部美術学校で西洋画を教えました。そのため日本では「浅井忠らの先生」という説明が先に立ちます。しかし来日前の彼は、スイス、フランス、英国を渡り歩き、バルビゾン派やターナーらの表現を吸収しながら、光や大気、感情を風景に託した画家でした。本展の大きな見どころは、その独立した画家としての姿と、日本近代洋画につながる教育者としての姿を一つの流れで見られることです。
フォンタネージはなぜ日本美術史で重要なのか
日本で西洋画の研究が始まったのはフォンタネージの来日以前です。幕末から明治初期には、川上冬崖や高橋由一らが油彩や遠近法を研究し、英国人画家チャールズ・ワーグマンも日本の画家たちに刺激を与えていました。
転機となったのが1876年の工部美術学校創設です。明治政府が設けた官立の美術教育機関で、絵画、彫刻、建築の西洋式教育を体系的に行いました。絵画教師として招かれたのがフォンタネージです。京都国立近代美術館も、工部美術学校の創設を日本で本格的な西洋美術教育が始まる画期として位置づけています。
フォンタネージの重要性は「日本に油絵を初めて持ち込んだ」ことではなく、すでに芽生えていた洋画研究を、学校教育として次世代の画家へ伝える役割を担った点にあります。
イタリアで生まれた「光と風景」の画家
アントニオ・フォンタネージは1818年、北イタリアのレッジョ・エミリアに生まれました。地元の美術学校で学び、若い頃には舞台装飾や風景画、版画にも携わります。1848年にはイタリア独立運動に参加し、その後スイスへ移りました。1850年から暮らしたジュネーヴは、彼の画業を大きく進める拠点となります。
1855年と1861年にはパリを訪れ、コローやミレー、トロワイヨンらバルビゾン派周辺の風景画に接しました。1865年にはロンドンへ赴き、J.M.W.ターナーやジョン・コンスタブルの英国風景画にも触れています。1866年にはフィレンツェに滞在し、イタリアの新しい風景表現とも接点を持ちました。
風景を「場所の記録」から「心の風景」へ
フォンタネージの風景画では、土地を正確に記録すること以上に、光の移ろい、湿った空気、雲、夕暮れ、人物や動物が置かれた静かな時間が重視されます。レッジョ・エミリア市立博物館が所蔵する《孤独》では、広い自然の中に人物を置き、風景そのものに心理的な気配を持たせています。
1869年、フォンタネージはトリノのアルベルティーナ美術アカデミーで風景画教授となりました。日本政府が招いたのは、単に西洋の画材を扱える技術者ではなく、ヨーロッパ各地の最新の風景画を見て、自らの方法を築いていた現役の画家でした。
1876年、58歳で日本へ―工部美術学校とは
明治政府は殖産興業と技術導入を進めるなかで、西洋の建築や図面作成、美術表現を担う人材の育成も必要としていました。工部省は1876年に工部美術学校を開き、イタリアから絵画のフォンタネージ、彫刻のヴィンチェンツォ・ラグーザ、建築のジョヴァンニ・カペレッティを招きました。
フォンタネージは1876年に来日し、1878年まで約2年間教壇に立ちます。すでに58歳で、トリノのアカデミー教授という地位を持つ画家が遠い日本へ渡ったこと自体、彼の経歴の中でも異例の選択でした。
工部美術学校の生徒には、のちの日本近代洋画を担う浅井忠、小山正太郎、松岡寿、山本芳翠らがいました。1977年に京都国立近代美術館が開催した「フォンタネージ、ラグーザと明治前期の美術」では、フォンタネージの門下として多くの男女の生徒が紹介されており、彼の教育が初期洋画家の広い層に及んだことが分かります。
浅井忠・小山正太郎らに何を教えたのか
フォンタネージは油彩だけでなく、水彩、素描、遠近法、風景の構成などを教えました。京都国立近代美術館の資料では、戸外で風景を写生する重要性を説き、浅井忠ら門下生が水彩による風景写生を盛んに行ったことが確認できます。
ただし、彼の風景画は目の前の景色をそのまま写すことを目的としていません。レッジョ・エミリア市立博物館の素描研究が示すように、観察した樹木、地形、建物、空や人物をいったん描きとめ、それらを画面の中で組み直して一つの風景を成立させる過程を重視しました。写生と構成を往復する方法です。
浅井忠の工部美術学校時代の作品を見ると、簡潔な鉛筆線や淡い色で身近な風景をとらえる姿勢が分かります。のちに浅井はフランス留学を経験し、自身の表現を変化させますが、戸外で風景と向き合う基礎はフォンタネージの教育と深く結びついていました。
日本の洋画はその後どう育ったのか
フォンタネージは1878年、健康上の問題もあって帰国しました。工部美術学校そのものも長くは続きませんでしたが、門下生は別の場所で活動を続けます。
浅井忠は1889年、小山正太郎らと明治美術会の創立に参加しました。明治美術会は西洋画を中心とする団体として活動し、その流れはのちの太平洋画会、太平洋美術会へつながります。浅井忠と明治美術会から現在までの系譜は、「太平洋美術会とは?1889年の明治美術会から太平洋展まで」で詳しく紹介しています。
一方、明治後期には東京美術学校で洋画教育が制度化され、1907年には文部省美術展覧会(文展)が始まります。工部美術学校から文展までを一本の直線で結ぶことはできませんが、西洋画を学ぶ場、発表する団体、官設展覧会が次々に整えられたことで、日本の洋画は社会的な基盤を持つようになりました。文展から帝展、新文展、現在の日展までの制度史は、「日展とは?1907年の文展から帝展・新文展・現在の日展まで」で解説しています。
日本はフォンタネージ自身の絵にも残った
影響はイタリアから日本への一方向だけではありません。フォンタネージは帰国後、《日本の寺の入り口》を制作しました。レッジョ・エミリア市立博物館によれば、この未完作は日本での記憶や自身のスケッチに加え、浅井忠が描いた徳川家の寺院の図など、門下生の資料も参照して制作されています。教えた側の晩年の作品に、教え子が描いた日本の風景が入り込んでいる点は、両者の関係を考えるうえで興味深い事実です。
本展で見るべきフォンタネージ自身の画業
本展はフォンタネージを「お雇い外国人」の経歴だけで見る展覧会ではありません。初期から晩年までの制作をたどり、日本の弟子たちや同時代・後世のイタリア人作家まで含めて、その風景画の広がりを検証します。
《朝》―初期から続く光への関心
《朝》(1855–1858年)は、フォンタネージがヨーロッパ各地の風景画に学んでいた時期の作品です。空の明るさと地上の暗さ、遠景へ溶ける光を見ると、後年まで続く「大気を描く」関心が早くから現れていたことが分かります。
《四月》―天候と感情を一つの画面にする
1873年の《四月》は、来日前の成熟期を代表する作品の一つです。季節や時刻を説明するための風景ではなく、光の変化、雲、水辺、樹木のまとまりによって画面全体の気分をつくります。フォンタネージが自然の観察から「心の風景」へ進んだことを見やすい作品です。
《フィレンツェの旧市場》―田園だけではない風景画家
フォンタネージは田園や山野だけでなく、ジュネーヴ、ロンドン、フィレンツェなど都市の景観も描きました。《フィレンツェの旧市場》(1867年頃)では、建築物と人の営みを風景の一部として組み込みます。版画家・素描家として培った空間把握も見どころです。
《雲》―晩年の大作と再評価
帰国後の1880年に発表した《雲》は、フォンタネージ晩年の重要作です。当時の展覧会では高く評価されなかったものの、巨大な雲と大気を主役にした画面は、後世に彼の先進性を示す作品として再評価されました。1901年のヴェネツィア・ビエンナーレでの回顧展示などを経て、イタリアでも評価が見直されていきます。
本展ではさらに、20世紀イタリア美術へ続く影響も検証されます。日本近代洋画の源流を知ると同時に、イタリア近代美術の中でフォンタネージを位置づけ直せる点が、この展覧会の特徴です。
三菱一号館美術館で見る意味
三菱一号館美術館の赤煉瓦の建物は、英国人建築家ジョサイア・コンドルが設計し、1894年に完成した三菱一号館を可能な限り忠実に復元したものです。現在の美術館は2010年に開館しました。
フォンタネージが日本を去った1878年から原建築の完成までは16年です。工部美術学校で西洋美術教育が始まった時代から、丸の内に本格的な西洋建築が建つ時代へ。会場の建物も、明治日本が西洋の技術と美術を制度として取り込んでいった時代の延長線上にあります。
開催概要
| 展覧会名 | 日本イタリア国交樹立160周年記念・フォンタネージ来日150周年記念「フォンタネージ――イタリアの光・心の風景」 |
|---|---|
| 会期 | 2026年10月17日(土)~2027年1月24日(日) |
| 会場 | 三菱一号館美術館(東京都千代田区丸の内2-6-2) |
| 開館時間 | 10:00~18:00。祝日を除く金曜、第2水曜、会期最終週の平日は20:00まで。入館は閉館30分前まで |
| 休館日 | 月曜日。ただし祝日、トークフリーデーの10月26日・11月30日・12月28日、1月18日は開館。12月31日、1月1日は休館 |
| 観覧料 | 一般2,300円、大学生1,300円、高校生1,000円、中学生以下無料。一般前売2,100円、大学生前売1,000円 |
| 展示 | 会期中に展示替えあり |
| 公式サイト | 三菱一号館美術館「フォンタネージ――イタリアの光・心の風景」 |
開催情報は2026年9月7日時点で確認しています。開館日やチケット情報は変更される場合があるため、来館前に公式サイトをご確認ください。
参考文献・参考資料
- 三菱一号館美術館「フォンタネージ――イタリアの光・心の風景」
- 三菱一号館美術館「『フォンタネージ』展 図録付き前売券を8月11日から数量限定販売!」
- 京都国立近代美術館「フォンタネージ―イタリアの光・心の風景」
- 京都国立近代美術館「フォンタネージ、ラグーザと明治前期の美術」
- 京都国立近代美術館「2019年度 第1回コレクション展 水彩画」
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像 浅井忠」
- Musei Civici di Reggio Emilia, Antonio Fontanesi e la sua eredità
- Musei Civici di Reggio Emilia, Ingresso di un tempio in Giappone

