古代
大手町が歴史・伝説上の舞台に登場する出来事の一つとして、平将門にまつわる有名な「将門伝説」があります。平将門の乱後、将門は京都でさらされている中、首が舞い上がって落ちた場所が大手町でした。将門の霊を鎮めるため祀られた首塚が今も残っています。
また、江戸の総鎮守として尊崇されている神田明神は、天平2年(730)に安房国安房郡の漁師が海神をまつる安房神社の分霊を捧げて現在の大手町付近(江戸前島)に移住して祀ったのが起こりだとされています。この地に将門の霊を鎮めるために祀られたのは、天慶3年(940)以後のこととされ、江戸城増築に伴い、現在の外神田の地に遷座しました。平将門命(タイラノマサカドノミコト)は神田明神の3柱のうちの一つ。
江戸期より続く日本の中心地としての歴史・文化の蓄積を活用(UR都市機構)
https://www.ur-net.go.jp/produce/case/otemachi/area/history.html
江戸時代
徳川家康が江戸入府した当時は、日比谷から江戸前島にかけては浅い入江が江戸城のすぐ下まで入り込んでいて、入江の沿岸には漁師の家があっただけだったいいます。家康は江戸の都市計画に着手し、江戸城の城郭や都市建設、河川工事などを全国の大名に命じています。江戸城の正門にあたる大手門前には、譜代大名の屋敷が建ち並びました。
明治時代
官庁街となりました。
大手町エリア
丸の内エリア
引用元:https://smtrc.jp/town-archives/city/marunouchi/p02.html
現代
昭和には、分散していた中央官庁を霞が関に集中させる都市計画が決定され、多くの敷地が民間に払い下げられた。その後、高度経済成長期におけるビルの新築ラッシュにより、官庁街は丸の内地域から続くオフィスビル街へと様変わりした。
駅伝
駅伝発祥は、京都の三条大橋と東京の上野不忍池。1917年4月27日に京都の三条大橋を午後2時に出発し、東京の上野不忍池まで約500kmを昼夜問わず走り抜けるもので、先着の関東組がゴールに到着したのは翌々日の午前11時34分であった。この時の関東組のアンカーは金栗四三(日本マラソンの父)でした。駅伝という言葉自体は、日本書紀にも記載されているほど古いものである。首都と地方の間の道路網に30里(約16km)毎に置かれた中継所のことを「駅」といい、ここに宿泊施設や人、馬を配置していた。駅に朝廷の使者が到着すると、次の駅まで乗り継ぎの馬を用意する仕組みが整っており、この制度を「駅制と伝馬制」といった。
東京箱根間往復大学駅伝競走(通称、箱根駅伝)は1920年に開始された関東学連と読売新聞社共催の関東地方の大学駅伝競技会(地方大会)。
大手町連鎖型都市再生プロジェクト
大手町は多くの企業の本社及び本部が集積している一方、多くのビルが建築から30年以上経過し、老朽化が進んだため建物の更新が必要となっていた。これらのビルは現敷地に敷き詰められているため同一敷地内での建て替えが困難である上、24時間稼働型の業種が多いため、仮移転を伴う建て替えは困難であった。
そんな中、2000年度〜2002年度に大手町合同庁舎第1・2号館に入居していた行政機関がさいたま新都心のさいたま新都心合同庁舎に移転することが決まり、2002年、行政や地権者等による「大手町まちづくり推進会議準備会」が発足し、大手町地区の実情を踏まえた「連鎖型再開発」の構想が提唱されたのであった・・・
連鎖型都市再生事業について(URの都市再生)https://www.ur-net.go.jp/produce/case/otemachi/outline/index.html
世界に誇る日本の新たなランドマーク「TOKYO TORCH」
https://www.mec.co.jp/news/mec230927_torchtower/230927_Torch%20Tower%20%E7%9D%80%E5%B7%A5.pdf
報道関係各位
日本一の高さとなる「Torch Tower」の新築工事に関し、本日2023年9月27日に起工式を執り行い、着工しましたので、お知らせ致します。
2023/9/27 三菱地所株式会社