板橋区成増五丁目の菅原神社台地上遺跡は、旧石器時代から古代までの人々の活動を伝える遺跡です。平成5年(1993)、都営住宅の建て替えに伴って大規模な発掘調査が行われました。特に旧石器時代の硬質頁岩(こうしつけつがん)製石器には、遠く山形県周辺との石材のつながりを考えるうえで貴重な資料が含まれています。
白子川に近い台地の遺跡
遺跡は成増5丁目の菅原神社付近、白子川とその支流に囲まれた台地に広がります。低地を見下ろす台地には、異なる時代の集落や人々の活動の跡が残されていました。現在は住宅地として利用される場所を含み、発掘によって地中の遺物や建物跡が記録されています。
平成5年の調査では、旧石器時代の石器に加え、弥生時代の住居跡を中心とする遺構、古代の資料なども発見されました。同じ土地で人々の活動が重なった時期を、地層と出土品の組み合わせからたどることができます。
1993年の発掘と石器ブロック
旧石器時代の調査では、立川ローム層の複数の層から石器がまとまって発見されました。板橋区の文化財審議資料には、石器ブロック31か所、礫群15か所、土坑1基が確認されたと記されています。石器ブロックとは石器やその製作時に生じた石片が集まった範囲で、人々が道具を作り使った場所を調べる手がかりになります。
旧石器時代の石器は土器より古い時代の道具で、石を打ち欠いて鋭い刃を作ったものなどがあります。地層ごとの石器の分布と製作技法を比較すると、一つの遺跡でも利用された時期や活動内容の違いが見つかります。
山形産の可能性がある硬質頁岩
発掘された石器のうち355点は、山形産の可能性が非常に高い硬質頁岩を素材としていたと評価されています。硬質頁岩は、薄く割れる性質を利用して刃を持つ石器を作る材料です。板橋を含む南関東では比較的珍しい石材で、遠方から持ち込まれた可能性が検討されました。
石器の材料をどこで採り、どのように運んだかを調べると、旧石器時代の人々が活動した範囲を考えることができます。材料は原石に近い形で運び込まれたとみられていますが、移動の詳しい経路は出土品の比較によって研究されています。
弥生時代後期の集落
この遺跡では、弥生時代後期の住居跡も数多く見つかりました。竪穴住居や掘立柱建物、土器などの発掘成果から、台地上でまとまった集落が営まれたことが分かります。旧石器時代の石器製作の痕跡と、弥生時代の農耕社会の集落は、同じ場所の異なる時代の歴史を伝えています。
調査の成果は東京都埋蔵文化財センターの『菅原神社台地上遺跡』などにまとめられました。旧石器時代の資料のうち673点は、板橋区の登録有形文化財(考古資料)として保存されています。住宅地の地下に残っていた資料が、区内の考古学研究に活用されています。
見学と成増のほかの遺跡
発掘地点は成増5丁目の住宅地に含まれ、出土した遺構を地表から常時見学できる場所ではありません。出土資料の展示や閲覧は、板橋区立郷土資料館などの公開情報で確認してください。
成増三丁目には、旧石器時代の石器が多数見つかった「成増との山遺跡」もあります。両遺跡を比べると、成増周辺の台地で長い時代にわたって人々が生活した歴史をたどれます。赤塚・成増周辺の歴史と文化財では周辺の寺社や遺跡も紹介しています。
参考資料
- 板橋区教育委員会「菅原神社台地上遺跡出土旧石器時代遺物」審議資料
- 板橋区『令和7年度版 板橋区文化財マップ』
- 東京都埋蔵文化財センター『菅原神社台地上遺跡』(1997年)
