柏・秋水燃料庫とは?幻のロケット戦闘機を支えた燃料貯蔵施設の歴史・現在・今後

1945年の柏飛行場で撮影されたロケット戦闘機「秋水」

柏市のこんぶくろ池自然博物公園には、第二次世界大戦末期にロケット戦闘機「秋水」の推進剤を保管するため造られた燃料庫が残っています。

2025年に公開された秋水燃料庫2号は、現在残る本体が約2.5mです。柏市の調査では、もとは8本のヒューム管を連結した全長約20mの施設で、20L瓶64本、約1.7tの高濃度過酸化水素を貯蔵できたと推定されています。

秋水は約7分30秒の飛行で約1.5tの過酸化水素を消費するとされます。燃料庫1基が、ほぼ1回の飛行分を保管する規模でした。

秋水燃料庫とは|2025年から公開された柏の戦争遺跡

秋水燃料庫は、ロケット戦闘機「秋水」の液体推進剤を保管する施設です。柏市内では、柏の葉地域のヒューム管を使ったL字型半地下式と、花野井・大室地区の大型コンクリート製コの字型覆土式の2種類が確認されています。

こんぶくろ池自然博物公園には2基が保存され、1基は埋め戻して地中保存、1基は保存整備を経て公開されています。2010年の柏歴史クラブの調査を契機に複数の燃料庫が確認され、行政調査と発掘を経て2025年の公開につながりました。

柏飛行場とは|東京を守るため1938年に造られた航空基地

1937年6月、近衛師団経理部は東葛地域への新飛行場建設を決定し、1938年11月に柏飛行場が完成しました。立川から飛行第五戦隊が移転し、東京を空襲から守る首都防空の第一線基地となりました。

飛行場北側に滑走路、南側に本部、将校集会所、被服庫、兵舎、弾薬庫、格納庫5棟、気象観測施設などが配置されました。戦争末期には四式戦「疾風」や五式戦などもB-29迎撃へ出撃しました。

1946年に米軍が撮影した旧陸軍柏飛行場跡地の空中写真
終戦翌年の柏飛行場跡地、1946年3月26日。出典:国土地理院 / Wikimedia Commons(PDL1.0・CC BY 4.0互換)

秋水とは|B-29迎撃のため計画されたロケット戦闘機

秋水は、B-29への対抗を目的にドイツのロケット戦闘機を参考として陸海軍が共同開発した有人迎撃機です。プロペラを回すレシプロエンジンではなく、液体ロケットエンジンで短時間に急上昇する構想でした。

柏飛行場は藤ヶ谷、成増、谷田部、厚木などとともに秋水の実戦配備候補基地とされ、1945年4月から開発・配備関係部隊が進出して実験、訓練、研究を進めました。

海軍は1945年7月7日に横須賀で初の動力飛行試験を実施しましたが失敗しました。柏でも実戦運用を想定した地上施設整備が進んだものの、B-29迎撃の実戦部隊として投入される前に終戦を迎えました。

秋水を動かした二つの液体推進剤

秋水は、水加ヒドラジン混合液と高濃度過酸化水素という二つの液体推進剤を燃焼室で反応させ、高温・高圧ガスを生み出して推進しました。旧軍では甲液・乙液という呼称が使われました。

柏飛行場調査報告書Ⅱは、過酸化水素を約80%の高濃度で扱い、二液を別々に保管する必要があったことを整理しています。過酸化水素側は20L級のガラス瓶、水加ヒドラジン混合液側は金属容器で保管されました。

秋水は約7分30秒の飛行で推進剤全体を約2t消費し、そのうち高濃度過酸化水素は約1.5tとされています。機体の開発だけでなく、製造、鉄道輸送、濃度管理、専用貯蔵施設を含む補給体系が必要でした。

1945年3月18日には、山北方面の工場から柏へ20L瓶90本の甲液が鉄道輸送された記録も残ります。推進剤の保管計画は、実際の輸送と基地整備まで進んでいました。

柏の秋水燃料庫は2種類あった

地域構造主材料現在
柏の葉L字型半地下式ヒューム管こんぶくろ池自然博物公園で保存・一部公開
花野井・大室コの字型覆土式大型コンクリート一部が現存

柏の葉では既製品のヒューム管を連結し、半地下式の燃料庫を造りました。花野井・大室では大型コンクリート構造物に土をかぶせる覆土式が採用されました。

柏市は花野井・大室の燃料貯蔵庫工事について、陸軍航空本部第一作業隊が着手し、200人以上の朝鮮人労働者が含まれていたとも紹介しています。

燃料庫2号|8本のヒューム管で約20m

燃料庫2号の現存本体は約2.5mですが、当初はヒューム管8本を連結し、全長約20mだったと推定されています。内部にはコンクリート製棚があり、20L瓶64本、約1.7tの過酸化水素を保管できました。

秋水が1回の飛行で消費する過酸化水素は約1.5tです。燃料庫2号1基で、秋水約1回分を保管する規模になります。

後部上部にはコンクリート製円盤状構造物が残り、管で燃料庫内部につながります。柏市は、散水や燃料流出・火災への備えに関係する設備だったと考えています。

敗戦後の柏飛行場|農地から米軍柏通信所へ

敗戦後、旧柏飛行場の一部は緊急開拓地などへ転用されました。その後、朝鮮戦争を背景に旧飛行場一帯が米軍通信施設の候補となり、1955年に米軍柏通信所が開設されました。Camp Tomlinsonとも呼ばれ、約188haの大規模な通信施設でした。

占領期の日本社会全体についてはGHQ側から見た戦後日本、朝鮮戦争の経過については写真でたどる朝鮮戦争で詳しく扱っています。

米軍柏通信所は1979年8月14日に全面返還されました。旧飛行場は農地、米軍施設、都市開発へと用途が変わり、戦時中の地形や施設の多くが改変されました。一方、緑地や地中に燃料庫や掩体壕などが残りました。

1979年返還後、柏の葉の都市開発が進んだ

返還後の土地には都市公園、学校、国の研究施設、大学などが整備され、つくばエクスプレス開業後は柏の葉の都市開発が進みました。

柏市こんぶくろ池自然博物公園のこんぶくろ池
こんぶくろ池自然博物公園のこんぶくろ池。撮影:あばさー / Wikimedia Commons(Public Domain)

開発と公園整備の過程では遺構調査も進み、秋水燃料庫、掩体壕、誘導路関係遺構などの位置と構造が確認されました。都市化によって失われた部分と、調査によって保存対象となった部分が併存しています。

2010年から2025年公開まで|燃料庫の再調査と保存

2009年前後から柏飛行場跡、誘導路、掩体壕などの現地調査が進み、2010年には柏歴史クラブが柏の葉地域で秋水燃料庫を調査しました。1~5号と呼ばれる複数地点が確認されます。

2015年には柏市教育委員会が一部で試掘調査を行い、2022年に2号燃料庫の公開整備に向けた発掘・調査が進みました。2024年度には保存整備と安全対策が行われ、2025年に柏飛行場調査報告書Ⅰが刊行され、2号燃料庫の一般公開が始まりました。

柏飛行場調査報告書Ⅱは、秋水の開発、推進剤、生産・輸送、燃料庫の構造をまとめています。地域研究から行政調査、発掘、保存、公開へと段階的に研究成果が蓄積されました。

2026年現在の見学と平和学習

柏市公式「秋水と燃料庫」では、こんぶくろ池自然博物公園内の2基のうち1基を地中保存し、1基を整備して公開中と案内しています。現在の見学では、公園の自然環境の中に戦時中の特殊な推進剤施設が残る位置関係を確認できます。

同じ公園には旧柏飛行場の掩体壕も保存されています。燃料庫は推進剤を守る施設、掩体壕は航空機を空襲から守る施設です。流山・柏の葉の歴史散歩では、柏飛行場跡を含む現地の歩き方を紹介しています。

参考文献・確認先

  1. 柏市「秋水と燃料庫」
  2. 柏市「柏の戦跡」
  3. 柏市教育委員会『柏飛行場調査報告書Ⅰ』
  4. 柏市教育委員会『柏飛行場調査報告書Ⅱ』