赤羽駅の西口から坂を上っていくと、低地の駅前とは違う、空の広い住宅地が現れます。
整然と並ぶ新しい高層住宅の向こうに、年月を重ねた住棟、成長した樹木、広場、商店、学校、公園が見えます。道路の幅や建物の向きが途中で変わり、工事用の囲いと空地が、町の建替えが続いていることを伝えています。
ここが、東京都北区の桐ケ丘団地です。
北区のまちづくり資料によれば、建替え前には5,020戸、146棟に達した巨大な都営住宅でした。建設は1954年度から1976年度まで続き、1996年度からは六期に分けた建替えが進められています。
団地用地は旧軍用地でした。敗戦後、深刻な住宅不足に対応するため住宅地へ転用され、若い家族が暮らす町になりました。学校、商店、自治会、広場も整えられ、何千世帯もの日常を支えました。
同じ時期に入居した世代と住棟は、数十年後に一緒に高齢期を迎えました。
現在は、商業、医療、福祉、交流、防災の機能を備えた「生活の中心地」の整備と、学生や外国籍住民を含む多世代化が進められています。
30秒で分かる桐ケ丘団地
桐ケ丘団地は、東京都北区桐ケ丘一・二丁目を中心に広がる大規模な都営住宅です。
団地用地は旧軍用地で、戦後の深刻な住宅不足に対応するため、公営住宅用地へ転用されました。
建替え前の団地は、1954年度から1976年度にかけて建設され、5,020戸、146棟に達しました。学校、商店、広場、自治会を備え、一つの町として成長しました。
2020年国勢調査の東京都町丁別報告では、桐ケ丘1丁目の65歳以上人口割合は58.9%でした。
建替えは1996年度に始まり、六期に分けて進められています。住棟の高層化で生まれた土地では、道路、公園、公共施設、商業、医療、福祉、交流機能を組み直す計画が進んでいます。
建替え後の自治会には学生が入居し、外国籍住民も増えています。
全体像を年表で見る
- 1945年:敗戦により旧軍用地の役割が終わり、深刻な住宅不足への対応が課題になる
- 1954年度:都営桐ケ丘団地の建設が始まる
- 1976年度:建替え前の団地建設が一区切りし、5,020戸・146棟に達する
- 1996年度:六期に分けた段階的な建替えが始まる
- 2018年:建替えに伴い桐ケ丘114自治会が再編される
- 2023年4月:東京都の高齢化対策の一環として東洋大学の学生が入居を始める
- 2024年10月~2025年2月:「生活の中心地」の事業予定者選定と基本協定締結
- 2026年度~2027年度:「生活の中心地」は着工・完成を予定
- 2028年秋ごろ:「(仮称)桐ケ丘区民センター」は竣工を予定
桐ケ丘団地はどこにあるのか
桐ケ丘一・二丁目は、赤羽駅の西側約700メートル、北赤羽駅から約500メートルの位置にあります。
荒川に近い低地ではなく、武蔵野台地の北東部にあります。赤羽駅周辺から歩くと坂を上るため、地図上の距離だけでは分からない高低差があります。
地区の面積は約47.3ヘクタールで、東京ドームおよそ10個分に近い広さです。住宅だけでなく、学校、公園、道路、商店、集会施設等を含みます。
現在は、建替え前の配置を伝える場所、新しい高層住棟、工事中の区域、創出された空地、中央公園、商店、学校、福祉施設が隣り合っています。
旧軍用地だった桐ケ丘
現在の桐ケ丘団地がある赤羽、十条、王子周辺は、明治から昭和前期にかけて陸軍施設が集まった地域でした。
東京中心部に近く、鉄道と水運を利用しやすく、広い土地を確保できたため、兵器、被服、火薬、倉庫、輸送に関係する施設が置かれました。北区は「軍都」と呼ばれるほど、近代日本の軍事と結びついていきました。
この地域には、兵士の衣服や装備を扱う被服廠をはじめ、複数の軍事施設が存在しました。
旧軍施設の敷地境界は時期によって変化し、現在の町丁目との対応関係は複雑です。桐ケ丘団地全域を一つの特定施設の跡地とする見方は、当時の土地利用とずれます。
1945年の敗戦後、軍事施設は役割を失いました。一方、東京では空襲で多くの住宅が焼失し、復員、引き揚げ、結婚世帯の増加、地方からの人口流入が重なりました。広大な旧軍用地は、住宅不足に対応する用地となりました。

1945~1950年の空中写真には、後の巨大団地とは異なる土地の状態が写っています。後年の整然とした道路と住棟を比べると、軍事用地から住宅地への転換が分かります。
赤羽、十条、王子に残る旧軍用地の痕跡は、「23区最大の軍都と呼ばれた北区の軍用地跡を散策」でも現地写真とともに紹介しています。
5,020戸の巨大団地が生まれた
東京都は旧軍用地を活用し、桐ケ丘で大規模な公営住宅の建設を進めました。
建設は1954年度に始まり、1976年度まで続きました。住宅需要の増加に対応しながら住棟が加えられ、建替え前には5,020戸、146棟に達しました。

1961~1969年の空中写真では、多数の住棟と道路が現れ、旧軍用地が住宅の町へ変わりつつある様子を確認できます。
当時の都営住宅には、現在から見れば小さな住戸や階段だけの住棟も多くありましたが、上下水道、台所、採光、一定の間取りを備えた新しい住まいでした。空襲で家を失った人や、間借りや狭い住宅で暮らしていた家族の生活を支えました。
都営住宅は、住宅確保に困難を抱える低所得世帯等へ住宅を供給する制度です。日本住宅公団が造った公団住宅や、東京都住宅供給公社の住宅とは、運営主体と入居制度が異なります。一方、短期間に多数の住戸を供給し、同じ年代の若い世帯がまとまって入居した点には共通性があります。
団地の成立、2DK、住棟配置、スターハウス、建替えの基礎は、「団地まるわかりガイド」で詳しく解説しています。
学校・商店・自治会を備えた一つの町
若い家族が増えると、学校、食料を買う店、診療を受ける場所、住民が集まる施設が必要になります。
団地内と周辺には、学校、幼稚園・保育施設、商店、集会所、公園等が整えられました。住棟の間には緑地や広場が設けられ、子どもの遊び場や住民の交流場所になりました。
自治会は、清掃、祭り、防災、見守り、行政への要望等を担います。

1974~1978年の空中写真では、建替え前の巨大団地がほぼ完成した時期の密集した住棟配置を確認できます。
団地は戦後の住宅不足を受け止め、何千世帯もの生活を安定させました。同じ時代に同じ世代が集中したことは、数十年後の高齢化にもつながりました。
なぜ住民と建物が同時に高齢化したのか
桐ケ丘団地には、建設当時、若い夫婦や子育て世帯が数多く入居しました。
同じ時期に入居した住民は、同じような速度で年齢を重ねます。子どもは進学、就職、結婚を機に団地を離れ、親世代は長年暮らした団地に住み続けました。
住宅も同じ年月を重ねました。階段だけの中層住棟では外出が難しくなり、玄関、浴室、室内の段差、狭い間取り、古い配管、耐震性、防災設備も長期居住に対応しにくくなります。住民と建物が同時に老いることで、生活上の負担が大きくなる状態が「同時高齢化」です。
2020年国勢調査の東京都町丁別報告では、桐ケ丘1丁目の65歳以上人口割合は58.9%でした。北区の2022年1月資料では、桐ケ丘一・二丁目を合わせた高齢化率が約57.6%と示されています。二つは対象と時点が異なり、それぞれ別の範囲を示す数値です。
「限界集落」は、共同活動や生活機能の維持状況まで含む概念です。
階段、買い物先までの距離、自治会活動の担い手、災害時の支援などの課題に、住宅と地域の仕組みで対応する必要があります。都営住宅には、高齢者、ひとり親世帯、障害のある人等の住まいを支える役割もあります。
戦後の入居時期、子世代の転出、長期居住、公営住宅の福祉的役割、建物の老朽化が重なった結果です。
都市型限界集落という言葉の注意点と東京23区内の比較は、「東京にも限界集落がある?23区の高齢化率50%超地域と都市型限界集落の実態」で詳しく説明しています。
1996年度から続く六期の建替え
桐ケ丘団地の建替えは、1996年度に始まりました。
5,020戸、146棟の団地は、住民の移転先を確保しながら区域を分け、六期にわたって段階的に建て替えられています。
北区が2022年に公表した資料では、建設中を含め約3,500戸の建替えが進み、約1,500戸が今後の予定として整理されていました。
建替えにより、耐震性、エレベーター、バリアフリー、断熱、配管、防災設備等を改善できます。古い中層住棟を高層化して集約すると、生まれた土地を道路、公園、公共施設、商業・福祉施設等へ活用できます。
建替えには住民の負担もあります。
- 仮移転と戻り入居
- 引っ越しの負担
- 住棟番号や生活動線の変化
- 長年の隣人関係の変化
- 商店の営業継続
- 成長した樹木や広場の扱い
- 工事期間中の騒音と通行
長期建替えでは、住民が地域との関係を保てるか、工事中も生活サービスを利用できるかが課題になります。
自治会と学生入居|共同体は消えていない
建替え後の桐ケ丘114自治会は、2018年に再編されました。
北区の桐ケ丘114自治会紹介によると、長年の居住者に加え、2023年4月から東洋大学の学生が入居しています。これは、東京都が進める都営住宅の高齢化対策の一環です。
外国籍住民の入居も増えています。
桐ケ丘114自治会では、防災炊き出し訓練、夜間パトロール、清掃、健康行事等が行われています。
商店と日常生活をどう支えるのか
桐ケ丘団地は地区が広く、高低差もあるため、高齢者には店やバス停までの数百メートルが負担になることがあります。
北区のまちづくり資料では、商店の空き店舗や、地区によって日常の買い物先まで距離があることが課題として示されています。2021年12月からは移動販売も始まりました。
- 重い物を運べるか
- 雨や猛暑の日に歩けるか
- 薬を受け取れるか
- 介護相談と診療を近くで利用できるか
- 店へ行くことが人と会う機会になっているか
団地建設時の商店は、当時の人口構成と消費行動に合わせて造られました。世帯人数が減り、自動車利用や大型店、宅配、インターネット通販が広がると、従来の商店だけで生活を支えることは難しくなります。
近隣の店が失われれば、歩いて暮らす高齢者の生活は不便になります。団地再生では、日常生活をどの距離で完結できるかも課題です。
「生活の中心地」をつくる現在の計画
東京都住宅政策本部は、桐ケ丘一丁目の建替えで生まれた土地を活用し、「生活の中心地」をつくるまちづくりプロジェクトを進めています。
2024年10月に事業予定者が選定され、2025年2月に基本協定が締結されました。
東京都の2026年4月24日更新ページによれば、事業者グループは「通う・集う・つながる桐ケ丘プロジェクト」で、構成員はイオンリテール株式会社(代表企業)、株式会社大本組、株式会社あい設計です。
計画では、次の機能が提案されています。
- スーパーマーケット
- 日用品販売
- 飲食
- 調剤薬局
- 通所介護
- 介護相談
- フィットネス
- 診療所
- 訪問型サービス
- 屋内外の交流空間
- 災害時にも活用できる緑地
- 既存商店の営業継続を支える区画
予定では2026年度に着工し、2027年度に完成するとされています。2026年7月20日時点の公表予定で、個々の店舗や医療・福祉機能には事業者提案を含みます。
北区は、近隣の公共施設を複合化する「(仮称)桐ケ丘区民センター」の整備も進めています。2025年秋の説明資料では、2026年度秋ごろに新築工事の説明会を行い、2028年秋ごろの竣工を予定しています。
桐ケ丘団地を歩いて歴史を読む
赤羽駅西側の坂
赤羽駅から団地へ向かう坂では、低地と武蔵野台地の高低差を体感できます。高齢者の日常移動では、地図上の直線距離だけでなく高低差も負担になります。
建設年代の異なる住棟
古い配置を伝える区域、新しい高層住棟、工事区域を見比べます。階段、エレベーター、建物の高さ、住棟間隔、玄関への動線に、住宅政策の変化が表れています。
桐ケ丘中央公園と緑地
住棟間の空間は、子どもの遊び、高齢者の休憩、防災、通り抜け、地域行事に使われます。住棟の高層化で生まれた地上空間の使い方も、建替えの要点です。
商店と生活施設
店の数だけでなく、住棟からの距離、坂、ベンチ、歩道、バス停、診療・福祉施設との位置関係を確認できます。
旧軍用地の痕跡につながる道
北区には、軍用鉄道跡を利用した道や、軍事施設の配置に由来する土地利用が残っています。
桐ケ丘から赤羽、十条、王子の旧軍用地跡へ歩くと、軍事都市から住宅都市へ変わった北区の歴史をたどれます。
桐ケ丘団地が東京の未来へ問いかけるもの
桐ケ丘団地で起きた住民と住宅の同時高齢化は、高度経済成長期に短期間で造られ、同じ年代の世帯がまとまって入居した全国の団地、ニュータウン、戸建住宅地でも起こり得ます。
同じ時期に入居した世代と住棟が一緒に年を重ねる点は、旧日本住宅公団系の高島平団地にも見られます。ただし、桐ケ丘は都営住宅で、運営主体と入居制度が異なります。旧軍用地から住宅・公園へ転換した光が丘の歴史と比べると、返還過程と都市計画に違いがあります。
住宅不足の時代には供給戸数が主要な課題でした。現在は、次の課題が加わっています。
- 高齢者が安全に住み続けられるか
- 若い世帯が一時的ではなく定着できるか
- 学生、外国籍住民、単身者、子育て世帯が孤立しないか
- 商業、医療、福祉を歩ける範囲で利用できるか
- 自治会と防災を一部の住民だけへ背負わせないか
- 建替えで失われる人間関係や緑をどう引き継ぐか
- 新しい施設を完成後も運営できるか
よくある質問
桐ケ丘団地はいつ造られたのですか
桐ケ丘団地の建替え前の住棟は、1954年度から1976年度にかけて建設され、20年以上をかけて5,020戸、146棟に達しました。
桐ケ丘団地は旧軍施設の跡地ですか
団地用地は旧軍用地です。
赤羽、十条、王子周辺には、陸軍の被服、兵器、火薬、倉庫等に関係する複数の施設がありました。施設ごとの境界は複雑で、団地全域を一つの施設の跡地とする見方には、当時の土地利用とのずれがあります。
桐ケ丘団地は限界集落なのですか
「都市型限界集落」は、高齢化の状況を表す通称として使われています。
2020年国勢調査で桐ケ丘1丁目の高齢化率が58.9%となり、いわゆる「都市型限界集落」の例として報じられました。この言葉は、高齢化率に加え、共同活動や生活機能の維持状況も含めて使われます。
建替えはいつから始まったのですか
建替えは1996年度に始まり、六期に分けて進められています。
大規模団地のため、住民の移転先を確保しながら、長期間にわたり段階的に実施されています。
学生が都営住宅に住んでいるのですか
北区の公式紹介によると、桐ケ丘114自治会の区域では、東京都の高齢化対策の一環として、2023年4月から東洋大学の学生が入居しています。
学生入居は、多世代が同じ住宅で暮らし、地域活動を組み直す試みの一つです。
桐ケ丘団地を見学できますか
公道、公園、公開された商店・施設を歩いて見学できます。
まとめ
桐ケ丘団地は、旧軍用地を転用し、1954年度から1976年度に5,020戸、146棟の都営住宅として建設されました。同時期に入居した住民と住棟の高齢化を受け、1996年度から六期に分けた建替えが続いています。
現在は、学生入居や外国籍住民の増加、「生活の中心地」と区民センターの整備計画を通じて、住宅、商業、医療、福祉、交流、防災を組み直しています。
関連記事:
参考文献・参考サイト
- 北区「桐ケ丘団地のまちづくりについて」
- 北区「桐ケ丘一・二丁目地区の新しいまちづくり」説明資料
- 東京都住宅政策本部「北区桐ケ丘一丁目地区まちづくりプロジェクト」
- 北区「桐ケ丘114自治会」
- 北区「(仮称)桐ケ丘区民センター」
- 北区立図書館「地域資料(旧軍関係施設)」
- 北区『新修北区史』
- 北区『北区史 通史編 近現代』
- 昭和館デジタルアーカイブ「桐ケ丘三十五年史」
- 東京都総務局統計部「令和2年国勢調査 東京都区市町村町丁別報告」
- 総務省統計局「令和2年国勢調査 結果」
- 国土地理院「地理院タイル一覧」
- 国土地理院「コンテンツ利用規約」
- Flickr「桐ヶ丘団地 Kirigaoka Danchi」
- 楽待新聞「スーパーも遠い…東京23区の限界集落『桐ケ丘団地』を歩いて見えたこと」(現地取材の比較資料。主要事実は公的資料で確認)
事実確認:2026年7月20日

