帝都幼稚園の歴史|戦前の木造園舎と武井武雄が設計した1957年の門柱

板橋区常盤台一丁目の帝都幼稚園には、戦前の学校建築を受け継ぐ木造園舎と、昭和32年(1957)に寄贈された門柱が残っています。門柱を設計したのは、童画家として知られる武井武雄です。園舎と門柱は板橋区登録有形文化財で、常盤台住宅地が形成された昭和初期から戦後にかけての教育と建築の歴史を伝えています。

山本正夫と帝都学園女学校

帝都幼稚園の母体は、音楽家で東京府豊島師範学校の教員だった山本正夫が創設した帝都学園女学校です。板橋区の文化財マップはその始まりを昭和11年(1936)と記し、幼稚園の沿革では翌昭和12年(1937)に現在の常盤台地区で女学校と幼稚園が設けられたとしています。

同じ昭和初期、東武鉄道はときわ台駅の周辺で住宅地「常盤台住宅」の造成と分譲を進めていました。鉄道沿線に住宅が増え、学校や幼稚園など生活を支える施設が必要になった時代です。女学校と幼稚園は、新しく形づくられた住宅地の教育施設として運営されました。

戦災を免れた建物と戦後の再出発

昭和17年(1942)、帝都学園女学校は高等女学校へ昇格し、施設を充てるため幼稚園は一時閉鎖されました。昭和21年(1946)には校舎の約3分の2が焼失しましたが、一部の建物は被害を免れました。戦災を免れた創立期の建物が移築・活用され、幼稚園の園舎として受け継がれています。

昭和24年(1949)には帝都幼稚園が再び開設されました。昭和26年(1951)には学園の敷地の大半が常盤台小学校の設立のために提供され、高等学校が廃止されました。幼稚園はその後も運営を続け、現在の常盤台に教育の場として残っています。

武井武雄が設計した昭和32年の門柱

園の正面にある門柱は、昭和32年(1957)の卒園生から贈られたものです。デザインを担当した武井武雄は童画や版画、装丁など幅広い分野で活動した美術家で、当時は南常盤台に暮らしていました。

門柱は卒園生による記念の贈り物であるとともに、地元に住む文化人と教育施設のつながりを残しています。園舎だけでなく門柱が付属物として文化財の名称に含まれているのは、昭和の学園と地域社会の歴史を一緒に伝えているためです。

常盤台住宅地の建築文化

常盤台には、昭和13年(1938)に建てられた斯波家住宅など、戦前の住宅地開発を伝える建物も残されています。帝都幼稚園の園舎は、当時の木造学校建築が戦災と土地利用の変化を経て残された例です。住宅・学校・街路の配置をあわせると、常盤台が住宅地として発展した歴史をたどれます。

所在地と見学時の注意

所在地は板橋区常盤台1-6-2、東武東上線ときわ台駅の近くです。現在も子どもが通う幼稚園であり、園舎内部は一般見学できません。敷地内への無断立入りや園児が写る撮影を避け、建築の外観は通行の妨げにならない範囲で確認してください。周辺の近代住宅地の歴史は常盤台・前野・西台周辺の歴史と文化財でも紹介しています。

参考資料