明治16〜17年(1883〜1884)に作成された「五千分一東京図測量原図」は、江戸から近代都市へ移る東京を、建物、道路、河川・堀、寺社、官公署、学校、軍施設、邸宅、地形まで細かく記録した地図です。縮尺は1:5,000で、地図上の1センチメートルが実地の50メートルに当たります。
国土地理院「古地図コレクション」では資料番号1001〜1038として公開されています。1001〜1036が個別図、1037・1038が複数面をまとめた包括図です。このシリーズでは個別図を地域ごとにまとめ、東京を9地域に分けて読みます。地域ごとの記事を行き来すると、江戸の土地利用が明治初期にどのように組み替えられたのかを東京全体で比較できます。
五千分一東京図測量原図とは
国土地理院は「五千分一東京図測量原図」を明治16〜17年に作成された東京市中の地図として整理しています。国立国会図書館の都市地図案内では、作成主体を参謀本部陸軍部測量局、作成年を1883〜1884年、収録範囲を旧東京15区に北豊島郡高田村と南豊島郡下渋谷村を加えた範囲としています。
現在の23区全体を描いた地図ではありません。皇城を中心とする既成市街地と、その北西・南西の都市外縁を高い密度で記録した地図です。1889年の東京市成立より前に測量されているため、近代東京が制度・交通・土地利用の各面で形を整える途中の姿が残っています。
国立国会図書館が所蔵する複製版は36枚組です。一方、国土地理院の古地図コレクションでは個別図36点に包括図2点を加え、資料番号1001〜1038として参照できます。本シリーズでは国土地理院の資料番号を使います。
包括図で見る東京中心部
資料番号1037「東京 第1号」は皇城・大手町・番町・永田町側、1038「東京 第2号」は本郷・小石川・駿河台側の複数面を一続きで確認できる包括図です。個別図の境界をまたいで道路、濠、台地、谷、大規模敷地のつながりを追うのに向いています。


9地域と資料番号の対応
36枚の個別図を一枚ずつ別記事にすると、隣り合う地域のつながりが分かりにくくなります。本シリーズでは地理的な連続性を優先して9地域にまとめています。1018は1017側の範囲に含めて扱い、独立した地図として再掲していません。
| 回 | 地域 | 主な資料番号 | 解説記事 |
|---|---|---|---|
| ① | 浅草・上野・本所・御徒町 | 1001〜1004 | 浅草・上野・本所・御徒町を読む |
| ② | 日本橋・本所・深川 | 1005〜1008 | 日本橋・本所・深川を読む |
| ③ | 築地・石川島・越中島 | 1009〜1011 | 築地・石川島・越中島を読む |
| ④ | 本郷・小石川・駿河台 | 1012〜1015、1038 | 本郷・小石川・駿河台を読む |
| ⑤ | 皇城・大手町・永田町・八重洲 | 1016・1017・1019・1020、1037 | 皇城・大手町・永田町・八重洲を読む |
| ⑥ | 木挽町・芝・愛宕 | 1021〜1024 | 木挽町・芝・愛宕を読む |
| ⑦ | 高田・小日向・牛込 | 1025〜1028 | 高田・小日向・牛込を読む |
| ⑧ | 番町・紀尾井町・四谷・青山 | 1029〜1032 | 番町・紀尾井町・四谷・青山を読む |
| ⑨ | 赤坂・麻布・広尾 | 1033〜1036 | 赤坂・麻布・広尾を読む |
地図を見るときの5つのポイント
- 大きな敷地:旧大名屋敷、官庁、軍施設、学校、病院、寺社、公園などの転用を追います。
- 川・堀・運河:日本橋、本所、深川、築地、芝では、水路が物流と市街地形成を支えています。
- 台地・谷・坂:本郷、小石川、牛込、四谷、赤坂、麻布では、高低差が道路と土地利用を左右します。
- 鉄道と新しい都市施設:上野周辺の鉄道、公園、博覧会施設、官設の試験・医療施設など、明治国家の新しい機能を探します。
- 市街地の密度:日本橋や神田の密集市街と、高田・広尾・下渋谷の郊外的景観を比べると、当時の都市の縁が分かります。
9地域は同じ性格の街ではなかった
浅草・上野では寺社地が公園制度や博覧会、鉄道と結びつきます。日本橋・本所・深川では江戸以来の商業と水運が続き、兜町では近代金融が形成され始めます。築地・石川島・越中島では海岸線、河口、島、軍事・港湾的土地利用が近接します。
皇城・大手町・永田町では江戸の政治中枢が皇室・政府・軍の空間へ再編されました。本郷・小石川・駿河台では広い武家地が教育・医療の用地となり、木挽町・芝・愛宕では水路、商業地、寺社地、公園が短い距離で切り替わります。
西側の牛込・四谷・青山・赤坂・麻布では、大規模な武家地、寺社地、台地と谷、郊外的な土地利用が強く残ります。高田村や下渋谷村まで視野に入れると、1880年代の東京では高密度な市街地と農村的景観が近接していたことが分かります。
江戸の土地は明治にどう使い直されたのか
五千分一東京図で追いやすい変化の一つが、広い武家地の転用です。幕府や大名の支配が終わると、まとまった敷地は官庁、軍施設、学校、病院、皇族・華族や官僚の邸宅、公園などへ使い直されました。道路や濠が残ったまま利用主体だけが変わる場所もあれば、敷地の分割や新道の開設が進む場所もあります。
上野・浅草・芝では寺社境内が明治6年(1873)の公園制度と結びつきました。本郷では旧加賀藩邸をはじめとする広い武家地が近代教育・研究の用地へつながり、皇城周辺では大名屋敷街が官庁・軍用地へ変わります。江戸の都市構造を消して一から造り直したのではなく、既存の土地の形を利用しながら新しい機能を入れた例が多く見られます。
水の東京を読む
現在の東京では埋め立てられた堀や水路が多いため、明治地図では街の印象が大きく変わります。日本橋川、神田川、隅田川だけでなく、本所・深川の堀割、木挽町周辺の水路、築地・石川島・越中島の海岸線や浅洲まで連続して追えます。
水路は景観ではなく交通・物流の基盤でした。河岸と倉庫、橋と町場、大規模施設の船着き場を一緒に見ると、道路中心の現代とは異なる都市の動き方を理解できます。
軍用地・官有地が都市に組み込まれる
明治初期の東京では軍事・行政機能が一か所に集まっていたわけではありません。皇城周辺の中枢部だけでなく、本所、牛込、赤坂・麻布方面などにも軍関係の土地利用が現れます。江戸期の大きな屋敷地を利用しやすかったことが、施設配置の背景の一つです。
官庁、軍施設、病院、試験施設、学校を地域横断で追うと、明治政府が必要とした新しい都市機能が、江戸の街区の上へどのように配置されたのかを比較できます。
現在の東京に置き換えると
| シリーズの主な地域 | 現在のおもな区 |
|---|---|
| 浅草・上野・御徒町 | 台東区 |
| 本所 | 墨田区 |
| 深川・越中島 | 江東区 |
| 日本橋・築地・八重洲 | 中央区 |
| 皇城・大手町・番町・駿河台 | 千代田区 |
| 本郷・小石川・小日向 | 文京区 |
| 牛込・四谷 | 新宿区 |
| 芝・愛宕・赤坂・麻布・青山 | 港区 |
| 高田 | 豊島区周辺 |
| 下渋谷村 | 渋谷区周辺 |
江戸・明治・大正を重ねて読む
幕末の江戸を読むなら、尾張屋版江戸切絵図には大名屋敷、旗本屋敷、寺社、町人地、街道、水路が描かれています。そこから約30年後の五千分一東京図では、同じ場所に官庁、軍施設、学校、公園、鉄道などが入り始めます。さらに大正期の15区図では、番地、市街地、鉄道、工場、金融・商業施設が増え、近代都市として成熟した東京を確認できます。
尾張屋版江戸切絵図 全29図を徹底案内 → 五千分一東京図測量原図 → 大正東京15区を古地図で読む 完全ガイドの順に同じ地域を追うと、幕末から大正までの土地の履歴を比較できます。
どの記事から読むか
寺社と公園なら①、商業・金融と水運なら②、東京湾岸と島・河口なら③、教育・医療と地形なら④、皇城と国家中枢なら⑤、水路と芝公園なら⑥、市街地の外縁と坂・谷なら⑦、旧武家地の再編なら⑧、麻布・赤坂の邸宅地と郊外化なら⑨が入口になります。
各地域の記事では、地図上の小さな施設名、寺社、旧大名屋敷、邸宅、軍施設、学校、病院、工場、鉄道、橋、河川、堀、坂、谷などを順次詳しく読み解いていきます。

