足立区都市農業公園の歴史と見どころ|五色桜・古民家・収穫祭を歩く

足立区都市農業公園の田畑と旧和井田家住宅周辺

荒川と新芝川が近づく足立区鹿浜しかはまに、田んぼ、畑、茅葺きの古民家、多品種の桜が集まる公園があります。足立区都市農業公園です。

現在は農業体験や花の名所として知られています。公園の背景には、江戸・東京を支えた近郊農業、明治の荒川堤を彩った五色桜、ワシントンへ渡った桜、都市化による農地の減少、荒川の治水事業があります。園内の古民家や長屋門も、足立区内の別の地域から移築された建物です。

1984年の開園から40年以上。この場所には足立の「農」の記憶が集められ、田畑では今も作物が育てられています。

足立区都市農業公園とは

足立区都市農業公園は、足立区鹿浜しかはま二丁目、荒川河川敷に面した区立公園です。入園は無料。園内には田、畑、芝生広場、古民家、長屋門、昔の農機具展示室、江北五色桜資料展示室、温室、ハーブ園、荒川河川敷の大花壇などがあります。

公園公式サイトによると、足立の農業を保存してほしいという声を背景に、区制50周年記念事業として1984年に開園しました。荒川の高規格堤防整備に伴い、1995年には「農と自然」をテーマとする公園としてリニューアルしています。

現在の田畑では無農薬・無化学肥料で作物を育て、田植え、稲刈り、野菜の収穫などの体験も行われています。昔の農村景観を保存しながら、都市の中で農業を続ける場として利用されています。

農村だった足立―米・野菜・花を東京へ送った土地

現在の足立区は、かつて江戸・東京に隣接する近郊農村でした。足立区立郷土博物館によると、昭和30年(1955)ごろまで広い水田が残り、東京の米産地として知られていました。江戸時代には足立区域で生産された「渕江米」が、江戸米会所の格付けで24段階中3番目に位置づけられた記録もあります。

大消費地の江戸・東京に近い立地は、鮮度が求められる野菜や花の栽培にも適していました。明治以降は米麦に加えて野菜や花の生産が広がり、東京の食と暮らしを支えました。

戦後の人口増加と宅地化で田畑は減少します。都市農業公園は、その変化の中で農業と農村文化を保存する拠点として生まれました。

1886年、荒川堤に生まれた江北五色桜

1886年3月、後に江北村初代村長となる清水謙吾しみずけんごを中心に、地元の人々が資金を出し合い、熊谷堤、のちの荒川堤約5.8kmに八重の里桜78種3,225本を植えました。

品種によって白、淡紅、濃紅など花の色や開花時期が異なり、長い期間にわたって堤を彩りました。花見の時期には乗合船が出て、定期航路も江北まで臨時に延長されるほどの名所になります。「五色桜」の名は、当時の新聞に「五色に彩られ」と紹介されたことに始まると足立区は説明しています。

1924年には国の名所に指定されました。現在の都市農業公園にある荒川堤五色桜碑は、この名所の歴史を伝えています。

五色桜はワシントンへ渡り、足立へ帰ってきた

1912年、東京市からアメリカのワシントンへ3,020本の桜が贈られました。その苗木には、江北五色桜から採った接穂つぎほを育てた桜が含まれています。現在のポトマック河畔の桜につながる歴史です。

一方、荒川堤の五色桜は、荒川放水路の建設、環境の変化、戦中・戦後の荒廃を経て衰退しました。1952年にはアメリカから贈られた接穂が荒川堤に植えられ、一部が現在の五色堤公園へ移されました。1980年には区職員がワシントンで桜の枝を採取し、翌1981年に本格的な里帰りが実現して、都市農業公園をはじめ区内の公園や学校へ植えられました。

現在の都市農業公園には多品種の桜が植えられ、ポトマック河畔から里帰りした五色桜も育っています。明治の荒川堤からアメリカへ渡った系統が、再び足立で花を咲かせています。

荒川の治水が公園の姿も変えた

都市農業公園は荒川の堤防に接しています。開園後、荒川の高規格堤防、いわゆるスーパー堤防の整備によって公園の大部分が影響を受けることになり、園全体の再整備が行われました。1995年のリニューアルは、この治水事業と一体で進められたものです。

現在の園内では、田畑や古民家の向こうに大きな堤防と荒川河川敷が続きます。農村文化を保存する公園の地形そのものに、現代の治水インフラが組み込まれています。

荒川放水路がどのように造られ、東京の治水を変えたのかは、荒川は人工の川だった?荒川放水路と岩淵水門で読む東京の治水史で詳しく紹介しています。

旧和井田家住宅―花畑から移された江戸後期の農家

園内の旧和井田家住宅は、江戸時代後期の農家建築です。もとは現在の足立区花畑二丁目にあり、1983年に足立区指定有形民俗文化財となった後、都市農業公園へ移築されました。

茅葺きの寄棟屋根を持ち、内部は田の字型の間取りです。土間、かまどを備えた台所、居間、寝室、座敷などから、農家の日常生活と接客空間の違いを読み取れます。建物には増改築の痕跡があり、1855年の安政江戸地震を経たと伝えられています。

土間や軒先には、明治期に花畑で生産された煉瓦も使われています。農家建築の中に、農村から近代産業へ移る足立の歴史が残っています。2026年現在、内部は公開されておらず、外観を見学できます。

足立区都市農業公園に移築された旧和井田家住宅
旧和井田家住宅。撮影:bluXgraphics(motorcycle design Japan)=Midorikawa/Wikimedia Commons(CC BY-SA 2.0)

長屋門―谷中新田から工場を経て公園へ

園内の旧増野製作所長屋門は、明治30年(1897)ごろ、江戸初期に開発された谷中新田の浅野家の正門として建てられ、「谷久門」と呼ばれていました。

1936年、増野製作所の創業者が門を譲り受け、現在の青井五丁目に建設した工場の門として利用しました。工場移転後も保存され、2000年に都市農業公園へ移築復元されています。

農家の屋敷門が工場門となり、さらに文化財として公園へ移った履歴は、足立の土地利用が農村から工業都市へ変わった過程を一棟に残しています。

現在も続く都市の農業―田植え、稲刈り、循環型の畑

都市農業公園の田畑では、無農薬・無化学肥料による栽培が続けられています。園内で出る稲わら、下草、落ち葉、剪定枝を堆肥化し、農作物の栽培へ戻す循環型の管理も行われています。

田植えや稲刈りには手作業を取り入れ、野菜の収穫体験も行われます。昔の農機具展示、紙漉きや染色などの体験と合わせ、農業を生産だけでなく暮らしと技術の歴史として伝えています。

春は五色桜、秋は収穫祭

春は多品種の桜が順に咲き、里帰りした五色桜を見られます。荒川河川敷の大花壇では、例年チューリップも春の景観をつくります。

秋は田畑の収穫期です。都市農業公園では例年「秋の収穫祭」が開かれ、サツマイモ収穫や脱穀など、その年の農作物に合わせた体験が組まれてきました。2024年度の事業報告では、サツマイモ収穫に695人、脱穀体験に483人が参加し、大人の参加者も多く記録されています。

2026年9月7日現在、公式サイトの10月プログラムは詳細準備中です。10月は事前募集プログラムの予定がなく、当日受付プログラムは今後発表されます。秋の収穫祭に合わせた第52回としのうフリーマーケットの出店募集も始まっています。

園内を歩くならこの順で見る

田畑から旧和井田家住宅、長屋門、昔の農機具展示室へ進むと、現在の農作業から過去の農村生活へ時間を遡るように歩けます。

その後、江北五色桜資料展示室と荒川堤五色桜碑へ向かい、中央芝生広場の桜、荒川堤、河川敷へ出ると、明治の花見名所と現代の治水空間がつながります。春は桜と河川敷花壇、秋は田畑と収穫期の景観が加わります。

日暮里・舎人ライナーからバスで行く

都市農業公園は鉄道駅から少し離れています。日暮里・舎人ライナーの西新井大師西駅から、はるかぜ4号・東武バス西06「鹿浜都市農業公園」行きに乗ると、終点の「鹿浜都市農業公園」で下車してすぐです。西新井駅東口からは西05・西06を利用できます。

王子駅北口からは都営バス王49で「鹿浜橋」下車、徒歩約12分です。日暮里・舎人ライナー沿線の歴史や江北の都市開発と合わせて歩くなら、日暮里・舎人ライナー完全ガイド|全13駅の歴史・開発・観光を途中下車でたどるで沿線の背景を紹介しています。

開園から40年を超え、次の改修へ

足立区は設備の老朽化を受け、都市農業公園の改修を進めています。足立区の施設案内では、2027年度から改修工事に入る予定とされています。

1984年の開園、1995年の高規格堤防整備に伴うリニューアルに続き、公園は再び更新期を迎えます。農業、文化財、桜、治水が重なる場所としての歩みも次の段階へ進みます。

利用案内

所在地東京都足立区鹿浜2-44-1
入園料無料
開園時間10~5月 9:00~17:00/6~9月 9:00~18:00
休園日毎月第1・第3水曜日、年末年始。第1・第3水曜日が祝日または10月1日にあたる場合は翌日休園
主な見どころ田畑、旧和井田家住宅、旧増野製作所長屋門、昔の農機具展示室、江北五色桜資料展示室、荒川堤五色桜碑、中央芝生広場、荒川河川敷大花壇

参考資料