池袋駅の北改札を抜け、西口(北)へ出ると、細い通りに飲食店、バー、ゲーム施設、ホテルが並びます。中国語の看板、中国東北料理店、食材店、旅行や通信を扱う店も目立ちます。南へ戻れば池袋西口公園と東京芸術劇場、西へ進めば立教大学と旧江戸川乱歩邸があります。
歓楽街、ホテル街、チャイナタウン、芸術と文学の街が、池袋駅西側の徒歩圏内に重なっています。この街並みは、1903年の駅開業、私鉄の乗り入れ、戦後の闇市、歓楽街と宿泊施設の集積、1980年代半ば以降の華人ニューカマーと華商の事業、戦前から続く文化活動が、同じ駅周辺に積み重なった結果です。
池袋北口と西口(北)
地域では現在も「池袋北口」という呼び方が広く使われています。2019年、東武鉄道側で使われていた地上出口の「北口」と「南口」は、それぞれ「西口(北)」「西口(南)」へ変更されました。どちらも駅西側にあることを分かりやすくするためです。JR駅構内には現在も「北改札」があります。

| 呼び方 | 意味 |
|---|---|
| 北改札 | JR駅構内にある北側の改札 |
| 西口(北) | 旧「北口」にあたる地上出口の現在の案内 |
| 池袋北口 | 地域・待ち合わせ・歓楽街を指す通称として現在も広く使用 |
| 北池袋駅 | 池袋駅とは別の東武東上線の駅 |
この記事では、地域名には「池袋北口」、現在の出口案内には「西口(北)」を用います。中心となるのは、西池袋一丁目と池袋一丁目・二丁目など、駅北西側の複数の町域です。
鉄道が池袋を巨大ターミナルにした
明治初期の池袋は、東京市街の外側にある農村でした。現在の地域は、北豊島郡の池袋村、西巣鴨村、長崎村などにまたがっていました。駅西側には丸池と呼ばれた池や、のちに暗渠化される弦巻川の水源がありました。
1885年、日本鉄道が品川―赤羽間を開通させたとき、置かれたのは目白駅と板橋駅でした。その後、田端方面へ分岐する新路線の建設にあたり、地形、勾配、用地などの条件から池袋が分岐駅に選ばれます。1903年4月1日、日本鉄道豊島線の池袋―田端間が開通し、池袋駅、大塚駅、巣鴨駅が開業しました。
1914年には東上鉄道が池袋―田面沢間、1915年には武蔵野鉄道が池袋―飯能間で開業します。埼玉・武蔵野方面から来た人が国鉄へ乗り換え、買い物、食事、映画、通学、就職、宿泊のために駅周辺を利用するようになりました。

線路は人を集めると同時に、東西の地上街路を分けました。東口では西武百貨店やサンシャインシティなどの大規模商業施設が発展し、西口では東武百貨店、立教大学、東京芸術劇場、駅北西側の小規模な飲食・娯楽街が近接しました。西武・東武を含む池袋のターミナル形成を解説した記事では、私鉄と百貨店が池袋の東西を形づくった過程を詳しく紹介しています。
池袋西口から弦巻川の暗渠をたどる記事では、丸池から続く古い水路の痕跡を歩いて確認できます。
西側に大学・芸術・文学が集まった
1918年、立教大学は築地から池袋へ移転しました。翌1919年には、本館、礼拝堂、図書館、食堂、寄宿舎などの落成式が行われます。大学の移転によって、学生、教職員、下宿、書店、食堂、文化活動の人流が駅西側に生まれました。
1920年代以降、旧長崎町を中心とする池袋駅西側には、若い画家や彫刻家が暮らすアトリエ村が形成されました。この文化圏は池袋モンパルナスと呼ばれます。豊島区によれば、この呼び名のイメージを形づくったのは、1938年に発表された小熊秀雄の詩でした。
アトリエ村は長崎、千早、要町方面など、駅西側から郊外へ広がる地域に点在しました。都心より安く、大きな窓と作業空間を持つアトリエを確保でき、美術学校へ通いやすいことが芸術家の集積を支えました。
1934年、江戸川乱歩は池袋三丁目、現在の西池袋五丁目へ移り住みました。1965年に亡くなるまで約30年間暮らし、旧江戸川乱歩邸と書庫として使われた土蔵が立教大学に隣接して残っています。
闇市から歓楽街へ
1945年の空襲で、池袋駅周辺は大きな被害を受けました。敗戦後は物資、食料、住宅、雇用が不足し、駅前に空襲で家や店を失った人、復員兵、引揚者、仕事と住居を探す人が集まりました。駅の東西には露店・闇市が形成され、統制品の取引、土地所有、露店組織、警察・行政・占領軍の取り締まりが複雑に重なりました。
露店整理後も、駅前には飲食と娯楽の需要が残りました。池袋は、乗換えの前後に食事をする人、映画や演劇を見る人、仕事の後に酒を飲む人、終電を逃した人、地方から上京して宿を探す人、学生や若者が集まるターミナルでした。
東口では百貨店や大規模商業施設が発展しました。西口駅前には東武百貨店、のちに東京芸術劇場が整備され、その北側・裏側には小規模な敷地と建物が多く残りました。大規模商業施設の正面と、小規模店舗が集まる後背地が近接したことが、池袋北口の歓楽街を特徴づけました。
豊島区は戦後池袋を「ヤミ市から自由文化都市へ」と捉え、現在の西口再開発の説明でも、駅前の奥に「闇市があった時代の面影を残すエリア」があると述べています。新宿・上野・池袋・渋谷の闇市を比較した大型記事では、駅前市場が整理・再編された過程を都市ごとに比べています。
ホテル街が北西側に集まった理由
池袋北口・西口(北)には、一般ホテル、ビジネスホテル、旅館から転換した施設、短時間利用の料金を設定する施設などが混在しています。施設ごとに旅館業許可、風営法上の構造・設備・利用形態、営業実態が異なります。
集積を支えたのは、巨大ターミナルへの近さ、深夜まで続く人流、駅前大通りの裏側に残った小規模街区、既存の飲食・歓楽集積、建物の転用・建て替え、表通りから少し外れた立地です。宿泊施設は歓楽街と同じ利用者だけを対象にしたものではなく、出張、観光、終電後の宿泊など複数の需要を受け入れてきました。
戦前の池袋には、芸妓、料理屋、待合、置屋などから成る花街・三業地が存在した時期があります。花街、戦後の闇市、現在の歓楽街・ホテル街は、それぞれ制度と形成過程が異なります。
1980年代以降の池袋チャイナタウン
池袋チャイナタウンは、開港期から続く横浜中華街とは異なり、1980年代半ば以降に形成されたニュータウン型の集積です。地理学者の山下清海らは、池袋駅北口周辺の集積を、日本のニューチャイナタウンの代表例として研究しました。
1980年代半ば以降、日本語学校で学ぶための就学生ビザなどで来日した中国出身者が増えました。池袋周辺には日本語学校と比較的低家賃のアパートがあり、埼玉方面からも鉄道で通いやすい環境がありました。
新しく来日した人には、母語で注文できる料理店、中国食材、書籍・映像、旅行・送金・通信、住居・求人情報、同郷者と会える場所が必要でした。こうした需要に応える華商が事業を始め、飲食店、食材店、書店、旅行、通信などの店舗が集まりました。華商は中国系・華人系の商工業者を指す言葉で、国籍、出身地、世代、事業規模は多様です。

「池袋チャイナタウン」は豊島区が定めた行政地区名ではなく、研究上の呼称です。山下清海は、横浜、神戸、長崎の伝統的な中華街と区別するため、2003年にこの呼称を用いました。池袋では、門や装飾的街路を中心とする観光地ではなく、既存の雑居ビルに事業・生活・情報のネットワークが分散しています。
歓楽街・ホテル街・チャイナタウンが重なった理由
三つの街が重なった最大の理由は、同じ立地条件を別の時代の事業者と利用者が使ったことです。池袋駅は郊外から大量の人を集め、駅北西側には小規模な建物と商業物件が残りました。飲食と娯楽は深夜まで人を動かし、宿泊需要を生みました。1980年代半ば以降には、日本語学校、住宅、鉄道、既存の商業用建物、華商の紹介・同郷ネットワークが中国語商業の集積を支えました。
一つの店舗や情報拠点に利用者が集まると、料理、食材、書籍、旅行、通信、求人、住居という別の需要が生まれます。既存事業者の紹介や人間関係が次の事業者を呼び、店舗の集積が広がりました。
池袋チャイナタウンは西池袋一丁目の歓楽街と位置的に重なります。同じビルでも、地上階に飲食店、上階に事務所、サービス業、宿泊施設が入る場合があります。昼と夜では利用者も変わります。歓楽街、ホテル街、チャイナタウンは同じ街区を共有しながら、利用目的と形成時期が異なります。
戦後直後に活動した華人・華僑と、1980年代半ば以降に来日した華人ニューカマーでは、世代、出身地、在留経緯、事業、社会的立場が異なります。戦後の池袋に華人を含む多様な商業活動があり、露店整理後も参入と業種転換の多い繁華街が残ったところへ、新しい移住波と中国語商業ネットワークが加わりました。
芸術文化と再開発
池袋西口には東京芸術劇場と池袋西口公園があります。1990年、東京芸術劇場と一体的に西口公園が整備され、2019年にはグローバルリングとしてリニューアルしました。

池袋モンパルナス、江戸川乱歩、立教大学、東京芸術劇場、マンガ、アニメ、演劇、映画、西口公園の野外劇場は、それぞれ異なる時代に生まれた文化の集積です。大学、劇場、飲食店、宿泊施設は目的が異なりますが、同じ駅と街路を利用してきました。
池袋駅西口では、駅前広場、商業・業務機能、歩行者空間を再編する大規模計画が進められています。豊島区は歩行者中心の都市構造と国際アート・カルチャー都市を目標に掲げ、駅前の奥に残る闇市時代の面影と新しい街をつなぐ考えも示しています。老朽建物と防災、東西の回遊、文化施設の連携、小規模店舗、既存住民や外国人事業者の暮らしをどう両立させるかが課題です。制度と他地区との違いは、東京の再開発を歴史から比較した記事でも確認できます。
街を歩いて確認する
池袋駅にはJR、東武東上線、西武池袋線、地下鉄が集まり、線路と駅施設が東西の地上街路を分けています。西口(北)から西一番街、池袋西口公園、立教大学、旧江戸川乱歩邸へ歩くと、商業、歓楽、文化、住宅の変化を短い距離でたどれます。
- JR池袋駅北改札・西口(北)
駅構内の北改札と地上出口の西口(北)を確認します。 - 西一番街
大規模商業施設の裏側に、小規模な飲食店と宿泊施設が集まる街区を歩きます。 - 中国系店舗が集まる街路
料理、食材、書籍、旅行、通信など、店舗が提供する生活機能に注目します。 - 池袋西口公園・グローバルリング
歓楽街から劇場と公共空間へ景観が切り替わります。 - 立教大学・旧江戸川乱歩邸
赤レンガ校舎群と文学の歴史をたどります。公開日時や見学ルールは公式サイトで確認します。 - 池袋大橋・上池袋方面
池袋北側の路地と上池袋を歩く記事へ進むと、駅前から住宅地へ変わる街路をたどれます。
ホテル利用者や店舗利用者、従業員の撮影は控え、店内撮影や無断取材は避けます。夜の駅周辺の歩き方は池袋駅周辺を歩いたナイトウォーク、ほかの地域も含む計画には東京の歴史散歩コース集が参考になります。地形と古い水路については、東京の消えた川と暗渠の見つけ方もあわせて読めます。
よくある疑問
池袋駅に現在も「北口」はありますか?
地上出口の案内は2019年に「西口(北)」へ変更されました。JR駅構内には「北改札」があり、地域名・通称としての「池袋北口」も広く使われています。
池袋チャイナタウンは正式な中華街ですか?
地理学者の山下清海が、横浜中華街などと異なるニューチャイナタウンの性格を示すため、2003年に名づけた研究上の呼称です。
横浜中華街とは何が違いますか?
横浜中華街は開港と外国人居留地に由来し、観光・飲食の街として長い歴史を持ちます。池袋チャイナタウンは、主に1980年代半ば以降の華人ニューカマーを支える飲食、食材、書籍、旅行、通信、生活情報の商業ネットワークとして形成されました。
池袋の闇市が、そのままチャイナタウンになったのですか?
戦後直後に池袋で商業活動を行った華人と、1980年代半ば以降に来日した華人ニューカマーでは、世代、出身地、在留経緯、事業が異なります。後者は既存の繁華街の物件と人流を利用して、新しい中国語商業ネットワークを形成しました。
池袋北口は昔、遊郭や赤線だったのですか?
戦前に花街・三業地が存在した時期があります。吉原のような公認遊郭や旧遊郭を基盤とする赤線とは制度が異なり、現在の歓楽街・ホテル街・チャイナタウンも別の形成過程をたどりました。
華人と華僑は同じですか?
文脈によって使い分けられます。華人は中国系の出自を持つ人々を幅広く指す場合があります。華僑は海外に暮らす中国系住民を指して使われてきました。研究資料では「華人ニューカマー」も使われます。
参考文献・資料
- 豊島区立郷土資料館「えきぶくろ―池袋駅の誕生と街の形成―」
- 豊島区「池袋駅・大塚駅・巣鴨駅開業120周年記念」
- 豊島区「区の歴史・年表」
- 豊島区「戦後から現代へ」
- 豊島区デジタルアーカイブ「戰後池袋―ヤミ市から自由文化都市へ」
- 豊島区「池袋への道―近世の歴史資料、池袋モンパルナス、森山大道」
- 豊島区「池袋モンパルナスとよばれたまち」
- 豊島区「池袋モンパルナスを生きた人々」
- 立教大学「立教大学の歴史・沿革」
- 立教大学「100年前の池袋―麦畑に現れた立教大学のレンガ校舎」
- 豊島区「旧江戸川乱歩邸土蔵」
- 立教大学「旧江戸川乱歩邸」
- 山下清海・松村公明・杜国慶「池袋チャイナタウンの形成」
- 山下清海『池袋チャイナタウン』洋泉社、2010年
- 山下清海『新・中華街』講談社、2016年
- 山下清海『世界のチャイナタウンの形成と変容』明石書店、2019年
- 豊島区「池袋西口公園・グローバルリング」
- 豊島区「池袋駅周辺の地区計画」
- 豊島区「市街地再開発事業―池袋駅西口地区・池袋駅直上西地区」
- 豊島区デジタルアーカイブ「池袋西口の再開発と闇市時代の面影」
- 東武鉄道「池袋駅」
- Jタウンネット「池袋駅から北口と南口が消えていた」
- e-Gov法令検索「旅館業法」
- e-Gov法令検索「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」
- Wikimedia Commons「Ikebukuro Nishi-Ichibangai entrance 2018-07-07」
- Wikimedia Commons「JR East Ikebukuro Station North Gate 20221203」
- Wikimedia Commons「Ikebukuro station west entrance」
- Wikimedia Commons「Global Ring Theater 2025-01-08」
- Wikimedia Commons「永利池袋本店」

