光が丘の戦争遺跡を歩く|成増陸軍飛行場・グラントハイツ跡地の歴史散歩

1944年に撮影された成増陸軍飛行場の空中写真

東京都練馬区の光が丘は、広い公園と高層住宅が並ぶ街です。その土地には、1943年に建設された成増陸軍飛行場、戦後の米軍家族宿舎グラントハイツ、返還後の光が丘公園・光が丘団地という歴史が重なっています。

光が丘を歩くときに見たいのは、旧滑走路の位置を受け継ぐ南北方向の道、グラントハイツ時代から受け継がれた樹木、ケーシー線の終点があった秋の陽公園周辺、光が丘公園の平和祈念碑です。現在の街並みと1944年の空中写真を見比べながら、軍用飛行場から米軍住宅、そして現在の街へ変わった過程をたどります。

光が丘で分かること・主な見どころ

  • 1943年に成増陸軍飛行場が造られた理由
  • 戦後、飛行場跡が米軍住宅グラントハイツへ変わった経緯
  • 東武東上線の上板橋駅から延びていたケーシー線(啓志線)
  • 1973年の全面返還から光が丘公園・団地が生まれるまで
  • 旧滑走路、秋の陽公園、平和祈念碑など現地で歴史を読み取れる場所

当時の散歩について、出発地・到着地・所要時間・距離を確認できる記録が現在の本文に残っていないため、推測によるコース情報は掲載していません。以下では、光が丘で確認できる場所を歴史の流れに沿って紹介します。

1943年、光が丘一帯に成増陸軍飛行場が造られた

現在の光が丘一帯には、昭和初期まで水田や農地が広がっていました。太平洋戦争中の1943年、首都防衛のため陸軍の成増飛行場が建設されます。練馬区の平和祈念碑にも、この地に1943年に成増陸軍飛行場が造られたこと、地元住民の農地が買収され、基地建設に動員されたことが記されています。

1944年に撮影された成増陸軍飛行場の空中写真
成増陸軍飛行場の空中写真、1944年10月24日。国土交通省「国土画像情報(カラー空中写真)」を基に作成/国土地理院/Wikimedia Commons/CC BY 3.0。

1944年の空中写真では、現在の光が丘公園・光が丘団地一帯が軍用飛行場だった時代の土地利用を確認できます。現在の整然とした住宅地だけを見ていると分かりにくい歴史ですが、上空から見ると、この地域が短期間に大きく造り替えられたことが分かります。

現地では旧滑走路の位置を意識して歩く

練馬区の資料では、光が丘を南北に延びる現在の道が成増飛行場の滑走路だったことが紹介されています。飛行場施設そのものの多くは残っていませんが、現在の道路や街区と古い空中写真を照合すると、軍用飛行場だった土地の規模をつかみやすくなります。

戦後の成増飛行場跡にグラントハイツが建設された

敗戦後、成増飛行場は連合国軍に接収されました。1948年には米軍の家族宿舎グラントハイツが完成します。名称は第18代アメリカ大統領ユリシーズ・S・グラントに由来します。

グラントハイツには住宅だけでなく、学校、映画館、教会、プール、野球場などが設けられ、一つの住宅地区を形成していました。現在の光が丘の街並みとは異なる、米軍関係者の生活空間がここに広がっていた時代です。

上板橋駅からグラントハイツへ延びたケーシー線

グラントハイツ建設では、資材輸送のため東武東上線の上板橋駅から鉄道が延ばされました。練馬区によると、1946年3月に全長6.3キロメートルの線路が完成し、当時の建設司令官の名からケーシー線と呼ばれました。のちに啓志線とも呼ばれます。

終点のケーシー駅は、現在の光が丘秋の陽小学校の北側にありました。線路や駅は現存しませんが、秋の陽公園周辺を歩くときは、ここまで上板橋方面から鉄道が延びていたことを知っておくと、グラントハイツが周辺地域とどのようにつながっていたかを想像できます。

1973年の全面返還から光が丘公園・団地へ

グラントハイツは1971年に全面返還が合意され、1973年に日本へ返還されました。跡地では東京都、練馬区、板橋区、日本住宅公団などが開発計画を進め、住宅、公園、学校、商業施設などを備えた現在の光が丘へ変わっていきます。

東京都公園協会によると、返還された土地の約3分の1が公園として確保され、光が丘公園は1981年12月に開園しました。周辺では住宅建設も進み、大規模な団地の街が形成されました。

飛行場建設以前から現在までの土地利用の変化を詳しく知りたい場合は、光が丘の歴史|成増飛行場・グラントハイツから巨大団地と公園が生まれるまでで、農村時代から団地開発、地下鉄開業までをまとめています。

光が丘で見たい成増飛行場・グラントハイツの痕跡

秋の陽公園|飛行場以前の田園とケーシー駅を知る

秋の陽公園は、光が丘2丁目にある田んぼを備えた公園です。この周辺には昭和初期まで水田が広がっていましたが、成増飛行場の建設で失われました。公園はかつての田園風景をしのぶ目的で整備され、約500平方メートルの田んぼがあります。

公園周辺はケーシー駅があった場所にも近く、農村、軍用飛行場、米軍住宅という三つの時代を重ねて考えられる場所です。現地では田んぼだけでなく、周囲の大規模な団地との対比も見どころになります。

光が丘公園|グラントハイツ時代の樹木が残る

都立光が丘公園は、グラントハイツ返還後の跡地利用を代表する場所です。公園中央のいちょう並木には、グラントハイツにあったイチョウ28本が移植されています。芝生広場を囲む樹林にも、グラントハイツ時代からの大木を移植したものがあります。

建物が失われても、樹木は土地の履歴を伝えます。公園を歩くときは、並木を単なる景観として見るだけでなく、米軍住宅地だった時代から受け継がれたものがあることにも注目できます。

平和祈念碑|成増飛行場から光が丘までの歴史を読む

光が丘公園には、終戦50年の1995年8月15日に練馬区が建立した平和祈念碑があります。碑文には、成増陸軍飛行場の建設、住民の農地買収と基地建設への動員、戦後のグラントハイツ、返還後の光が丘誕生までが記されています。

現地で見るべきなのは碑そのものだけではありません。碑文を読んだあとに周囲の公園や団地を見ると、同じ土地が戦時・占領期・戦後開発を経て現在の公共空間へ変わったことを具体的に確認できます。

光が丘周辺の戦争遺跡・軍事史をさらに歩く

成増飛行場と同じく、東京西部には軍需工場や軍事輸送の痕跡が残ります。別の地域から戦時下の東京をたどるなら、中島飛行機武蔵製作所や引き込み線、西東京・田無・花小金井を歩く歴史散歩もあわせて参照してください。

光が丘の北側にあたる朝霞方面を歩く記事として、朝霞市博物館、城跡、古墳、旧高橋家住宅などを巡る朝霞の歴史散歩もあります。地域を変えて歩くと、東京北西部から埼玉南部にかけての土地利用や近現代史を比較できます。

自分で光が丘の歴史スポットを探すならTimeWalk

TimeWalkは、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探し、自分で歴史散歩を楽しめるWebアプリです。光が丘駅や光が丘公園を起点に、周辺の史跡や地域史を探しながら歩きたいときに利用できます。

解説付きの街歩きに参加する

ゆる歴史散歩会では、東京周辺の史跡、建築、地形、神社仏閣などを現地で解説しながら歩くイベントを開催しています。開催中の企画はイベント一覧で確認できます。歴史初心者や一人参加の方も参加できます。

参考資料

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 運営者
なかまつ

北海道大学工学部卒。現在はIT系会社員の傍ら、年間400回以上の街歩きイベントを企画し、これまで延べ25,000名以上の方にご参加いただいている、ゆる歴史散歩サークルを運営しています。東京の歴史・文化・建築・地形などを、初心者でも気軽に楽しめるイベントとして企画しています。

なかまつをフォローする
イベント