板橋宿本陣・脇本陣の古文書|飯田家と豊田家に残る宿場運営の記録

中山道板橋宿の本陣や脇本陣を務めた家には、江戸時代の宿場運営に関する古文書や道具が伝えられました。板橋区立郷土資料館が管理する「飯田博通家資料」「飯田侃家資料」「脇本陣豊田家資料一括」は、宿場に泊まった人々だけでなく、街道交通を支えた地元の家々の仕事や文化を伝える資料群です。

中山道板橋宿の本陣と脇本陣

板橋宿は江戸から中山道を進む最初の宿場で、上宿・中宿・平尾宿などに分かれていました。本陣は大名や公家などが宿泊する施設、脇本陣は本陣を補う宿泊施設です。宿場には人馬を次の宿場へ送り継ぐ問屋場も置かれ、地元の有力家が運営を担いました。

本陣や脇本陣を務めた家は、宿泊の手配だけでなく、役人との連絡、帳簿の作成、町の行政に関わる仕事も行いました。これらの仕事で使われた文書が、現在の宿場研究の重要な資料になっています。

飯田博通家資料に残る本陣図と関札

飯田博通家は板橋宿の本陣を務め、新左衛門を世襲名とした家です。伝わる資料には古文書に加え、本陣の建物の配置を示す本陣図や関札(せきふだ)があります。関札は宿泊者の名や役職などを掲げる札で、誰がどの宿泊施設を利用したかを示します。

本陣図からは宿場の重要な来客を迎える建物の構成を調べることができます。関札と古文書を照合すれば、宿泊の記録と建物の使われ方をあわせて考えられます。板橋宿の本陣が単なる宿屋より広い公的役割を持っていたことが資料に残っています。

飯田侃家資料と和宮降嫁の記録

飯田侃家は飯田家の総本家で、宇兵衛を世襲名として板橋宿中宿の名主・脇本陣・問屋を兼ねました。伝来資料には江戸時代の古文書、明治時代の行在所に関する木札、書画や短冊などが含まれます。行在所は天皇が外出した際に一時的に滞在する場所です。

古文書には、文久元年(1861)の皇女和宮の江戸への降嫁に関わる資料や、明治時代の戸長役場に関する文書もあります。幕末に大規模な行列を受け入れた宿場の仕事と、維新後に町の行政を担う仕事が、同じ家の記録に残されています。

平尾宿の豊田家と煎茶文化

板橋宿平尾宿で名主・脇本陣・問屋を務めたのが豊田家です。「脇本陣豊田家資料一括」には宿場の仕事に関わる資料が伝わり、幕末期の煎茶に関するコレクションも重要な特徴です。煎茶文化は江戸後期の文人や商人に広がり、茶器や書画を通して人々の交流を生みました。

宿場の有力家は交通や行政に関わるだけでなく、書画や茶の文化にも接していました。宿場の文書と茶器・書画をあわせて見ると、街道沿いの家が担ったさまざまな役割を知ることができます。

郷土資料館で守られる宿場の資料

これらの資料は板橋区立郷土資料館で収蔵・管理されています。資料のすべてが常時展示されているわけではなく、公開範囲は企画展などによって変わります。見学を希望する場合は郷土資料館の展示情報を確認してください。

本陣や宿場の地理、周辺の寺院などは板橋宿・仲宿周辺の歴史と文化財で紹介しています。飯田家の娘が加賀藩主家に仕えた記録については、文殊院と飯田静の碑も参考になります。

参考資料