六本木という一つの地名の中には、性格の異なる土地の歴史が重なっています。江戸の武家屋敷、坂と谷の町、明治の軍用地や大邸宅、戦後の住宅・企業用地・米軍施設、そして1980年代以降の再開発です。現在の高層ビル街を歩いても、その違いは丁目ごとの地形と土地利用に残っています。
六本木は1967年に現在の1〜7丁目になった
現在の六本木1〜7丁目は、1967年7月1日の住居表示で成立しました。港区の旧新町名対照表を見ると、麻布六本木町だけでなく、麻布市兵衛町、麻布箪笥町、麻布今井町、麻布仲ノ町、麻布三河台町、麻布北日ケ窪町、麻布鳥居坂町、麻布龍土町、麻布谷町、麻布飯倉片町、麻布桜田町、麻布霞町などの全部または一部が新しい六本木へ組み込まれました。
江戸時代の「六本木」は飯倉六本木町や龍土六本木町など限られた範囲の呼称で、現在の町域の大半は武家地や社寺地でした。いまは一つの六本木でも、近代以前は台地・谷・坂によって町や屋敷地の性格が異なっていました。

4つの歴史エリアを比較すると六本木が分かる
| エリア | 江戸〜近代の特徴 | 現在につながる変化 | 詳細記事 |
|---|---|---|---|
| 六本木1丁目 | 市兵衛町・箪笥町、大名・幕臣屋敷、住友家麻布別邸 | 大使館、アークヒルズ、泉ガーデン、仙石山 | 六本木1丁目の歴史散歩 |
| 六本木2〜4丁目 | 谷町・三河台・市兵衛町、武家地、坂と崖 | 三井邸、戦後区画整理、六本木グランドタワー | 六本木2〜4丁目の歴史散歩 |
| 六本木5〜6丁目 | 鳥居坂、日ケ窪、大名屋敷、華族・財閥・学校 | 企業・住宅地、毛利庭園、六本木ヒルズ | 六本木5〜6丁目の歴史散歩 |
| 六本木7丁目+乃木坂 | 龍土、大名屋敷、歩兵第三連隊などの軍用地 | 米軍接収、東京大学、国立新美術館、GRIPS、東京ミッドタウン | 六本木7丁目・乃木坂の歴史散歩 |
江戸から現在まで―六本木400年の変化
- 江戸:現在の町域の大部分を大名・旗本屋敷や社寺地が占め、谷や坂下には町人地がありました。
- 明治:武家地は軍用地、華族・財閥の邸宅、学校などへ転換。7丁目・赤坂側では軍都化が進み、鳥居坂では女子教育など新しい都市機能が加わりました。
- 大正〜昭和戦前:三井・住友・岩崎などの大邸宅、陸軍兵営、学校や商業施設が地域ごとに展開しました。
- 1945年以後:戦災、旧軍用地の米軍接収、戦後区画整理、住宅・公団・企業・放送局などへの転用が進みました。
- 1980年代以降:アークヒルズ、泉ガーデン、六本木ヒルズ、東京ミッドタウン、六本木グランドタワーなど大規模な更新が段階的に進みました。
- 2020年代:六本木五丁目西地区、六本木・虎ノ門地区D街区などで土地利用の更新が続いています。
同じ六本木でも、武家地から大使館・業務都市へ進んだ1丁目、戦後区画整理の影響が大きい2〜4丁目、住宅地と企業用地をまとめて再編した5〜6丁目、旧軍用地が大学・文化施設と米軍施設に分かれた7丁目では、変化の道筋が異なります。
六本木1丁目―武家地・財閥邸宅から国際業務都市へ
六本木1丁目は、市兵衛町・箪笥町の武家地と尾根・谷の地形を基礎に、明治以降は大邸宅や大使館が立地しました。1917年には住友家麻布別邸が建ち、戦後は集合住宅や首都高速が重なります。1986年のアークヒルズ、2002年の泉ガーデン、2012年の仙石山など、一度の再開発ではなく段階的な更新で現在の立体都市が形成されました。詳しくは「六本木1丁目の歴史散歩」でたどれます。

六本木2〜4丁目―坂と谷から戦後復興・超高層再開発へ
2〜4丁目では、谷町・三河台・市兵衛町などの旧町名と、なだれ坂・丹波谷坂・市三坂などの起伏が土地利用を分けてきました。江戸の武家地は近代の邸宅へ移り、三井今井町本邸のような大規模邸宅も現れます。戦後には麻布第一復興土地区画整理が街路と街区を組み直し、21世紀には六本木三丁目地区、六本木三丁目東地区の再開発が進みました。地形と戦後復興の詳細は「六本木2〜4丁目の歴史散歩」で解説しています。

六本木5〜6丁目―大名屋敷と日ケ窪から六本木ヒルズへ
5〜6丁目は、鳥居坂の台地と日ケ窪の低地が対照的です。鳥居坂側では大名屋敷が華族・財閥邸、学校、国際文化会館へ変わり、日ケ窪側では毛利家上屋敷の土地が企業用地や住宅地を経て六本木ヒルズへ再編されました。池と緑の記憶が毛利庭園へ受け継がれた一方、5丁目では次の大規模再開発も進行しています。詳しくは「六本木5〜6丁目の歴史散歩」へ。

六本木7丁目+乃木坂―軍都から文化・教育都市へ
7丁目には龍土の旧地名が残り、明治以降は歩兵第三連隊の兵営が置かれました。敗戦後の旧軍用地は米軍接収を経て一部が返還され、東京大学の研究拠点となり、その後は国立新美術館や政策研究大学院大学へ転換しました。一方、隣接する赤坂プレスセンターは2026年現在も米軍施設です。赤坂9丁目では防衛庁跡地が東京ミッドタウンへ変わりました。詳しくは「六本木7丁目・乃木坂の歴史散歩」で整理しています。

再開発で見る六本木―現在の街は一度にできたわけではない
| 年 | 主な再開発・土地利用転換 | 規模・位置など |
|---|---|---|
| 1986 | アークヒルズ | 赤坂1丁目+六本木1丁目、約5.6ha |
| 2002 | 泉ガーデン | 六本木一丁目西地区、約3.2ha |
| 2003 | 六本木ヒルズ | 六本木六丁目地区、約11.0ha |
| 2005 | 政策研究大学院大学が六本木へ移転 | 旧東大・旧軍用地の土地利用転換 |
| 2007 | 国立新美術館開館/東京ミッドタウン開業 | 文化施設化/防衛庁跡地の再編 |
| 2011 | 六本木三丁目地区 | 約0.9ha、THE ROPPONGI TOKYO |
| 2012 | アークヒルズ仙石山森タワー | 虎ノ門・六本木地区、約2.0ha |
| 2012 | 六本木一丁目南地区 | 約0.4ha |
| 2013 | アークヒルズ サウスタワー | 六本木一丁目駅周辺の街区接続 |
| 2016 | 六本木グランドタワー | 六本木三丁目東地区、約2.7ha |
| 2024〜 | 六本木五丁目西地区 | 約9.2ha。2026年6月資料では2032年度工事完了予定だが、スケジュールは見直し中 |
| 2024〜 | 六本木・虎ノ門地区D街区 | 鹿島建設。東京都資料では2030年度完了予定、建築計画は高さ233m |
これらはすべて同じ制度の「市街地再開発事業」ではありません。大学・美術館への転用、防衛庁跡地の再編、民間建替えを含むため、六本木の現在像は制度も時期も異なる土地利用転換の積み重ねです。森ビルの都市開発を企業史からたどる場合は「森ビルと東京の再開発史」が詳しいです。
六本木が「国際的な夜の街」になった歴史は別の軸で進んだ
土地利用史だけでは、六本木族、バー、ディスコ、バブル期の繁華街は説明しきれません。明治の軍隊、敗戦後の米軍、大使館と外国人居住、地下鉄、テレビ・広告・芸能、海外音楽とディスコ文化が別の因果関係をつくりました。夜の街と国際化に焦点を絞った流れは「六本木はなぜ国際的な夜の街になったのか」で詳しく解説しています。
興味から選ぶ六本木の歴史
- 坂・旧町名・地形:六本木2〜4丁目
- 六本木ヒルズ・毛利庭園:六本木5〜6丁目
- 軍隊・国立新美術館・東京ミッドタウン:六本木7丁目+乃木坂
- アークヒルズ・泉ガーデン・大使館:六本木1丁目
- 米軍・ディスコ・夜の街:六本木の国際的な夜の街の歴史
よくある疑問
六本木は江戸時代から現在の1〜7丁目だったのですか?
現在の1〜7丁目は1967年に成立しました。それ以前は麻布市兵衛町、麻布箪笥町、麻布龍土町など複数の旧町と武家地が入り組んでいました。
六本木にはなぜ坂が多いのですか?
麻布台地の縁と谷が短い距離で交差するためです。なだれ坂、鳥居坂、道源寺坂など、坂名には寺・屋敷・地形の履歴が残っています。
六本木は昔、軍隊の街だったのですか?
明治以降、六本木7丁目や赤坂側には歩兵第三連隊などの陸軍施設が集中しました。地域全体が一様に軍用地だったのではなく、武家地から軍用地へ転換した区域が大きかったのが特徴です。
六本木ヒルズ以前の6丁目には何があったのですか?
テレビ朝日の敷地、公団日ケ窪住宅、戸建て住宅、木造住宅地などがありました。その土地を多数の権利者と調整しながら再編したのが六本木ヒルズです。
六本木の夜の街の歴史はどの記事を読めばよいですか?
米軍、外国人需要、六本木族、ディスコ、バブル期の変化は「六本木はなぜ国際的な夜の街になったのか」にまとめています。