旧赤塚村役場跡地の歴史|松月院に置かれた村役場と赤塚村自治記念碑

板橋区赤塚八丁目の松月院には、明治22年(1889)から昭和7年(1932)まで赤塚村の役場が置かれていました。門前には「旧赤塚村役場跡地」と「赤塚村自治記念碑」に関わる史跡が残っています。江戸時代の村を近代の町村制度へ組み替えた時期から、板橋区が成立するまでの地域行政を伝える場所です。

町村制によって成立した赤塚村

明治22年(1889)、町村制の施行によって板橋町、上板橋村、志村、赤塚村の一町三村が生まれました。赤塚村は赤塚の複数の旧村をまとめる自治体となり、村の予算や道路、学校、住民の生活に関わる事務を扱いました。

旧来の名主や組頭を中心とする村政と異なり、町村制の下では村長や村会などを通して自治体としての運営が進められました。農地や村落が広がっていた赤塚地域では、道路や学校の整備、土地に関する行政も重要な仕事でした。

役場になった松月院

赤塚村役場は村の成立から板橋区への編入まで、曹洞宗寺院の松月院に置かれていました。松月院は延徳4年(1492)に武蔵千葉氏の千葉自胤が寺領を寄進して中興したと伝えられる寺院です。江戸時代には将軍家から40石の寺領を与えられていました。

明治時代には、専用の役場庁舎が整う前に寺院の建物を行政事務に使う例が各地にありました。赤塚村では長く松月院を拠点に村政が行われ、宗教施設と地方行政が同じ土地で歴史を重ねました。

1932年に板橋区が成立

昭和7年(1932)10月、東京市の区域拡張により板橋区が成立しました。赤塚村は板橋町、上板橋村、志村とともに東京市へ編入され、独立した自治体としての役割を終えました。松月院に置かれた村役場の仕事も、新しい区の行政へ引き継がれました。

同じ一町三村のうち、志村役場は延命寺から志村二丁目へ移り、上板橋村役場は安養院から東新町へ移転しました。赤塚村役場の歴史は、四つの自治体の行政の違いを知る資料にもなります。

赤塚村自治記念碑の建立

板橋区が成立した際、赤塚村の歩みを記録するために「赤塚村自治記念碑」が建立されました。碑は松月院門前の檀信徒会館脇に残され、旧赤塚村の行政と、村が合併によって区の一部となった時代を伝えています。

碑文に記された村の事績は、村役場の機能が終わった後も、地域で受け継がれてきた記録です。寺に伝わる徳川将軍の朱印状や高島秋帆の顕彰碑と並んで、松月院が中世から近代まで複数の時代に関わった場所だったことを物語ります。

所在地と関連する文化財

旧赤塚村役場跡地と自治記念碑は板橋区赤塚8丁目4番の松月院門前にあります。寺院や近隣の人々の活動に配慮して見学してください。赤塚の寺社や中世の歴史は、赤塚・成増周辺の歴史と文化財で紹介しています。

参考資料