旧東京第二陸軍造兵廠建物群の歴史|東京家政大学に残る3棟の煉瓦建築

板橋区加賀一丁目の東京家政大学板橋キャンパスには、旧東京第二陸軍造兵廠で使われた煉瓦造の建物が3棟残されています。現在の21号棟、22号棟、58号棟にあたり、戦前は火薬製造に関係する施設でした。昭和21年(1946)に渡辺学園が跡地へ移った後は学校の建物として使われ、平成19年度(2007年度)に板橋区登録有形文化財(建造物)となりました。

加賀藩下屋敷から火薬製造所へ

江戸時代の加賀一帯には、加賀藩前田家の大きな下屋敷がありました。明治維新後、屋敷地の一部には明治9年(1876)から官営の板橋火薬製造所が置かれ、火薬の製造、保管、試験、研究が行われました。

大正から昭和にかけて工場施設は拡張され、東京第二陸軍造兵廠板橋製造所へとつながりました。敷地内の建物には、火薬を扱う作業工程に応じた部屋や設備が設けられました。現在の大学構内にある煉瓦建築は、この時代に造られた施設の一部です。

21号棟・22号棟・58号棟の役割

現存する3棟は、旧220号家(現在の21号棟)、旧225号家(22号棟)、旧261号家(58号棟)です。いずれも煉瓦造平屋の建物です。正確な建築年は分かっていませんが、大正12年(1923)の工場図面に3棟が確認できるため、明治後期から大正期に建てられたと考えられています。

大正12年の図面では、旧220号家は火薬などを一時的に置く「第四溜置室」、旧225号家は「截断室」、旧261号家は「乾燥室」と記されています。昭和期には工程の変化に伴い、旧220号家が溶剤回収室、旧225号家が予乾燥室などとして使われました。旧261号家は引き続き乾燥室でした。

1946年、渡辺学園が板橋へ移転

渡辺学園は明治14年(1881)に渡辺辰五郎が開いた和洋裁縫伝習所を前身とする学校です。戦争で本郷周辺の校舎を失い、昭和21年(1946)に板橋の旧火薬製造所跡地へ移転しました。

学園は旧軍施設の建物を授業や学校運営に利用しました。区の保存活用計画には、大学が28棟、高校が4棟、中学が7棟の建物の使用を始めたと記録されています。昭和38年(1963)には国から土地と建物の払い下げを受け、その後、校舎の新築や更新が進められました。

煉瓦建築が伝える二つの時代

21号棟・22号棟・58号棟は、軍用の工場から学校の施設へ使われ方を変えながら残りました。学校側は、22号棟を現在の造形表現の実習室として紹介しています。火薬製造に用いられた建物を教育の場へ転用した歴史は、戦後の板橋で進んだ土地利用の変化を伝えます。

東京家政大学板橋キャンパスの所在地は板橋区加賀1-18-1です。建物は大学の敷地内にあり、自由に建物内部を見学できる施設ではありません。公開行事などの案内に従ってください。周辺の工場遺構は陸軍板橋火薬製造所跡の歴史、同じ大学に伝わる教育資料は渡辺学園裁縫雛形コレクションで紹介しています。

参考資料