旧田中家住宅の歴史|徳丸から赤塚へ移築された茅葺民家と江戸の暮らし

板橋区立郷土資料館の敷地には、徳丸本村から移築された茅葺屋根の「旧田中家住宅」が残っています。昭和47年(1972)に徳丸五丁目から赤塚の郷土資料館へ移され、江戸時代の農家の暮らしを伝える建物として保存されています。建物の調査では江戸時代中期にさかのぼる可能性のある建築痕跡が確認され、令和5年(2023)に板橋区指定有形文化財(建造物)となりました。

前谷津川沿いの徳丸本村にあった住宅

移築される前の旧田中家住宅は、現在の徳丸五丁目にあたる前谷津川沿いに建っていました。徳丸は江戸時代には農村で、周辺の低地や台地の土地を利用して農業が営まれていました。旧田中家住宅は、その生活の場として長く使われた民家です。

昭和期になると板橋区内では住宅地化が進み、茅葺屋根の農家は次第に姿を消しました。地域の生活史を伝える建物を残すため、旧田中家住宅は郷土資料館の敷地へ移築されました。

田の字型に並ぶ四つの部屋

旧田中家住宅には、二つの座敷と勝手、納戸が田の字型に並ぶ間取りが残っています。勝手は食事や日々の仕事に関わる場所、座敷は来客を迎える場所として使われました。現代の住宅のようにすべての部屋を同じ用途で設けるのではなく、農家の仕事や家族の暮らしに合わせて部屋が配置されています。

土間は屋内で土足のまま作業する場所でした。屋外の田畑での仕事と家の中の炊事・作業をつなぐ役割を持ち、板の間や座敷とは床の高さや材料が異なります。建具や柱の位置、屋根の構造を観察すると、江戸時代の暮らしに合わせた建築の工夫が分かります。

古い建築痕跡と年代の再評価

旧田中家住宅は長く、江戸時代末期から明治時代初期の建築と考えられてきました。しかし移築後の調査では、しし窓や押板など、江戸時代中期の関東地方の民家に見られる要素を復元できる痕跡が確認されました。このため建築年代や建物の変遷が改めて検討されています。

板橋区教育委員会は、従来の登録文化財としての評価を見直し、令和5年(2023)3月20日に旧田中家住宅を区指定有形文化財(建造物)としました。建てられた当初の姿に加え、後の改修を経ながら使われてきた痕跡も、農家建築の歴史を伝えています。

旧粕谷家住宅と比較できる茅葺民家

板橋区徳丸七丁目には、享保8年(1723)に建築された旧粕谷家住宅も残っています。旧粕谷家住宅は建てられた場所で保存されている一方、旧田中家住宅は赤塚の資料館へ移築されました。両方を比べると、民家の構造だけでなく、文化財を現地で守る方法と移築して守る方法の違いも分かります。

郷土資料館での見学

旧田中家住宅は板橋区赤塚5丁目35番25号、板橋区立郷土資料館の敷地内にあります。資料館は通常午前9時30分から午後5時まで開館し、入館は午後4時30分までです。月曜日を基本に休館日が設けられています。展示状況や古民家内部の立入可能な範囲は変更される場合があるため、訪問前に資料館の案内を確認してください。

郷土資料館周辺の歴史は、赤塚・成増周辺の歴史と文化財でも紹介しています。

参考資料