1927年、東京の銀行の前に預金者が押し寄せました。銀行が預金を返せるのかという不安が広がり、人々が一斉に現金を引き出そうとする「取り付け騒ぎ」です。
その約70年前、日本には現在のような中央銀行すらありませんでした。明治政府は近代的な通貨と銀行を一から整え、その後も恐慌、銀行破綻、証券不祥事、バブル、不良債権、会計不正を経験するたびに金融制度を作り替えてきました。
現在の日本銀行、預金保険制度、金融庁、証券取引等監視委員会、企業の内部統制制度は、こうした危機と制度改革の積み重ねの上にあります。1990年代以降の金融・会計不祥事を年代順にたどる場合は「バブル崩壊後の金融・会計不祥事史」で整理しています。
- 150年を先に俯瞰する|金融制度は何度も作り直された
- 明治|近代銀行と日本銀行を一から作る
- 明治後期から大正|成長する金融市場と繰り返す恐慌
- 1927年|昭和金融恐慌が銀行監督を変える
- 1930年代|昭和恐慌、金本位制離脱、金融統制へ
- 戦時から戦後へ|預金封鎖と新円切替
- 高度成長|「金融機関を潰さない」護送船団方式
- 1980年代|金融自由化とバブル
- 1990年代|不祥事と不良債権が金融危機へつながる
- 1998~2000年代|大蔵省から金融監督庁・金融庁へ
- 2000年代以降|問題の中心は会計・監査・市場の公正へ
- 2010年代|損失隠し、年金運用、不正融資
- 2020年代|金融不祥事は情報管理・市場監視・業務管理へ
- 150年で何が変わったのか
- 主な出来事の年表
- 参考文献
150年を先に俯瞰する|金融制度は何度も作り直された
| 時代 | 金融をめぐる課題 | 主な事件・制度変化 |
|---|---|---|
| 明治初期 | 通貨と銀行制度そのものを作る | 国立銀行、西南戦争後のインフレ、日本銀行創設 |
| 明治後期~昭和初期 | 銀行恐慌を抑え、銀行を監督する | 反動恐慌、震災手形、昭和金融恐慌、銀行整理、銀行考査 |
| 1930年代~高度成長 | 金融を統制し、安定を優先する | 金本位制離脱、戦時統制、新円切替、護送船団方式 |
| 1980~1990年代 | 自由化とバブルの後始末 | バブル、不良債権、証券不祥事、住専、金融機関の連続破綻 |
| 1998~2000年代 | 破綻処理と監督制度を再構築する | 公的資金、金融再生法制、金融監督庁、金融庁 |
| 2000年代~現在 | 市場の公正、会計、監査、内部統制を守る | カネボウ、ライブドア、オリンパス、AIJ、東芝、スルガ銀行など |
明治|近代銀行と日本銀行を一から作る
明治政府が直面した最初の課題は、安定した通貨・銀行制度をどう作るかでした。1872年制定の国立銀行条例に基づく「国立銀行」は国営銀行ではなく民間銀行で、1879年までに153行が設立されました。
1877年の西南戦争では戦費調達のため政府紙幣や国立銀行紙幣が増発され、激しいインフレが起きました。大蔵卿となった松方正義は紙幣整理と緊縮財政を進め、1882年に日本銀行が設立されます。日本銀行券の発行は1885年に始まりました。

日本銀行創設後も民間銀行は増え、1890年代や1907年には金融不安が広がりました。銀行経営の健全性を監督し、信用不安の連鎖を止める仕組みは発展途上でした。日本銀行と金融政策の長期的な流れは「歴代日本銀行総裁でたどる日本金融史」、松方財政を含む財政政策は「歴代大蔵大臣・財務大臣でたどる日本財政史」で詳しく扱っています。
明治後期から大正|成長する金融市場と繰り返す恐慌
日清・日露戦争、産業化、株式会社の増加とともに銀行・証券市場は拡大しました。銀行数が多く、地域の有力企業や特定企業への融資に経営が左右される銀行も少なくありませんでした。

第一次世界大戦の好況の反動が1920年に表面化し、株価や商品価格が急落して企業倒産や銀行の経営悪化が相次ぎました。1923年の関東大震災後には、被災企業の手形決済を支える震災手形の仕組みが設けられましたが、回収困難な債権も残りました。企業・金融機関の破綻史は「倒産の歴史」でも扱っています。
1927年|昭和金融恐慌が銀行監督を変える
1927年春、銀行への不安が各地に広がり、預金者が窓口に殺到しました。背景には第一次世界大戦後から残っていた不良債権、震災手形、小規模銀行の弱い経営基盤があり、台湾銀行は鈴木商店などへの巨額の固定的な貸出を抱えていました。
政府と日本銀行は緊急融資や休業措置などで危機に対応し、その後は銀行整理・合同が急速に進みました。銀行法は1927年に制定され、1928年に施行されます。制度改革は恐慌が全面化する以前から検討されており、恐慌によって銀行整理と監督強化が加速しました。
日本銀行も1928年に銀行考査を開始しました。中央銀行が取引先銀行へ出向き、資産内容や経営状況を調べる仕組みです。
1930年代|昭和恐慌、金本位制離脱、金融統制へ
日本は1930年に金輸出を解禁して金本位制へ復帰しましたが、世界は1929年の世界恐慌に入っていました。輸出低迷と物価下落が重なり、深刻な不況が進みます。1931年末には金輸出が再び禁止され、蔵相の高橋是清の下で財政支出拡大、金融緩和、国債の日銀引受などを組み合わせた政策へ転換しました。
1930年代後半には戦時経済が強まり、銀行合同も進みます。1942年には戦時色の強い日本銀行法が制定され、日本銀行は国家目的に沿う金融運営へ組み込まれました。高橋財政は「歴代大蔵大臣・財務大臣でたどる日本財政史」で詳しく解説しています。
戦時から戦後へ|預金封鎖と新円切替
敗戦後、日本は激しいインフレに直面しました。1946年2月、政府は金融緊急措置を実施し、旧銀行券を金融機関へ預け入れさせ、預金の引き出しを制限して新しい銀行券へ切り替えました。一般に「預金封鎖」「新円切替」と呼ばれます。

これは銀行の経営危機を処理する制度というより、急激なインフレと通貨量を抑えるため家計や企業が自由に使える現金・預金を強く制限した政策でした。1947~48年には証券取引法制が整えられ、1948年には公認会計士法が制定されました。
高度成長|「金融機関を潰さない」護送船団方式
戦後復興から高度成長期には、大蔵省を中心とする金融行政の下で金利、業務範囲、店舗展開などに強い規制が置かれました。銀行間の競争を一定程度抑え、金融システムの安定を優先する運営は、後に「護送船団方式」と呼ばれます。

1965年の証券不況では山一證券も危機に陥り、日本銀行は戦後初の特別融資、いわゆる日銀特融を実施しました。山一は1969年に特融を返済します。同じ山一が1997年には自主廃業し、金融行政が個別金融機関の救済から、必要なら退出させながらシステム全体を守る方向へ転換したことを象徴しました。詳しい業界史は「証券会社とは何か」で扱っています。
1971年には預金保険制度が発足しました。危機を起こさないことだけに頼らず、破綻した場合に一定範囲の預金を守る安全網が整備され始めます。
1980年代|金融自由化とバブル
1980年代、日本の金融は大きく自由化されました。大企業が社債など資本市場から直接資金を集めやすくなる一方、銀行は不動産、中小企業、ノンバンクなどへ貸出先を広げます。1985年のプラザ合意後には急速な円高が進み、景気を下支えする金融緩和が長く続きました。

株価、地価、信用が互いを押し上げ、1989年末には日経平均株価が当時の最高値を記録しました。その後、金融引き締め、株価下落、地価下落などが重なってバブルは崩壊します。1990年の不動産業向け融資の総量規制は転換を強めた政策の一つですが、金融政策、資産価格、信用膨張、金融自由化、投資家心理など複数の要因が作用しました。詳しくは「戦後日本の成功はなぜバブルと長期停滞を生んだのか」で扱っています。
1990年代|不祥事と不良債権が金融危機へつながる
バブル崩壊で地価が下がると、土地を担保に大量の融資を行っていた金融機関に不良債権が積み上がり、好景気の陰で進んでいた金融不祥事も表面化しました。
証券会社の損失補填
1991年には大手証券会社が特定の大口顧客などへ損失補填を行っていた問題が発覚しました。証券取引法の改正で規制・罰則が強化され、1992年には証券取引等監視委員会が発足します。金融行政の重点が業界の安定から、市場の公正と投資家保護へ広がった節目です。
巨額融資とバブル期の統治不全
尾上縫をめぐる架空預金証書事件やイトマン事件では、巨額融資、不透明な資金の流れ、企業統治が問題となりました。資産価格が上がり続けるという期待の中で、融資審査、経営陣の牽制、監査、行政監督が十分に機能したのかが問われます。
住専問題
住宅金融専門会社はバブル期に不動産関連融資を大きく増やし、地価下落で巨額の不良債権を抱えました。1995~96年の処理では公的資金投入が大きな政治問題となり、誰が損失を負担し、金融システムを守るのかが問われました。
1997年、金融危機が表面化する
1997年には三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券などが相次いで経営破綻・自主廃業に至りました。三洋証券の破綻は短期金融市場の信用不安を強め、北海道拓殖銀行は戦後初の都市銀行破綻となりました。山一では簿外債務・損失先送り問題が表面化します。

山一や拓銀を含む破綻の流れは「倒産の歴史」でもたどれます。
1998年、長銀・日債銀は特別公的管理へ
1998年には日本長期信用銀行と日本債券信用銀行が特別公的管理となりました。同年、金融再生法、金融機能早期健全化法などが整えられ、破綻処理と資本増強を一定のルールで行い、預金者と金融システムを守る仕組みが本格化します。

1998~2000年代|大蔵省から金融監督庁・金融庁へ
1998年6月、大蔵省から民間金融機関の検査・監督機能を分離する形で金融監督庁が発足し、2000年には金融庁となって金融制度の企画立案機能も統合されました。背景にはバブル崩壊、不良債権、金融機関破綻、不祥事、行政への不信、金融自由化・国際化など複数の流れがありました。
1997年には新しい日本銀行法が制定され、1998年に施行されました。日本銀行の独立性と透明性を高める改革です。中央銀行の独立性は「日銀は“独裁”なのか?」で詳しく扱っています。
2002年の金融再生プログラム後、主要行の不良債権比率は2002年3月期の8.4%から2005年3月期には2.9%へ低下しました。2003年にはりそな銀行へ公的資金が注入され、足利銀行は一時国有化されました。
2000年代以降|問題の中心は会計・監査・市場の公正へ

カネボウ|連結決算と監査の信頼
カネボウでは業績の悪化した子会社を連結対象から外すなどの方法による虚偽の有価証券報告書が問題となり、監査を担当した公認会計士も刑事責任を問われました。財務諸表を作る会社と、それを検証する監査人の双方の責任が問われた事件です。監査法人の歴史は「BIG4とは何か」、海外比較は「アーサー・アンダーセンはなぜ消えたのか」で扱っています。会計手口と監査・内部統制の関係は「不正会計はなぜ繰り返される?」で詳しく整理しています。
ライブドア|開示情報そのものへの信頼
ライブドア事件では自社株式の売却益を売上に含める、架空売上を計上するなどの問題が認定されました。2006年には金融商品取引法が成立し、2008年度から内部統制報告制度、いわゆるJ-SOXが本格適用されます。制度改革は特定の一事件だけの結果ではなく、相次ぐ開示問題と市場制度改革の流れの中で進みました。
2008年世界金融危機|日本は1990年代と何が違ったか
リーマン・ショックを中心とする世界金融危機では、日本の銀行のサブプライム関連損失は米欧の大手金融機関ほど大きくなかった一方、世界貿易の急減、株価下落、企業金融の緊張が日本経済を直撃しました。日本銀行は利下げ、ドル資金供給、CP・社債買入れなどを実施します。経済危機と政策の変化は「経済危機は経済学をどう変えた?」でも扱っています。
2010年代|損失隠し、年金運用、不正融資
| 事件 | 主な問題 | 制度・統治上の論点 |
|---|---|---|
| オリンパス(2011年発覚) | 長年の投資損失の先送り、虚偽開示 | 取締役会、監査、企業統治 |
| AIJ投資顧問(2012年) | 年金基金に虚偽の基準価額・運用実績を提示 | 資産運用会社の監督、顧客資産管理 |
| 東芝(2015年) | 工事損失引当金の過少計上、売上の過大計上など | 経営目標、会計、内部統制、監査 |
| スルガ銀行(2018年) | 投資用不動産融資で資料改ざん等が広範に発生 | 営業目標、融資審査、内部監査、企業文化 |
スルガ銀行では賃料・入居率、預金残高、所得確認資料などの改ざんが確認されました。2018年に行政処分を受けたスルガ銀行不正融資問題では、通帳改ざん、99%超の審査承認、全件調査、債務者対応まで詳しく整理しています。金融庁は、相当数の営業職員が不正を認識または疑いながら業務を行い、一部では銀行員自身が改ざんを促したり行った事例も認定しました。強い業績目標、経営陣への牽制不足、審査・監査の形骸化など、組織の仕組みが問われました。
2020年代|金融不祥事は情報管理・市場監視・業務管理へ
2024年には三菱UFJ銀行とグループ証券会社の間で法人顧客の非公開情報が不適切に共有された事例が確認され、行政処分につながりました。同年、野村證券では長期国債先物で「見せ玉」を用いた相場操縦が認定され、課徴金納付命令が決定されています。近年の市場公正問題では、SMBC日興証券のブロックオファーをめぐる相場操縦事件も、証券会社自身の市場監視と自己勘定取引の管理を問う事例となりました。
金融機関の貸金庫から顧客資産が窃取される問題を受け、金融庁は2025年5月に監督指針を改正し、貸金庫業務の管理態勢強化を求めました。金融監督の対象は融資や自己資本だけでなく、日常業務の権限管理や内部不正防止へ広がっています。証券取引等監視委員会も2026年に開示違反や市場不正への監視・勧告を続けています。
上場企業の内部統制では、2025~2026年のニデック会計不正が、業績圧力、経理・内部監査の牽制、M&A後のグループ管理を改めて問う事例となりました。
150年で何が変わったのか
| 時代 | 守ろうとしたもの |
|---|---|
| 明治 | 通貨の信用と中央銀行制度 |
| 大正~昭和初期 | 銀行経営の健全性と預金者の信用 |
| 戦後~高度成長 | 金融機関の安定と経済成長への資金供給 |
| 1990年代 | 金融システム全体と預金者、破綻処理能力 |
| 2000年代 | 市場の公正、企業開示、監査、投資家保護 |
| 現代 | ガバナンス、内部統制、顧客情報、市場監視、デジタル・業務リスク |
1927年には銀行の窓口へ人々が殺到し、1997年には大手銀行・証券会社の信用が揺らぎました。現在は決算書の数字、電子市場の注文、金融グループ内の情報共有、行員の業務権限までが金融の信用を左右します。危機が起きる場所の変化に合わせ、監督制度と安全網の対象も広がってきました。
主な出来事の年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1870年代 | 国立銀行制度が広がる |
| 1877年 | 西南戦争、紙幣増発とインフレ |
| 1882年 | 日本銀行設立 |
| 1885年 | 日本銀行券の発行開始 |
| 1920年 | 第一次世界大戦後の反動恐慌 |
| 1923年 | 関東大震災、震災手形問題 |
| 1927年 | 昭和金融恐慌、銀行法制定 |
| 1928年 | 銀行法施行、日本銀行が銀行考査開始 |
| 1931年 | 金輸出再禁止 |
| 1946年 | 預金封鎖・新円切替 |
| 1965年 | 証券不況、山一證券へ日銀特融 |
| 1971年 | 預金保険制度発足 |
| 1991年 | 証券会社の損失補填問題 |
| 1992年 | 証券取引等監視委員会発足 |
| 1997年 | 三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券の危機 |
| 1998年 | 長銀・日債銀の特別公的管理、金融監督庁発足、新日本銀行法施行 |
| 2000年 | 金融庁発足 |
| 2002年 | 金融再生プログラム |
| 2006年 | 金融商品取引法成立 |
| 2008年 | 世界金融危機、J-SOX本格適用 |
| 2011年 | オリンパス問題発覚 |
| 2012年 | AIJ投資顧問事件 |
| 2015年 | 東芝の会計問題 |
| 2018年 | スルガ銀行不正融資問題 |
| 2024年 | MUFGの顧客情報問題、野村證券の国債先物相場操縦 |
| 2025年 | 貸金庫問題を受け金融庁が監督指針改正 |
| 2026年 | 開示違反、インサイダー、相場操縦への市場監視が継続 |
