関東大震災と東京大学本郷キャンパス|1923年から始まった震災復興建築

1923年9月1日の関東大震災は、東京帝国大学本郷キャンパスの建物と蔵書に大きな被害を与えました。1892年に建てられた旧図書館は火災で焼失し、蔵書も大量に失われました。正門から安田講堂へ続く街路の両側にあった明治期の校舎も損傷しました。

大学営繕課長だった内田祥三は、災害に強い鉄筋コンクリート造の校舎を整え、道路・広場・建物の配置を同時に計画しました。現在の総合図書館や法文校舎、工学部の一部に残る内田ゴシックの建築群は、この復興事業の一環で建てられたものです。

本郷キャンパス全体の年代と配置は東京大学本郷キャンパス建築ガイド、復興建築に共通する意匠は内田ゴシック建築完全ガイドで詳しく紹介しています。

震災前の本郷――煉瓦造校舎と旧帝国大学図書館

明治期の東京帝国大学本郷構内には、煉瓦造の法文科大学や工科大学の校舎、図書館などが並んでいました。1892年竣工の旧帝国大学図書館は、現在の総合図書館とおおむね同じ位置に建つ煉瓦造の独立した図書館でした。

東京大学附属図書館の展示資料によれば、旧図書館では東側に書庫、西側に大閲覧室を置き、2階には大学院生や教員のための閲覧室を備えていました。大閲覧室には約100席が設けられていました。

1923年9月1日――地震と旧図書館の火災

1923年9月1日の関東大震災では、大学の建物が倒壊・損傷し、火災が発生しました。東京大学附属図書館の常設展示解説によれば、当時の医学部薬化学教室で薬品が落下して出火し、隣接する施設から図書館南側の事務部門、閲覧室、書庫へ火が広がりました。

旧図書館は約1週間燃え続けたとされます。東京大学附属図書館の沿革は56万余冊の蔵書を喪失したと記し、同館の2014年の展示解説は約70万点の資料が焼失したと説明しています。

建設中だった安田講堂――大きな損傷を免れた建築

安田講堂は関東大震災当時、内田祥三の設計で建設が進んでいました。東京大学文学部の建築史対談では、工事中の講堂は比較的大きな被害を受けず、一方で銀杏並木の両側の旧校舎は火災で大きく損壊したと説明しています。

安田講堂は1925年に竣工しました。門から講堂へと視線が通る街路の両側には、その後の復興事業で新しい法文校舎が建設されました。講堂の設計経緯と修復史は安田講堂の建築史に詳しく掲載しています。

内田祥三の復興計画――空地・道路・建物を一体で設計

震災直後、大学では本郷に再建するか、郊外へ移転するかを議論しました。代々木練兵場なども移転候補になりましたが、1923年11月には移転を断念し、本郷での復興へ進みました。営繕課長の内田祥三を中心に、校舎の周囲に空地を確保し、道路・広場・建物の位置と外観を一体で計画しました。

安田講堂を軸線の終点とする正門通り、総合図書館と工学部1号館の向き合う関係、法文校舎のアーケードなどは、単独の建物の設計にとどまらないキャンパス計画の例です。緑地や池の周囲には建物が密集しないよう広幅員の通路が計画されました。

鉄筋コンクリート造への転換――耐震・耐火技術と外壁

内田は震災前から鉄筋コンクリート構造を研究し、大学施設の設計に携わっていました。震災後の復興事業では、この構造技術を広く取り入れた校舎が建てられます。

本郷の校舎群には赤茶色や黄土色のスクラッチタイルが使われ、構造は近代化しながら外観にはゴシックのアーチや縦長窓などを組み合わせました。東京大学の学内広報は、この一群を内田祥三を中心とする営繕課が手がけた震災復興建築として紹介しています。

1925年――安田講堂と工学部列品館

安田講堂は1925年7月に竣工しました。赤茶色のタイル外壁と中央の塔が正門軸の終点に立ちます。同年には工学部列品館も完成し、連続するアーチと立体的な壁面を持つ外観が整えられました。

工学部列品館は建設途中に震災を受け、内田祥三の復興計画に沿って完成した初期の建物です。鉄筋コンクリート造3階建てで、ロの字形の平面、連続アーチのポーチ、縦長窓、四隅をへこませた入隅が特徴です。学術標本の展示施設として計画され、伊東忠太や関野貞らが収集した海外調査資料も陳列されました。

1928年――ロックフェラーの寄附と総合図書館再建

旧図書館の焼失を受けて、ジョン・ロックフェラー・ジュニアは1924年12月30日に400万円の寄附を申し出ました。大学は1925年1月に受諾し、古在由直総長を委員長とする図書館建築委員会を設置しました。姉崎正治館長が欧米の図書館設備を調査し、内田祥三が設計監督を担当しました。新図書館は1925年に着工し、1928年12月に竣工しています。

新図書館は建物だけでなく蔵書の復旧も課題でした。東京大学附属図書館の復興資料によれば、国内外から約30万冊の図書が寄贈され、南葵文庫や鷗外文庫などの収集も進みました。

旧館の被災から現在の新図書館計画までは東京大学総合図書館の建築史に掲載しています。

1927~1938年――法文・工学の復興校舎が完成

震災後の本郷では法学部3号館が1927年、法文1号館の西側が1929年、法文1号館全体が1935年、法文2号館が1938年に完成しました。工学部1号館も1935年に竣工しています。

法文1号館と2号館には、建物を横断するアーケードが設けられ、雨を避けながら通り抜けられる歩行動線になりました。総合図書館と工学部1号館は向き合う配置で、建物の正面を空間の構成要素として用いています。

1937年の鳥瞰図――内田の構想と復興後の建築群

1937年の「東京帝國大學本部構内及農學部建物鳥瞰圖」には、復興後の本郷と弥生地区の校舎群が描かれています。正門・安田講堂・総合図書館と、学部ごとに整備された新校舎の配置を大きな範囲で確認できる史料です。

1937年の東京帝国大学本部構内と農学部の建物鳥瞰図
『東京帝國大學本部構内及農學部建物鳥瞰圖』1937年。東京大学農学生命科学図書館所蔵。

震災復興建築年表

年被害・再建建築上の変化
1892旧帝国大学図書館竣工煉瓦造の独立館
1923関東大震災、旧図書館焼失旧校舎の被害、復興計画へ
1925安田講堂・工学部列品館竣工鉄筋コンクリートとゴシック系意匠
1927法学部3号館竣工復興校舎群の整備
1928総合図書館再建ロックフェラー寄附
1929~38法文1・2号館整備アーケードと道路軸
1935工学部1号館完成総合図書館と向き合う配置
1937構内鳥瞰図が描かれる本郷・弥生の校舎配置を記録

復興建築を現地でたどる

正門から安田講堂へ進み、法文校舎とアーケードを見比べます。工学部列品館、総合図書館、工学部1号館へ移動すると、建物の入口や壁面だけでなく、広場と道路の向きから復興計画の特徴を確認できます。

建設時の図面や鳥瞰図と現地の建物を対照すると、建物の外観と配置がどのように継承されているかを具体的に観察できます。

参考資料