十度ノ宮の歴史|洪水で十度流れ着いた石祠と舟渡氷川神社

板橋区舟渡二丁目の舟渡氷川神社には、「十度ノ宮(じゅうどのみや)」と呼ばれる石の小さな祠が祀られています。江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には、洪水で何度も流された祠が十度も同じ場所に戻ってきたという伝承が記されています。祠に刻まれた万治2年(1659)と寛保3年(1743)の年号は、荒川沿いに続いた信仰と水害の歴史を伝えます。

舟渡と蓮沼の低地に伝わる小祠

江戸時代の舟渡周辺は荒川の流域にあり、洪水によって水が田畑や村の集落へ広がることがありました。十度ノ宮は、かつて蓮沼村の西南にあったと伝えられます。舟渡の現在の街並みができる以前から、川の流れと人々の暮らしが密接に結び付いていた土地です。

洪水は土地を削り、家や道の位置を変えることもありました。石祠が流されたという伝承は、祠に親しんだ地域の人々が川の増水を繰り返し経験していたことを伝えています。

『新編武蔵風土記稿』が記す「十度」の由来

江戸時代後期に編まれた『新編武蔵風土記稿』には、洪水で押し流された石祠が同じ場所へ何度も流れ着き、その回数が十度にも及んだため、土地の人々が塚を築き榎を植えて祀ったという話が載っています。十度ノ宮という名前も、この伝承に由来します。

この出来事を実際に十回数えた同時代の記録が残っているわけではなく、江戸後期に地域で語られていた由来です。洪水で被害を受けても再び祠を祀り直す人々の姿が、伝承の形で残されています。

1659年と1743年を刻んだ石祠

十度ノ宮は笠を載せた石祠で、正面に「奉修造立氷川大明神御宝前」、側面に「万治二己亥年六月十五日」と「寛保三癸亥年十二月吉日 武刕豊島郡蓮沼村 別当金剛院」の文字が刻まれています。万治2年は1659年、寛保3年は1743年です。

江戸時代の祠に複数の年号や寺院の名前が刻まれたことから、長期間にわたって祀られ、蓮沼村の金剛院がその祭祀に関わっていたことが分かります。金剛院は神社に関わる別当寺として記され、神仏習合の時代の信仰を伝えています。

舟渡氷川神社への継承と文化財登録

現在、十度ノ宮は舟渡氷川神社の境内で保存されています。舟渡氷川神社は、戦後の地域整備が進んだ時期に氏子たちが整えた神社です。古い石祠が新しい神社へ受け継がれたことで、現在の町の成立以前からの歴史を見ることができます。

十度ノ宮は令和6年度に板橋区登録有形文化財(歴史資料)となりました。荒川流域では洪水と河川改修によって古い資料が失われた地域もあり、刻銘のある石祠は、地域の名前や信仰が残る資料です。

所在地と関連する史跡

十度ノ宮は板橋区舟渡2丁目18番2号の舟渡氷川神社にあります。川沿いの歴史をさらにたどる場合は、早瀬の渡し水神宮碑の歴史も参考になります。こちらは江戸時代に荒川を渡る人々が水難防止を祈願した石碑です。

参考資料