2023年12月3日(日)15時45分から、12名で東京都台東区池之端の旧岩崎邸庭園を訪れました。今回のテーマは、三菱第三代社長・岩崎久彌の本邸として造られた建物と庭園を、冬の夕方にじっくり見ることです。
この日は夜間公開や特別なライトアップイベントではありません。冬は日が短いため、通常開園の閉館前でも外が暗くなり、洋館や撞球室に明かりがともります。昼の細部と、夕闇に浮かぶ建築の両方を楽しめる時間帯を狙って訪れました。洋館内は当時撮影禁止だったため、この記事では外観や庭園、撮影可能だった場所の写真を中心に紹介します。

今回の見学概要
- 開催日時:2023年12月3日 15:45〜
- 参加人数:12名
- 場所:旧岩崎邸庭園(東京都台東区池之端)
- 主な見どころ:洋館、和館、撞球室、芝庭、夕暮れの建物外観
旧岩崎邸庭園は、かつて約1万5,000坪の敷地に20棟ほどの建物が並んだ岩崎家本邸の一部です。現在は洋館、撞球室、和館大広間の3棟が残り、建物と敷地は国の重要文化財として保存されています。現地で見ると、写真だけでは分かりにくい洋館と撞球室の距離感や、芝庭を介した建物同士の関係もつかみやすくなります。

三菱財閥と岩崎家
三菱の歴史は1870(明治3)年、土佐藩出身の岩崎彌太郎が海運事業を興したことに始まります。三菱の公式史では、彌太郎、彌之助、久彌、小彌太という岩崎家四代が経営を担い、海運から鉱山、造船、銀行などへ事業を広げていった流れが整理されています。
現在の旧岩崎邸庭園の土地は、江戸時代には高田藩榊原家の江戸屋敷があった場所です。明治11(1878)年に彌太郎が土地を購入して住まいとし、旧地名から「茅町本邸」と呼ばれました。その後、彌太郎の長男・久彌が三菱第三代社長となり、1896(明治29)年に洋館・和館を中心とする邸宅へ建て替えました。
久彌はアメリカのペンシルヴァニア大学で学び、1894(明治27)年に三菱合資会社の社長に就任しました。三菱公式資料では、銀行部・売炭部・鉱山部の新設や長崎造船所の近代化などを進め、近代的な組織経営を整えた人物として紹介されています。旧岩崎邸は、財閥の歴史を「会社の年表」ではなく、経営者一族の生活空間から理解できる場所でもあります。
三菱と近代東京の関係をさらに見たい方は、当会の丸の内の歴史と建築散歩|東京駅・KITTE・三菱一号館・明治生命館もおすすめです。丸の内では、三菱が1890年に土地の払い下げを受け、ジョサイア・コンドル設計の三菱一号館を起点に近代オフィス街を形成していく流れを紹介しています。

旧岩崎邸庭園
旧岩崎邸庭園は1896(明治29)年、久彌の本邸として造られました。東京都公園協会の資料によると、往時は約1万5,000坪の敷地に20棟ほどの建物がありましたが、現在残る主要建築は洋館、撞球室、和館大広間の3棟です。戦後はGHQに接収され、その後国有財産となり、司法研修所などに使われました。洋館と撞球室は1961(昭和36)年に重要文化財に指定され、のちに和館大広間や袖塀、敷地なども追加指定されています。
洋館は木造2階建てで、ジョサイア・コンドルが設計しました。外観は左右非対称で、ベランダ、列柱、装飾的な窓まわりなど、見る位置によって印象が大きく変わります。東京都公園協会の園内解説では、17世紀英国のジャコビアン様式を基調としつつ、イギリス・ルネサンスやイスラム風のモティーフも取り入れられた建築とされています。

庭園側へ回ると、長いベランダと芝庭が一体となった景観が広がります。大きな邸宅建築だけを切り取るのではなく、庭を介して建物全体を見ると、接客や社交の場としての洋館が広い屋外空間と結びついていたことが伝わります。

洋館と和館が隣り合う構成
旧岩崎邸の特徴は、豪華な洋館だけで完結していない点です。書院造を基調とする和館が接続し、生活の中で和と洋の空間が使い分けられていました。現存する和館は全体の一部ですが、夕暮れに障子越しの明かりが見えると、洋館とはまったく異なる落ち着いた表情になります。

撞球室は洋館と別棟
撞球室はビリヤード場です。洋館とは別棟で、東京都の保存活用計画でも「撞球室」として整理されています。外観は木部を見せた山小屋風で、華やかな洋館とは意匠が大きく異なります。洋館と撞球室は地下通路で結ばれていたことも知られており、邸宅内での移動や社交のあり方を考えるうえでも興味深い建物です。

撮影できた室内では、梁を見せた天井、木製建具、暖炉などを見ることができました。洋館の外観の華やかさとは違い、木の質感が強い空間です。建物ごとに用途と雰囲気を変えている点は、現地で比較すると特に分かりやすいところでした。

ジョサイア・コンドル
ジョサイア・コンドルは1852年生まれの英国人建築家です。1877(明治10)年、日本政府の招きで来日し、工部大学校造家学科で教えました。三菱の資料では、鹿鳴館、ニコライ堂、三菱一号館、岩崎家の邸宅などを手がけるとともに、辰野金吾や曾禰達蔵ら日本人建築家の育成にも大きな役割を果たした人物として紹介されています。
コンドルは西洋建築をそのまま移すだけでなく、日本の気候や文化、依頼主の暮らし方に合わせた設計を行いました。旧岩崎邸でも、洋館のベランダや装飾、別棟の撞球室などに、単純な「西洋風」ではくくれない工夫が見られます。三菱公式資料では、久彌の米国留学経験を背景に、当初石造として考えられていた洋館が木造へ変更されたことにも触れています。
コンドルの作品を別の場所でも見比べたい方は、旧古河庭園の洋館を訪ねたレポートや、丸の内エリアの歴史と建築ツアーもあわせてどうぞ。同じ建築家でも、邸宅、庭園、オフィス建築で表現が変わることが分かります。
冬の夕暮れに合わせて建物を見る
今回の見学で印象的だったのは、明るい時間から夕暮れへ景色が変化していくことでした。夜間特別公開ではありませんが、12月は日没が早く、通常の開園時間内でも閉館前には空が深い青へ変わります。建物内部に明かりがともると、窓やベランダ、列柱の輪郭が昼間とは違って見えました。

洋館のベランダ側では、列柱の間から暖色の光が漏れ、木造の外壁や細かな装飾が浮かび上がります。特別な演出ではなく、冬の夕方という季節と時間帯によって生まれる景観です。

撞球室も暗くなると窓の明かりが強く見え、外壁の木材と屋根のシルエットが印象的でした。昼間に建物の形を見てから夕方の姿を見ると、同じ建築でも受ける印象が大きく変わります。

最後は庭園側から洋館全体を眺めました。参加者12名で建物と庭をゆっくり回りながら、三菱財閥の歩み、岩崎家の暮らし、明治日本に西洋建築を伝えたコンドルの仕事を一つの場所でつなげて考えられる見学になりました。

見学するときに注目したいポイント
- 洋館だけでなく和館・撞球室との関係を見る:用途の異なる建物が同じ邸宅の中でどう配置されているかを見ると、明治の上流階級の生活空間が立体的に分かります。
- 庭園側から洋館を見る:正面だけでなく芝庭側へ回ると、ベランダと庭のつながりが分かります。
- 装飾を細部まで見る:窓、列柱、手すり、壁面装飾など、外観だけでも多くの見どころがあります。
- 公開範囲・撮影ルールは来園前に公式情報を見る:文化財保護のため、見学方法や撮影可能範囲は変更されることがあります。
現在の開園時間や入園料、撮影・見学ルールは、来園前に旧岩崎邸庭園公式サイトで最新情報をご覧ください。
TimeWalkで周辺の歴史スポットも探せます
旧岩崎邸庭園の周辺には、上野・湯島・不忍池など、歩いてつなげられる歴史スポットが多くあります。TimeWalkは、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探し、自分で歴史散歩を楽しめるWebアプリです。
まとめ
旧岩崎邸庭園は、明治の洋館を鑑賞する場所であると同時に、三菱の発展、岩崎家の暮らし、ジョサイア・コンドルの建築、日本の近代化を一つの敷地で考えられる場所です。今回は冬の夕方に訪れたことで、昼の建築美から、明かりがともる夕景まで連続して楽しめました。
歴史の知識がなくても、まずは「洋館・和館・撞球室はなぜこんなに雰囲気が違うのか」と見比べてみると、建物の背景がぐっと身近になります。ゆる歴史散歩会では、これからも現地の風景と歴史資料をつなぎながら、東京の街や建築を歩いていきます。

