「倒産」は、会社や個人が支払いを続けられなくなり、事業や財産、債務の整理が必要になった状態と、その処理を広く指す言葉です。法律上は破産・民事再生・会社更生・特別清算など複数の手続があります。会社の事業やブランド、工場、雇用が残る場合もあります。現在の日本には、財産を換価して清算する手続と、債務を調整しながら再建を目指す手続が併存しています。
- 倒産とは何か|会社がなくなることとは限らない
- 江戸時代にも倒産処理があった|身代限と分散
- 明治政府は西洋型の破産制度を導入した
- 1922年の破産法・和議法|清算と再建を分ける仕組みへ
- 1927年、鈴木商店の行き詰まりが金融恐慌を深めた
- 戦後、「会社を残して立て直す」制度が本格化した
- 山陽特殊製鋼|会社更生法で会社を残した代表例
- バブル崩壊後、倒産は金融システム全体の問題になった
- 1997年、銀行・証券会社まで倒れた|北海道拓殖銀行と山一證券
- 2000年代、倒産法制は「早く再生する」方向へ再編された
- JALは「倒産しても事業は続く」を見せた
- 現代の企業再生|裁判所だけでなく私的整理も使われる
- 企業が倒産すると、株主・従業員・取引先・債権者はどうなる?
- 倒産の歴史を年表で振り返る
- 「財産を取り上げて終わり」から「再出発をつくる制度」へ
- 参考資料
倒産とは何か|会社がなくなることとは限らない
裁判所が案内する代表的な法的倒産処理には、破産、民事再生、会社更生、特別清算があります。破産は債務者の財産を金銭に換えて債権者へ配当する清算型の手続です。民事再生と会社更生は、債務の返済条件を組み替え、事業や経済生活の再建を目指す再建型の手続です。特別清算は、解散後の株式会社を裁判所の監督下で清算する手続です。
| 手続 | 基本的な性格 | 主な対象・特徴 |
|---|---|---|
| 破産 | 清算型 | 財産を換価して債権者へ配当する |
| 民事再生 | 再建型 | 法人・個人が幅広く利用でき、再生計画に沿って再建する |
| 会社更生 | 再建型 | 株式会社を対象に、更生管財人と更生計画のもとで事業の維持更生を図る |
| 特別清算 | 清算型 | 解散後清算中の株式会社を裁判所の監督下で清算する |
裁判所を使わず、金融機関などの債権者と合意して返済条件や債務を整理する「私的整理」もあります。スポンサーから資金を受ける、事業を別会社へ譲渡する、M&Aで経営主体を替えるといった方法も組み合わされます。清算と再建のどちらが債権者や事業にとって合理的かによって、選ばれる処理は変わります。
江戸時代にも倒産処理があった|身代限と分散
江戸時代には、借金を返せなくなったときの処理として身代限と分散が用いられました。
身代限は、債権者の訴えなどを経て、債務者の財産を差し押さえ、売却して弁済に充てる強制執行としての性格が強い制度でした。これに対して分散は、多数の債権者がいる債務者の財産をまとめて処分し、債権者へ配分する倒産処理として用いられました。帝国データバンク史料館が紹介する江戸期の史料からも、複数債権者を前提に財産を整理する実務が確認できます。
身代限と分散は性格の異なる制度です。現代の破産との制度上の対応も限定的です。江戸期には、財産を処分した後も残債が続く場合があり、債務者は残った債務を負い続けました。財産処分と債務からの解放が別の問題だったことが、後世の制度改革につながります。
明治政府は西洋型の破産制度を導入した
明治政府は1872年(明治5年)の華士族平民身代限規則などで、身代限を含む債務処理の法整備を進めました。その後、日本の商取引を近代的な法体系へ組み込む過程で、西欧の破産法制を参照した制度が導入されます。
1890年(明治23年)に公布された旧商法には破産編が置かれ、商人を中心に破産を扱う制度が設けられました。旧商法は施行延期や一部施行を経ています。1899年(明治32年)に新しい商法が施行された後も旧商法の破産編は残り、1923年に新しい破産法が施行されるまで存続しました。現在の破産法制へ至る過程は、1890年、1899年、1922~1923年の複数段階にまたがります。
法制史では、旧商法の破産制度にはフランス法系の影響が強く、商人を中心とする破産制度から出発したと整理されています。江戸期の身代限や分散をそのまま近代化したのではなく、外国法を参照しながら日本の経済社会に合わせて制度を再設計した時代でした。
1922年の破産法・和議法|清算と再建を分ける仕組みへ
1922年(大正11年)、破産法(法律第71号)と和議法(法律第72号)が公布され、1923年から施行されました。破産法は、商人に限らず一般に適用される清算型手続を整備しました。国会審議でも、旧破産法はドイツ法系を参照した制度として説明されています。
同時に整備された和議法は、すべての財産を清算する前に、債権者と返済条件を調整して立て直しを目指す制度でした。オーストリア法系の制度を参照したもので、清算型の破産と再建型の和議を分けて用意した点に意味があります。現在の民事再生法とは仕組みが異なりますが、「事業を残す」という発想が法制度の中に明確に置かれました。
1927年、鈴木商店の行き詰まりが金融恐慌を深めた
大正期から昭和初期の企業破綻を象徴するのが鈴木商店です。鈴木商店は、金子直吉の経営のもと、第一次世界大戦期に貿易、製造、金融へ急速に事業を広げ、三井・三菱に並ぶほどの規模へ成長しました。戦後の反動不況で市況が悪化すると、膨張した事業と資金需要が重荷になり、台湾銀行への依存が強まりました。

1927年の昭和金融恐慌には、関東大震災後の震災手形処理や銀行経営への不安が背景にありました。鈴木商店の資金繰り悪化と台湾銀行の問題は、その危機をさらに深めました。大企業の信用不安が主要取引銀行へ波及し、銀行不安が企業の資金繰りをさらに悪化させる連鎖が起きました。金融危機が制度や経済政策を変えてきた流れは、「経済危機は経済学をどう変えた?」でも詳しく扱っています。
鈴木商店では、法的整理の開始後も債権者との示談と債務整理が進められました。鈴木商店記念館によれば、破産宣告を受けずに債務を弁済し、1933年に解散しました。事業の一部は日本商業、のちの日商へ引き継がれました。企業の経営破綻と法的な破産が異なることを示す例です。
戦後、「会社を残して立て直す」制度が本格化した
戦後の大きな転換は1952年です。会社更生法が制定され、窮境にある株式会社について、更生管財人と更生計画のもとで利害関係を調整し、事業の維持更生を図る制度が整いました。戦後の会社更生制度は、米国の企業再建法制を参照して導入されたと国会審議でも説明されています。
同じ年には破産法と和議法が改正され、個人破産に免責制度が導入されました。財産を処分した後も債務を長く背負い続ける仕組みから、一定の要件のもとで残った債務の責任を免れ、経済生活を立て直せる方向へ制度が変わりました。会社については事業価値を残す再建、個人については生活の再出発という二つの面で、倒産処理の目的が広がった時期です。
山陽特殊製鋼|会社更生法で会社を残した代表例
高度経済成長期には、会社更生法が大企業の再建に使われる事例が現れました。山陽特殊製鋼は1965年に会社更生法の適用を申請し、上場廃止となりました。設備投資を急拡大したところへ証券不況が重なり、資金繰りが行き詰まりました。

会社更生手続中も事業は続きました。山陽特殊製鋼の公式沿革には、1966年に国鉄から新幹線用軸受鋼を受注したことが記録されています。1973年には更生手続が終結しました。株式上場はいったん失われても、工場、技術、取引、従業員を含む事業そのものが残り、再び企業として成長する余地があったのです。
バブル崩壊後、倒産は金融システム全体の問題になった
1980年代後半の資産価格上昇と1990年代のバブル崩壊は、企業と金融機関の双方に大量の不良債権を残しました。地価や株価の上昇を前提にした融資や投資が崩れると、借り手企業が返済できなくなり、貸し手である銀行の財務も悪化しました。
この構造は、個別企業の倒産を金融システム全体の安定問題へ変えました。貸し手の銀行まで経営危機に陥ると、健全な企業への融資も縮み、信用不安が経済全体へ広がります。バブル形成から不良債権問題までの流れは、「戦後日本の成功はなぜバブルと長期停滞を生んだのか」で背景を詳しく整理しています。
1997年、銀行・証券会社まで倒れた|北海道拓殖銀行と山一證券
1997年11月、北海道拓殖銀行が経営破綻し、続いて山一證券が自主廃業を発表しました。銀行と大手証券会社の経営行き詰まりは、預金者や証券顧客だけでなく、金融市場全体の信用に直結する問題でした。

日本銀行は北海道拓殖銀行と山一證券の経営破綻に際して、信用秩序を維持するため特別融資を実施しました。山一證券について当時の日銀総裁は、多数の顧客を抱える大手証券の自主廃業が市場取引や金融システムへの信認を損なう危険を説明しています。山一證券は自主廃業後に会社を整理し、1999年には破産申立てを前提に日銀特融の取り扱いが決められました。
北海道拓殖銀行は受け皿銀行への事業譲渡を軸に処理され、山一證券は自主廃業から破産手続へ進みました。両社の処理形態は異なります。金融機関の破綻では、預金、顧客資産、決済、金融市場の安定まで政策課題になります。
2000年代、倒産法制は「早く再生する」方向へ再編された
1990年代の金融危機と企業倒産の増加は、戦前から残っていた制度の使いにくさを浮き彫りにしました。国会審議では、破産法、和議法、会社更生法などが異なる外国法を母法とし、制定時期も違うため、制度全体が複雑で使いにくいとの指摘があったと説明されています。
1999年に民事再生法が成立し、2000年4月1日に施行されました。使いにくいとされた和議法に代わり、株式会社に限らず法人や個人も利用できる一般的な再建手続が整いました。2002年には会社更生法が全面改正され、2003年4月1日に施行されます。従来の会社更生は手続が厳格で時間がかかるという批判があり、再建をより合理的かつ機動的に進める方向へ改められました。
さらに2004年には新しい破産法が成立し、2005年1月1日に施行されました。2000年代の改革は、清算と再建の双方を現代の経済活動に合わせて組み直し、倒産処理にかかる時間や事業価値の毀損を小さくする流れとして位置づけられます。
JALは「倒産しても事業は続く」を見せた
2010年1月19日、日本航空、日本航空インターナショナル、ジャルキャピタルの3社は東京地方裁判所へ会社更生手続の開始を申し立て、同日に開始決定を受けました。航空会社としての運航は止めず、更生手続と企業再生支援機構の支援を組み合わせて再建を進めました。

再建では、多額の債権放棄、100%減資、不採算路線からの撤退、人員削減、グループ会社の整理が行われました。企業再生支援機構は3,500億円を出資しました。2010年11月30日に更生計画が認可され、2011年3月28日に会社更生手続が終結します。2012年9月19日、日本航空は東京証券取引所へ再上場しました。
JALの再建では、会社・事業と旧株主の扱いに大きな差がありました。航空事業と日本航空という企業体は再建されましたが、旧株主の株式は100%減資で失効しました。会社が残ることと、旧株主の持分が残ることは別です。債権者、従業員、株主、顧客でも、倒産処理から受ける影響は異なります。
現代の企業再生|裁判所だけでなく私的整理も使われる
現在の企業再生では、破産や民事再生、会社更生といった法的整理に加え、金融機関との私的整理、スポンサー支援、事業譲渡、M&Aなどが組み合わされます。裁判所の手続は債権者全体を法的に拘束できる一方、私的整理は関係者の合意を基礎に進めるため、事案によって速度や柔軟性に利点があります。
事業に収益力や技術、顧客基盤が残っているなら、会社を清算して設備をばらばらに売却するより、事業を継続した方が債権者の回収額が大きくなることがあります。雇用や取引関係も維持しやすくなります。そのため、経営主体を替えながら事業を残す再生策が選ばれることがあります。
この局面ではPEファンドもスポンサーや買い手として登場します。PEファンドの仕組みそのものは「PEファンドとは何か」、日本で企業再生と結びついて広がった経緯は「日本にPEファンドはどう広がったのか」で詳しく解説しています。再生に成功するかどうかは、事業の競争力、債務削減、資金、経営改善など複数の条件に左右されます。
企業が倒産すると、株主・従業員・取引先・債権者はどうなる?
倒産の影響は、誰の立場から見るかで大きく変わります。典型的な違いを整理すると次のようになります。
| 関係者 | 破産など清算型 | 民事再生・会社更生など再建型 |
|---|---|---|
| 株主 | 会社価値が失われれば株式価値が大きく毀損し、消滅することもある | 減資や株式消却、スポンサーへの新株発行などで旧株主の持分が失われることがある |
| 従業員 | 事業終了に伴い雇用が失われることが多い | 事業継続で雇用が残る余地がある一方、人員削減や条件変更も起こり得る |
| 取引先 | 売掛金などの回収は配当の範囲に限られることがある | 債権カットを受けつつ取引継続が図られる場合がある |
| 銀行などの債権者 | 担保や財産の換価、配当により回収する | 返済猶予や債権カットを受け、再生後の返済や企業価値回復を見込むことがある |
| 顧客 | 事業停止で契約やサービス継続に影響が出ることがある | 営業継続やスポンサー支援によりサービスが続く場合がある |
| 経営者 | 事業から退くことが多い | 手続や責任の内容により続投・退任が分かれる |
実際の処理は、手続、担保、契約、財務状況、再生計画によって異なります。JALのように事業が続いても旧株式が失効する例もあれば、事業譲渡によってブランドや雇用の一部が別会社へ移る例もあります。
倒産の歴史を年表で振り返る
| 年 | 制度・出来事 |
|---|---|
| 江戸時代 | 身代限・分散などの債務処理が行われる |
| 1872年 | 華士族平民身代限規則 |
| 1890年 | 旧商法公布、破産編を置く |
| 1922年 | 破産法・和議法公布 |
| 1923年 | 破産法・和議法施行 |
| 1927年 | 昭和金融恐慌、鈴木商店が経営破綻 |
| 1952年 | 会社更生法施行、破産法改正で免責制度を導入 |
| 1965年 | 山陽特殊製鋼が会社更生法の適用を申請 |
| 1973年 | 山陽特殊製鋼の更生手続終結 |
| 1997年 | 北海道拓殖銀行・山一證券が経営破綻 |
| 2000年 | 民事再生法施行 |
| 2003年 | 新会社更生法施行 |
| 2005年 | 新破産法施行 |
| 2010年 | JALが会社更生手続開始 |
| 2011年 | JALの会社更生手続終結 |
| 2012年 | JALが東京証券取引所へ再上場 |
「財産を取り上げて終わり」から「再出発をつくる制度」へ
江戸時代には身代限や分散によって財産を処分し、債権者へ配る仕組みがありました。明治以降は西欧型の破産制度が入り、1920年代には清算型の破産と再建型の和議が分かれます。戦後は会社更生と個人の免責が導入され、倒産処理に「事業を残す」「生活を再出発させる」という目的が強く組み込まれました。
2000年代には民事再生法、新会社更生法、新破産法が整備され、現代では私的整理やスポンサー支援も使われます。倒産の歴史は、返せなくなった借金をどう終わらせるかという歴史であると同時に、残せる事業や生活をどう再建するかという制度の歴史でもあります。
参考資料
- 裁判所「破産・再生」
- 裁判所「会社更生・特別清算」
- 帝国データバンク史料館「江戸時代の倒産―分散―を読み解く」
- 国立国会図書館 日本法令索引「商法(明治23年法律第32号)」
- 国立国会図書館 日本法令索引「商法(明治32年法律第48号)」
- 国立国会図書館 日本法令索引「破産法(大正11年法律第71号)」
- 国立国会図書館 日本法令索引「和議法(大正11年法律第72号)」
- 国会会議録「第155回国会 参議院法務委員会 第11号」
- 衆議院「会社更生法(昭和27年法律第172号)」
- 衆議院「破産法及び和議法の一部を改正する法律(昭和27年法律第173号)」
- 鈴木商店記念館「金子直吉のお家再興に向けて」
- 山陽特殊製鋼「沿革」
- 日本銀行「信用秩序維持に資するための資金供給」
- 日本銀行「最近の金融経済情勢について」1997年12月12日
- 衆議院「民事再生法」
- 衆議院「破産法(平成16年法律第75号)」
- JAL「沿革 2001年~」
- JAL「沿革 2011年~」
- JAL「社長メッセージ」2012年9月19日

