2026年10月17日(土)13時30分、ゆる歴史散歩会のメンバー20人で、渋谷の國學院大學博物館を訪れました。同日に開催されていた観月祭の観覧に合わせた企画で、鑑賞したのは企画展「杉原祥造没後100年 刀剣学総論 ―学際研究が紐解く『日本刀史』―」。今回は団体予約をしておいたため、スムーズに入館できました。
写真撮影ができる展示箇所も多く、作品や解説を見比べながら、周囲に配慮して小声で隣のメンバーと意見を交わしました。刀の姿を楽しむだけでなく、刀剣研究がどのように発展してきたかを学ぶ時間になりました。また、以前は通信電波が届きにくく不便だった館内にWi-Fiが導入され、調べものがしやすくなっていたことも印象的でした。以下では当日の鑑賞記録と、博物館の公式資料に基づく歴史解説を分けて紹介します。
企画展「杉原祥造没後100年 刀剣学総論 ―学際研究が紐解く「日本刀史」―」
企画展は2026年9月19日から11月15日まで、國學院大學博物館の企画展示室で開催されています。日本刀を武器や美術品として眺めるだけでなく、刀工の系譜を記した古い文献、近代の研究者が残した記録、考古資料、製作技術の実験・科学的分析を通して、その歴史を立体的に理解する展示です。
出品目録では第Ⅰ章「『日本刀史』概説」、第Ⅱ章「近代刀剣学序説―『山姥切國廣』発見の頃―」、第Ⅲ章「刀剣研究の深化」、第Ⅳ章「日本刀の成立をめぐる学際的研究」という流れが示されています。弥生時代の銅剣や古墳時代の直刀から、平安時代の太刀、現代の作刀工程見本までを扱い、刀の形が時代によって変わったことを考えられます。
特に興味深いのは、文献史料と実物の刀、刀の形を写し取る押形、科学的分析を別々のものとしてではなく、相互に照らし合わせる点です。何を根拠に「いつ、どのように作られた刀なのか」を判断するのか。展示は鑑賞者にその問いを投げかけます。
公式案内によると、入館は無料、開館時間は10時から18時(最終入館17時30分)です。休館日や撮影可能範囲などは来館前に公式案内をご確認ください。



杉原祥造
杉原祥造(すぎはらしょうぞう、1883~1926)は兵庫県尼崎に生まれ、近代の刀剣研究に力を注いだ人物です。神津伯に学び、國學院大學で刀剣の講義も担当しました。1919年には杉原日本刀学研究所を創設し、研究者同士の交流や刀剣資料の収集を進めました。
展示には大正時代の「杉原祥造押形集」や『長曽祢虎徹の研究』が紹介されています。押形は刀身の形や銘、刃文などを紙に写し取った記録で、実物をいつでも比較できるわけではない時代の研究に重要な役割を果たしました。杉原の押形を眺めると、刀を美しいと感じるだけでなく、細部を記録して後世に伝えること自体が学問であったとわかります。
杉原は1926年に44歳で急逝しました。生前に構想した『長曽祢虎徹の研究』は、没後に刊行されています。残された資料と研究の継承も、この企画展の大切な主題です。
山姥切國廣
山姥切國廣は、刀工・國廣が天正18年(1590)に製作した刀で、現在は重要文化財に指定されています。杉原は1920年、三居家に伝わっていた刀を調査し、その姿や作風、銘などから作品の重要性を論じました。1924年には関連する論考も発表しています。
この刀を考えるうえで大切なのは、名刀の伝承と、実物・銘・押形などに基づく研究を区別することです。出品目録に記載された「刀 山姥切國廣」は画像展示であり、ほかに「山姥切國廣・本作長義押形」のアクリルパネル、関連する刀絵図、研究書が並びます。今回の展示で山姥切國廣の現物を見たという意味ではありません。こうした複数の記録を比較することが、近代刀剣学の特徴を理解する入口になります。
本間順治(薫山)
本間順治(1904~1991)は、山形県酒田の豪商・本間家に連なる刀剣研究者で、薫山と号しました。江戸時代から商業・金融・地主経営を発展させた一族の歩みは、当サイトの酒田本間家の歴史を解説した記事でも紹介しています。
本間家の別荘「清遠閣」と庭園「鶴舞園」を公開して1947年に開館した本間美術館では、本間順治が初代館長を務めました。1965年の財団法人化後は理事長に就任しています。酒田の本間家が育んだ文化財を公開する活動と、日本刀の研究・保存に携わる歩みが、この人物を通じてつながります。
戦後の刀剣保存にも重要な役割を果たしました。1948年設立の日本美術刀剣保存協会では、1970年から1981年まで第2代会長を務めています。著書『日本古刀史』や『薫山刀話』などを通じて刀工の作風と作品の特徴を整理し、研究成果を後世へ伝えました。今回の出品目録にも『日本古刀史』『相州上工とその作風の大要について』『薫山刀話』が掲載されています。
本間の経歴をたどると、酒田の豪商一族の文化事業、戦後の文化財保護、近代刀剣学の発展が交差します。本間美術館の沿革と日本美術刀剣保存協会の歴代会長一覧にも、その足跡が記録されています。
石井昌國
石井昌國(1926~1990)は考古学と刀剣研究を結びつけた研究者です。國學院大學で学び、上古刀の成立や、古代の鉄製武器を歴史的に考える研究を進めました。出品目録には石井と佐々木稔による『古代刀と鉄の科学』(1995年)が記載されています。
日本刀の成立を考える際には、平安時代以降の反りを持つ刀だけでなく、古墳時代の直刀や奈良時代の蕨手刀、毛抜形太刀にも注目する必要があります。展示ではこうした考古資料と研究成果を並べ、形状の変化を単純な一直線の進歩としてではなく、製作技法や用途の変化と合わせて考えられるようにしています。
石井昌國は『日本刀銘鑑』の編著にも携わりました。刀工の銘を調べるための基礎資料として、作品の作者・年代・系譜を検討する研究を支えています。さらに本間薫山との共著『刀剣銘字大鑑』では、銘字と押形の記録を集成しました。古代の鉄製武器を考古学的に研究する仕事と、刀工の銘を体系化する仕事の双方に関わった点が特徴です。
佐藤貫一(寒山)
佐藤貫一(1907~1978)は、寒山の号で知られる刀剣研究者です。國學院大學で刀剣を学び、戦後の刀剣研究と美術刀剣の保護に携わりました。目録には『国広大鑑』(1954年)、『乕徹大鑑』(1955年)、そして「山姥切國廣」を収録する『寒山押形』(1969年)が挙げられています。
作品を比較するための図版や押形、研究書を整備する仕事は、鑑賞者にとっても重要です。作品の細部を言葉や図像で共有することが、次の世代の研究と鑑賞を支えています。
佐藤は本間順治とともに戦後の美術刀剣の保存に携わり、日本美術刀剣保存協会の常務理事や刀剣博物館副館長を務めました。両者の共同研究には『正宗とその一門』や『日本刀大鑑』があり、刀剣の調査成果を図版と解説で共有しました。出品目録に見える『寒山押形』も、刀身の姿や銘を記録して比較研究につなげる仕事を示しています。
神津伯
神津伯は近代の刀剣鑑定・研究に携わり、杉原祥造や本間順治らと関わった人物です。出品目録には昭和18年(1943)刊の『日本刀研究の手引』(増補版)が紹介されています。
この本は、刀剣の年代や系統を見分けるための学習の手がかりを示した資料です。展示を通じて、刀剣研究が師弟関係や研究者同士の交流、書籍の刊行によって継承されてきたことが伝わります。
展示資料からたどる刀剣の変遷
会場には、弥生時代の銅剣、古墳時代の直刀、蕨手刀、毛抜形太刀など、時代の異なる刀剣が展示されていました。形状や材質を見比べると、日本列島における金属製武器の変遷が見えてきます。



弥生時代の細形銅剣・平形銅剣は、日本列島における金属製武器の受容を考える資料です。古墳時代の直刀は、鉄製武器の製作技術や形状を知る手がかりとなります。蕨手刀と毛抜形太刀の展示からは、時代による刀の姿の違いを読み取れます。第Ⅳ章では、こうした古代の刀剣を考えるうえで重要な製作技術や材料の分析にも目を向けています。
刃文は刀身の焼き入れによって生まれる模様で、鑑賞の見どころであると同時に製作技術を考える手がかりにもなります。刀身の曲がり方や地鉄の見え方、刃文の特徴を観察し、それを金属材料や熱処理の知識と照らし合わせることで、見た目の美しさの背後にある技術へと理解が広がります。
歴史学・考古学・材料科学のそれぞれが異なる証拠を扱うからこそ、複数の視点を組み合わせることに意味があります。今回の展覧会名にある「学際研究」は、まさにその方法を表しています。
20人で鑑賞した一日
今回は観月祭の観覧に合わせ、サークルメンバー20人で博物館を訪れました。あらかじめ団体予約をしておいたことで、入館はスムーズでした。撮影可能な箇所が多かったため、気になった展示の記録を残しながら見学できたのもよかった点です。
展示室では、周囲の鑑賞を妨げないよう小さな声で意見を交わし、同じ展示についても見方を共有しながら楽しみました。館内Wi-Fiが導入されていたことも、以前は通信が届きにくかった経験のある参加者にとって便利な変化でした。写真撮影や通信利用の可否・範囲は、今後訪れる際には館内の案内に従ってください。
まとめ
日本刀の歴史を学ぶことは、名刀の名前を覚えるだけではありません。刀工の技術、研究者が残した押形や著作、古代の出土品、現代の科学的分析を結びつけることで、一本の刀をめぐる理解が深まります。今回の20人での鑑賞は、歴史を学ぶ楽しさと、同じ展示について語り合えるサークル活動の魅力を感じられる時間になりました。
渋谷周辺の歴史散歩を楽しみたい方は、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探せるWebアプリTimeWalkもご利用ください。
