赤坂見附から半蔵門の歴史散歩|紀尾井町・平河町・隼町を歩く

千代田区隼町に建つ最高裁判所庁舎の外観

赤坂見附から半蔵門まで、紀尾井町・平河町・隼町を歩く歴史散歩コースです。江戸時代の大名屋敷跡、旧李王家東京邸、昭和政治の舞台となった砂防会館、平河天満宮、最高裁判所、国立劇場を巡ります。約2~3kmの範囲に、江戸の武家地から近代の邸宅街、現代の政治・司法・文化の中枢へと変わった東京の歴史が凝縮されています。

赤坂見附から半蔵門までの散歩コース概要

スタート東京ガーデンテラス紀尾井町「花の広場」
最寄り駅赤坂見附駅・永田町駅
ゴール東京メトロ半蔵門駅
距離の目安約2~3km
所要時間の目安移動だけなら約45~60分、解説を読みながら歩く場合は約90~120分
主なテーマ大名屋敷、皇族・王公族の邸宅、昭和政治、神社、司法建築、伝統芸能
歩きやすさ舗装路が中心ですが、紀尾井坂周辺などに高低差があります

この散歩で見える三つの時代

  • 江戸時代:紀州徳川家・尾張徳川家・井伊家などの大名屋敷と、旗本屋敷が並んだ武家地
  • 明治から昭和前期:皇族邸や李王家邸、軍関係施設が置かれた近代国家の中心地
  • 戦後から現在:政治家の派閥事務所、最高裁判所、国立劇場などが集まる政治・司法・文化の街

街並みは大きく変わりましたが、広い敷地、高低差、曲がる道路、町名、施設の配置には、江戸時代の土地利用が今も影響しています。

【紫色:主な見附 白色:主なスポット 青色:現在の主要線路】見附とは見張り番所がある城門のことで、江戸城の見附は主に枡形門と堀に架けられた橋が一体となったものが多かった。実際は36以上あったが俗に江戸城三十六見附と呼ばれている。現在でも一部残っている。

赤坂見附は江戸城外郭を守った見附の一つです。見附と外濠の歴史を続けて歩くなら、江戸時代の史跡を巡る散歩シリーズ「赤坂見附~四谷見附編」も参考になります。

赤坂見附から半蔵門を歩く

1. 東京ガーデンテラス紀尾井町「花の広場」

散歩の出発地点は、東京ガーデンテラス紀尾井町の「花の広場」です。赤坂見附駅と永田町駅から近く、紀尾井町の高台へ上がる入口になります。現在の複合施設一帯は、江戸時代には紀州徳川家の上屋敷があった場所です。

2023年に撮影された東京ガーデンテラス紀尾井町の外観
東京ガーデンテラス紀尾井町、2023年9月。撮影:Akonnchiroll/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。

2. 紀州徳川家上屋敷跡

紀州徳川家上屋敷跡は、紀尾井町の歴史を理解する中心地点です。紀州徳川家は、尾張徳川家・水戸徳川家と並ぶ御三家の一つで、初代は徳川家康の十男・徳川頼宣でした。

御三家は将軍家に後継者がいない場合の有力な血統とされ、紀州家からは8代将軍徳川吉宗と14代将軍徳川家茂が出ました。吉宗の政治を詳しく知りたい方は、享保・寛政・天保の改革の違いと、徳川15代将軍と右腕たちで読む江戸時代もあわせて読むと、紀州家が幕政で担った位置が分かります。

千代田区の町名由来板によると、安政3年(1856年)の絵図には、紀伊和歌山藩徳川家の上屋敷、尾張名古屋藩徳川家の中屋敷、彦根藩井伊家の中屋敷が描かれています。「紀尾井町」は三家の「紀」「尾」「井」を一字ずつ組み合わせた町名です。

3. 旧李王家東京邸

旧李王家東京邸は、現在の赤坂プリンス クラシックハウスです。江戸時代には紀州徳川家の屋敷地、明治時代には北白川宮家の邸宅があった場所で、現存する建物は1930年(昭和5年)に李王家の東京邸として建てられました。

李王家は朝鮮王朝の王家です。1910年の韓国併合後、日本の王公族制度のもとに置かれました。李垠は幼少期から日本で教育を受け、梨本宮家出身の方子女王と結婚しています。この建物は、江戸の大名屋敷地が明治の皇族邸を経て、昭和初期の王公族邸へ変わった歴史を一か所で示しています。

建物はチューダー・ゴシックを基調とする洋館で、現在も婚礼や宴会などに利用されています。外観を観察する際は、急勾配の屋根、煙突、玄関周辺の石造意匠に注目してください。施設利用者以外の自由な内部見学はできません。

紀尾井町にある旧李王家東京邸の洋館外観
旧李王家東京邸(赤坂プリンス クラシックハウス)、2010年。撮影:Wiiii/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

4. 砂防会館

砂防会館は、全国治水砂防協会が建設・運営する施設です。初代会館は1957年に完成し、老朽化と耐震性への対応から建て替えられ、現在の本館は2018年に完成しました。

この建物が政治史で知られるのは、かつて自由民主党本部が一時入居し、その後も田中角栄や中曽根康弘らの派閥事務所が置かれたためです。とくに田中派の事務所があった時期には、「砂防会館」や「平河町」が派閥を指す言葉のように使われました。建物自体は新しくなりましたが、この場所には昭和の政党政治と派閥政治の記憶が残っています。

施設の沿革は砂防会館の歴史(公式サイト)で確認できます。

5. 平河天満宮

平河天満宮は、菅原道真を祭神とする神社です。文明10年(1478年)、江戸平河城の城主だった太田道灌が城内の梅林坂付近に創建したと伝わります。徳川家康による江戸城整備の過程で平川御門外へ移され、慶長12年(1607年)に現在地へ遷座しました。

江戸時代には紀州徳川家、尾張徳川家、彦根井伊家の祈願所となりました。国学者の塙保己一も信仰し、『群書類従』の編纂にあたって祈願したと伝えられます。

境内で見逃せないのが、1844年(弘化元年)に奉納された銅鳥居です。千代田区指定有形文化財で、台座には左右4体ずつの獅子が表現されています。柱には戦時中の機銃掃射による損傷も残り、江戸の信仰と東京の戦災を同時に伝えています。

千代田区平河町にある平河天満宮の鳥居と境内
平河天満宮、2022年7月31日。Wikimedia Commons掲載画像。

6. 最高裁判所

最高裁判所は、日本の司法権の頂点に位置する裁判所です。現在の庁舎は1974年に完成しました。設計競技で選ばれた岡田新一を代表とする設計グループが設計しています。

外観の最大の特徴は、茨城県稲田産の花崗岩「稲田みかげ」を用いた白い外壁です。建物全体で約1万トンが使われ、直線を基調とした構成によって司法機関の品位と重厚さを表現しています。正面からは、低く広がる基壇と中央部の大きな開口部、石材の量感を確認できます。

千代田区隼町に建つ最高裁判所庁舎の外観
最高裁判所庁舎、2008年。撮影:7/Wikimedia Commons掲載画像。

7. 国立劇場

国立劇場は、歌舞伎、文楽、日本舞踊、邦楽など日本の伝統芸能を保存・振興する拠点として1966年に開場しました。初代国立劇場は、公開設計競技で選ばれた岩本博行の案をもとに建てられ、正倉院の校倉造を思わせる外観で親しまれました。

初代国立劇場と国立演芸場は、再整備事業のため2023年10月末に閉場しました。2026年7月時点では再整備事業が進められており、主催公演はほかの劇場で継続されています。最新状況は日本芸術文化振興会の国立劇場再整備案内で確認してください。

千代田区隼町にあった国立劇場の校倉造風の外観
国立劇場、2007年7月13日。撮影:Tak1701d/Wikimedia Commons/パブリックドメイン。

8. 隼町から半蔵門へ

国立劇場周辺から半蔵門駅へ向かう途中には、警視庁隼町分庁舎や、皇居外苑半蔵門園地があります。時間に余裕があれば、皇居の濠と門の地形を確認してください。

半蔵門から先へ歩くなら、甲州街道の起点「半蔵門から四谷門」の史跡を巡るナイトウォークへつなげられます。赤坂見附から半蔵門までの本コースと組み合わせると、江戸城西側の見附と街道を連続してたどれます。

紀尾井町・平河町・隼町の地名の由来

紀尾井町は三つの大名家から一字ずつ取った

紀尾井町の名は、紀伊和歌山藩徳川家、尾張名古屋藩徳川家、彦根藩井伊家から「紀」「尾」「井」を取ったものです。紀伊家は上屋敷、尾張家と井伊家は中屋敷を構えていました。明治5年(1872年)に麹町紀尾井町となり、屋敷地は政府用地、皇族邸、学校、ホテルなどへ転用されました。

平河町は平河天満宮に由来する

現在の平河町という町名は、平河天満宮に由来するとされています。江戸時代の一帯は旗本屋敷が並ぶ武家地で、狭い範囲には商人や職人の町屋もありました。明治以降、武家屋敷跡は住宅、学校、会館、政治関係施設などに転用され、永田町に隣接する政治の街へ変化しました。

隼町は鷹匠屋敷の記憶を残す

隼町の名は、徳川家康の江戸入府当初に鷹匠屋敷が置かれたことに由来するとされます。江戸時代には武家地で、三宅坂の名の由来となった田原藩三宅家上屋敷もありました。明治以降は軍関係施設が集まり、戦後は最高裁判所と国立劇場が立地する司法・文化の町になりました。

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散歩を楽しむためのポイント

  • 紀尾井町では、現在の大規模施設の敷地境界と江戸時代の大名屋敷の広さを重ねて考えます。
  • 旧李王家東京邸では、土地利用が「大名屋敷→皇族邸→王公族邸→ホテル関連施設」と変わった流れに注目します。
  • 平河町では、武家地の記憶と戦後政治の拠点が同じ地域に重なる点を確認します。
  • 隼町では、最高裁判所と国立劇場の建築が国家の司法と文化をどのように表現したかを見比べます。
  • 各施設の公開状況や工事状況は変わるため、訪問前に公式サイトを確認します。

よくある質問

赤坂見附から半蔵門まではどのくらいかかりますか?

移動だけなら約45~60分が目安です。旧李王家東京邸、平河天満宮、最高裁判所などで立ち止まり、解説を読みながら歩く場合は約90~120分を見ておくと余裕があります。

無料で歩けますか?

公道から史跡や建築を見る範囲では、基本的に無料です。飲食、施設利用、特別な見学企画などには料金がかかる場合があります。

旧李王家東京邸の内部を見学できますか?

現役の施設として利用されており、利用者以外が自由に内部を見学できる場所ではありません。公開企画や利用条件は施設の公式案内で確認してください。

国立劇場は現在開いていますか?

初代国立劇場は2023年10月末から再整備事業のため閉場しています。主催公演はほかの劇場で行われています。工事や再整備の状況は日本芸術文化振興会の公式発表を確認してください。

参考資料

TimeWalkで近くの歴史スポットを探す

散歩の途中や終了後に、現在地の近くにある史跡をさらに探したいときは、ゆる歴史散歩会の街歩きWebアプリ「TimeWalk」を利用できます。位置情報を使って、周辺の史跡、神社仏閣、記念碑、歴史人物に関係する場所などを距離順に探せます。

予定したコースだけでなく、その場で見つけた史跡へ寄り道できるため、赤坂見附・紀尾井町・平河町・半蔵門周辺を自分のペースで歩くときにも便利です。使い方と機能は、TimeWalkとは?歴史を学べる街歩き・観光アプリの使い方で紹介しています。

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 運営者
なかまつ

北海道大学工学部卒。現在はIT系会社員の傍ら、年間400回以上の街歩きイベントを企画し、これまで延べ25,000名以上の方にご参加いただいている、ゆる歴史散歩サークルを運営しています。東京の歴史・文化・建築・地形などを、初心者でも気軽に楽しめるイベントとして企画しています。

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