葛飾区青戸の御殿山遺跡は、古墳時代前期の集落跡です。現在の東京低地には、かつて川が運んだ土砂による微高地が点在していました。御殿山遺跡では、そうした自然堤防の上に人々が暮らし、川で魚を捕り、畠で作物を育てていたことが発掘調査から分かっています。
御殿山遺跡はどこにあったのか
御殿山遺跡は、中川右岸の自然堤防上に位置します。自然堤防は、川が増水した際に流れの周辺へ砂や土が積み重なってできる、周囲より少し高い土地です。低地では比較的水に浸かりにくい場所として、人々の居住や耕作に利用されました。
葛飾区史は、御殿山遺跡を区内で確認されている古墳時代前期の重要な集落跡として紹介しています。弥生時代後期の土器も青戸で見つかっていますが、当時の住居の位置などを示す資料は限られています。古墳時代になると、御殿山遺跡では日常生活の具体的な痕跡が確認できます。
竪穴住居、土坑、溝が伝える集落
発掘調査では、竪穴住居跡のほか、土坑や溝などの遺構が見つかりました。竪穴住居は、地面を掘りくぼめて床を設け、屋根を架けた住まいです。住宅の構造や集落の範囲を考えるための資料になります。
御殿山遺跡は、川沿いの高まりを拠点とする古墳時代の生活を具体的に示しています。東京低地を考える際には、台地上の遺跡と異なる立地条件にも注目できます。
漁網用の環状土錘と中川の漁労
御殿山遺跡からは、環状土錘(かんじょうどすい)と呼ばれる円筒形の土製品が出土しました。漁網の下部に付ける重りとして使われた道具で、網を水中に沈める働きがあります。こうした道具が出土したことから、近くの川を利用した漁が暮らしの一部だったと分かります。
現在の中川は改修された河川ですが、当時の人々も水路や湿地の資源を利用していました。遺跡に残る小さな道具は、集落と川の関係を考える手がかりです。
畠の畝と農耕の痕跡
発掘調査では、自然堤防上から畠の畝の痕跡も見つかりました。土を盛った列が残ったことで、集落の近くで畠作が営まれていたことが確認されています。水田そのものの遺構は確認されていませんが、遺跡の西側の低地で稲作が行われた可能性も指摘されています。
御殿山遺跡に残された住居跡、環状土錘、畠の畝は、古墳時代前期の青戸で漁労と農耕を組み合わせた生活が営まれていたことを示す資料です。
葛西城跡と重なる青戸の歴史
青戸には、室町時代に上杉方の軍事拠点として築かれた葛西城の跡も残ります。同じ地域でも、古墳時代には自然堤防上の集落、室町時代には城、江戸時代には将軍の鷹狩りのための青戸御殿という異なる歴史が重なりました。
中世の城については、葛西城の歴史と青戸御殿で、享徳の乱から江戸時代までの変化を詳しく解説しています。
